ポゥパー山の不思議なブッダ 宮本神酒男
ポゥパー山(ポッパ山)は天界への入り口だ
最近になって、ようやく謎が解けた。これはインレー湖のパウンドーウー・パヤーの有名な金色の団子のように見える五仏なのである。これまで訪れた何万人もの参拝者が貼った金箔で、本来の形がわからなくなってしまったが、もとはこのような仏像であったはずである。
パウンドーウー・パヤーの五仏はポゥパー山とは何ら関係ないのだが、最近人気を博している聖体の模造品が作られ、さらにそれが仏像認定され、聖地ポゥパー山に奉納されたのだろう。ポゥパー山といえばナッ神の聖地というイメージがあるが、仏教にとっても古くから聖地であり、近年のボーミンガウンにいたるまで修行の地として選ばれることが多かった。
5体の仏像はまるで金色の団子のように見える(インレー湖)
王はそれから5体の仏像をタン・タウンという村の洞窟に納めた。その仏像が超常的な光を放つことはニャウンシュエの初代王に報告された。これは14世紀のことだという。仏像はニャウンシュエに運ばれ、そこに256年間置かれた。
17世紀になると、女首領(ソーブワ)が5体の仏像をインディンに移した。仏像はそこに156年間とどまったが、1771年に寺院が焼失した。
5体の仏像はその後バン・ポンという村におよそ100年置かれた。そして1881年、仏像は現在の地に移された。そして寺院が建てられた。
しかしまたも寺院が焼失し、仏像は東岸のタル・レイ村に移された。その後1956年に現在の寺院が完成し、仏像は戻された。
1965年、寺院とニャウンシュエとの間を航行していた祭礼用の船が沈没し、5体の仏像も沈みかけた。4体はすみやかに回収されたが、1体は行方不明になった。すっかり落胆して寺院にもどったパゴダ委員会のメンバーは、寺院の壇の上に、水草に覆われ、びっしょり濡れた行方不明の仏像があるのを発見する。
ボーミンガウンの像の前で拝む女性(ポゥパー山)
土佐桂子氏はつぎのように説明する。
1930年前後から各地を転々とし、鶏を生き返らせたり、転倒した列車や大木を取り除いたり、事故から人々を救ったりといったさまざまな力を示した。また各地でパゴダを建設した。
彼は転輪聖王、あるいは未来仏であると信じられる。現在でも多くの人々がボーミンガウンのことを「狂人の姿でやってきてパゴダを建立する」「狂人の姿で人々の間を回り、信心の有無を調べるから、乞食、狂人、メインマシャー(おかま)といえども邪険にしてはならない」などと語り、異形の人物をボーミンガウンであると見なす。
このボーミンガウンの等身大の像がタウン・カラッの頂上に作られていて、多くの参拝者が祈りをささげているのは感動的だった。そこにはボーミンガウンの実物の写真も置いてあった。写真? そう、ボーミンガウンは伝説的な人物ではあるが、実在し、60年ほど前まではポゥパー山で修行をし、写真も撮られたのである。(→ ボーミンガウン)
十年ぶりにポゥパー山(ポッパ山)に登った。正確には、海抜1518mのポゥパー山の山腹に突き刺さったように見える海抜737mの岩峰タウン・カラッに登った。階段と屋根とおみやげ屋が整備され、猿がたむろし、観光地化が進んだぶん霊的で神奇な雰囲気が薄れたような気がしたものの、さまざまなタイプの仏像や祠堂が一挙に増えていたのはうれしかった。(→ その他の写真)
そのなかでギョッとさせられたのは、顔も衣服も描かれていない「ノッペラ仏」とでも呼びたくなるような五体の小型の仏像だった。見た瞬間、未完成なのではないかと思った。つぎの瞬間、一種の前衛的な仏像イメージの芸術作品ではないかと考えた。太目のジャコメッティとでも言おうか、そのフォルムはシンプルで、なかなか美しいではないか。
ノッペラ仏と呼びたくなる奇怪な4体(5体?)の仏像(→ ブッダと弟子?)
ただし、パウンドーウー・パヤーの五仏が本当に五仏であるかどうかには、疑問が残らないでもない。五仏といえば、たとえばわれわれは金剛界の大日、阿シュク、宝生、阿弥陀、不空を頭に浮かべるが、このような概念は大乗仏教的であり、テーラワーダ仏教には本来見られない。
大乗仏教の要素が残っていたとしても不思議ではない。バガン南郊のタマティ(現プワーソー村)の総本山に6万人もの僧侶がいたという大乗仏教系のアリ仏教も、13世紀半ばまで残っていたという。
しかしこのふたつの五仏をよく見ると、大乗仏教の五仏とは大きく異なることがわかる。
まず中央の金色の団子が仏像に見えない。スターウォーズのロボット(R2D2)みたいだ。それに周囲の四仏が中央を見ているのに、中央の仏像はどこを見ればいいのだろうか。
周囲の四仏のなかでも、ひとつはやや大きく、頭部に角かアンテナのようなものがついているのがわかる。これは肉髻であるとともに、ゴータマ・ブッダそのひとであることを示しているかのようだ。そうだとすると他の三仏はブッダの高弟かもしれない。あるいはこの四仏はバガンのアーナンダ寺院とおなじく過去四仏なのかもしれない。
考えられるのは、いまのようなフォーメーションで五仏が並べられていたわけではないということである。本来壇の上に横に並んでいたとするなら、中央の仏像の向きなどどうでもいいということになるのだ。
パウンドーウー・パヤーの筏祭りのときに重要な役目を持つ五仏の伝説について述べておきたい。カラウェイ(伝説上の黄金の鳥)の船に4体の仏像をのせ、1体を残すというあの五仏だ。
もとになった伝説は、じつはインレー湖とは関係がなかった。話の舞台は、スリランカにあったとされるマッラユ(パーリ語でマラヤ)という山地である。バガンの王アラウンシードゥ王(1113−1169)はそこで、幼い息子が湖で溺死したばかりの憔悴してた羅刹女と出会う。王が魔術の杖で湖を叩くと、マニメーカラという女神が湖から現れた。女神の手のひらには蘇生した子供がのっていた。
感謝の念でいっぱいの羅刹女は諸神の帝王であるタジャーミン(インドラ神、帝釈天)に芳しい香りがする捧げものをした。タジャーミンはお返しとしてタレカン(白檀の心材)と菩提樹の「南の枝」の一部を賜った。この枝はアショカ王の娘がスリランカに贈ったものとおなじだという。
インレー湖の漁民(インダー族)の伝統漁法
花食べ魔女のポゥパー・メド―はポゥパー山に君臨するナッ神の女王
この事件以来、10月頃におこなわれる祭りのとき、5体の仏像のうち4体のみが船にのせられ、1体は安全のため、寺院のなかに残されるようになったという。
ポゥパー山はナッ神の本拠地として有名である。「花食べ魔女」ポゥパー・メドーらナッ神の物語については、「おおいなる山の神」の項を見ていただきたい。
この聖地は多くの修行者を惹きつけてきた。修行者としては18世紀から19世紀にかけて生きた伝説的なボーボーアウンと前世紀のボーミンガウンがよく知られる。このうちボーミンガウンは1938年にポゥパー山に入り、1952年に「この世を抜ける」まで瞑想を主体とした修行をおこなったという。
ポゥパー山はすっかりミャンマーの代表的な観光地になったが、元来は庶民にとって近づきがたい聖地だったのである。タウン・カラッの入り口を入ると、現在はおみやげ屋が並んでいるが、昔は異次元世界だった。ここから先は霊的スポットだったのである。いまも猿の糞で汚れた階段を踏みしめながら、苦労して頂上にたどりつくと、天界に近づいたような不思議な感覚に包まれる。