(12)ロヒンギャから生まれたテロ組織 

 世界の注目がロシアのウクライナ侵攻に集まる2022年3月21日、アメリカのブリンケン国務長官は、ミャンマー国軍によるロヒンギャ虐殺はジェノサイド(民族大量虐殺)であるとバイデン米政権が認定したと発表した。世界からの関心がやや薄れていただけに、絶妙なタイミングだったと言える。2012年以降(それ以前からあったのだが)ロヒンギャに対する迫害は度を増し、難民は増える一方だった。難民となって他国に上陸したあと、奴隷労働を強制されるなど、あらたな人権問題も発生していた。しかし被害の規模がこれだけ大きいにもかかわらず、世界はニュース慣れしてしまい、少々のことでは驚かなくなっていた。いわば心が麻痺していたのである。

 とはいえ民主活動家の4人が処刑されるなど、民主主義に対して敵対的な態度を取り続ける軍事政権の悪辣ぶりばかりが目立ち、やはりロヒンギャの災難については一時的に忘れられている。世界から同情を寄せられるロヒンギャだが、それに水を差すような歓迎されない動きが出ている。

 2017年8月25日は記憶に残る特別な日となった。この日の未明、ロヒンギャの武装集団ARSA(アラカン・ロヒンギャ救世軍)は、ラカイン州北部の警察施設三十か所や国軍の施設を一斉に襲撃した。彼らはそのあとバングラデシュに逃れている。

 待ち構えていたかのように、ラカイン人仏教徒の協力を得た軍隊は殺戮の限りを尽くす。国境なき医師団によると、少なくとも6700人のロヒンギャが殺された(うち570人は五歳以下の子供)という。そしてマウンドーを中心とした288の村が消失したという。アウンサン・スーチー氏は、9月5日に作戦が終了したと述べたが、村の破壊はそのあとも行われていた。ノーベル平和賞受賞者アウンサン・スーチー氏に対する国際的批判が高まったのは当然のことだろう。このことは、彼女が最高責任者でありながら、十分に国軍をコントロールできていないことをはっきりと示していた。

じつは2016年10月9日にもARSAは広範囲に警察施設を襲っていたので、これが二回目だった。重要なことは、この襲撃を彼ら自身がジハード(聖戦)と呼んだことである。つまり、アルカーイダやISとおなじく、国際テロリスト・グループとしてデビューを飾ったことになる。クルド人の独立国家樹立をめざす組織PKK(クルディスタン労働者党)のように、弱者の中から生まれたテロ組織であり、悲惨な状況に置かれたクルド人やロヒンギャを支援する人権活動家を悩ませてしまう存在である。同情の余地はあるが、過激なテロリズムに走ってしまうと、擁護できなくなってしまう。

 このARSAについてもう少し調べよう。指導者は60年代の生まれのアタウッラー・アブ・アンマル・ジュヌニで、ロヒンギャ難民の両親のもと、パキスタンのカラチで生まれた。その後メッカに移り、マドラサ(神学校)で学び、15万人の弟子を持つイマーム(導師)にまでなった。その後2012年、ロヒンギャ迫害の実体を知り、メッカを出て、パキスタンで組織を立ち上げた。彼はパキスタン・タリバン運動(TTP)のトレーニングキャンプで訓練を受けたという。

 この年の7月、TTPはロヒンギャ虐殺を非難し、ミャンマーに攻撃を加えると宣言した。さらにパキスタン政府に、ミャンマーとの国交を断つよう主張している。こうした動きと、アタウッラーがテロ組織を作ったことにはつながりがあるだろう。TTPはアルカーイダやIS(イスラム国)とも深い関係があった。

 しかしロヒンギャから本格的なテロ組織が生まれたからといって、これまで長年にわたっておこなわれてきたロヒンギャ迫害、弾圧、ジェノサイドがないことになってしまうわけではない。また捏造ともいえる「ロヒンギャは外国人」という物語も、突然事実になってしまうわけでもない。

 ここであらためてロヒンギャの抵抗運動について述べたい。すべては1942年のムスリム虐殺にさかのぼることができるだろう。すでに述べたように、これが日本軍の手になるものか、あるいはムスリムが主張するように、英国ラジプート軍がアキャブとマウンドーから退去し、日本軍が来るまでの2か月の間に起きた、BIA(ビルマ独立軍)に扇動されたラカイン人の武闘部隊になるものか、はっきりしない。

 この時期に4万人以上のムスリムが殺されたとされ、生き延びたムスリムがラカイン北部で報復に出たことにより、多数のラカイン人が犠牲になったという。このとき被害の大きかったムスリムの一部がムジャヒド運動に身を投じた。ムジャヒドとはジハード(聖戦)を実行する者のことをいい、複数形がムジャヒディーンである。ソ連軍と戦ったアフガニスタンのムジャヒディーンを覚えている人も多いだろう。

 ムジャヒドの反乱の原因を、モシェ・イェガルは四つ挙げている。

1 インド難民キャンプの何千人もの難民の帰還が許されなかった。
2 帰還が許された者ももともと住んでいた場所に戻ることが許されなかった。
3 ムスリムの政府スタッフは解雇された。
4 所有の土地は没収されラカイン人の間で分配された。

 ムジャヒドはラカイン人武装グループに対抗して作られたものであり、一方的にロヒンギャを責めることはできない。彼らは1948年から活動を開始し、1961年に解散した。名前の印象から原理主義的なテロリスト集団を連想するかもしれないが、そこまで過激ではなかった。それだけに、上述のARSAの登場は衝撃的だった。



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