神話なし、事実のみの<ロヒンギャ史> 18 

ウー・チョー・ミン 

 

アーナンダ・サンドラ石碑(シッタウン寺院の石柱)はロヒンギャが昔からいたことの証明 

 

 この石柱は8世紀にアーナンダ・サンドラ国王によって建てられた。古代アラカンの生活、文化、国王たちの記録がそれには刻まれている。それは計り知れないアラカンの遺産である。アラカン人はそれが真正なるものであるとして、誇りにしている。

 それゆえ、ロヒンギャ文化という小見出しのもとでこれについて言及すると、一部に憤慨と批判を呼び起こすことになってしまう。ラカイン人はこの石碑は彼らの歴史的遺物であると主張しているけれど、あえて言葉に感心して理性的に言うなら、それに刻まれているのはラカイン人の言葉ではなく、ロヒンギャ語と似た言葉なのである。石柱には11世紀以降の記録が残っている。これとほかのアラカンで見つかった碑文は、デーヴァナーガリー文字で書かれている。そして言語そのものはロヒンギャ語にきわめて近い。ロヒンギャもまた、彼ら自身これらの古代碑文と歴史的つながりを持っていると述べている。

 1935年から1942年にかけて、この碑文を最初に読んだのはオックスフォード大学のジョン・ストン博士だった。のちにそれはDC・シルチル(Sircir)博士によって研究された。またストン博士が転写したものを、ウー・サン・タ・アウンとパメラ・グトマン博士がコピーしている。石柱の碑文の意味を私は直接つかむことができないが、すべての語彙を、現代のロヒンギャ語のように発音することができる。石柱の東面の文はベンガルの6世紀のグプタ朝の銅のプレートとよく似ている。[訳注:本書の著者紹介には書かれていないが(いまだにすべてを明らかにすることができないのか)、著者はロヒンギャの本拠地ブティダウンの生まれなので、ロヒンギャと考えられる]

 文の所々が欠けているため、正確かつ実際的な読解は不可能である。パメラ・グトマン博士が言うには、碑文鑑定の結果、ほとんどがベンガルに普及していたガーウディ文字(プロト・ベンガル文字)であることがわかった。ただ一部は古い字体の横に発展形が添えられ、新しい西インド型の字体が混じっていた。文字はほぼすべて、ベンガルのチャンドラ王朝の碑文を比較することで復元することができた。

 パメラ・グトマンの文章をもとに、シッタウン寺院北面石柱の碑文の比較研究を試みよう。パメラ博士はつぎのように述べる。

 

 碑文の最初の部分は7行。しかし読めるのは最後のほうだけである。それはチャカラリ(Cakarari)チャトゥルッダサメ(Caturddasame)ラクソーカ(Raksoka)クルタラジャー(Krtarajyah)。

 8行目はスヴァスティ・スリ(Svasti Sri)で始まる? 意味はスリ村?(ロヒンギャ語ではそういう意味になる)

 つぎの碑文は石柱の三カ所(左、中央、右)に書かれたものだ。

 

左側

1―40 idan maya Krtam    この愛し方 

1―41 iva damsadesa     この邪悪な国(?) 

1―42 Areka desa vijayam  勝利の国アラカ 

 

中央 

Yaksapura ラクサプラの王 (インド人に呼ばれたアラカンの古代名)

 

右側 

Ha maharajah

Ghya sri Govindra Candra

Devatam karta

Tattasya deva

 

 最後の石柱には「Agni pradesa」という言葉が出てくる。アグニの意味は不明(ロヒンギャ語で火の意味)。プラデーサは外国という意味(ロヒンギャ語でも同じ)。

 これらすべての言葉、フレーズともロヒンギャ語に似ていて、ラカイン方言には似ていない。我々はパメラによるシッタウン寺院石柱の北面の転写と翻訳から、語彙の比較研究表を作成してみる。

 

詩篇 4番 

石柱の言葉  ロヒンギャ  ラカイン   訳 

Tatori     Tarto    Tonauk    そのとき 

Jagata    Jagat    Kabba    世界 

Varsam    Vasar    Hnaik    年 

Satam     Shat    Thara    百 

Bhupalo    Bhupal   Aashin    強い者 

 

詩篇 5番 

石柱の言葉  ロヒンギャ  ラカイン     訳 

Tena     Tene     Thu       彼 

Krtm     Karten    Loukthi     ~をした(did

Rajyan    Rashtri    Oukchoukthi   統治 

 

詩篇 6番 

石柱の言葉   ロヒンギャ   ラカイン       訳 

Nama     Naame     Ameeshi     名づけた 

Raja       Rajah     Bayin/Min      王 

Jani a Sakat  Janatere    Oyithugo/Ludugo   公に 

Toto Raja    Raja Tara Jane Bayin Mya Thie Zi  王は知る 

 

 

詩篇 7番 

石柱の言葉   ロヒンギャ   ラカイン       訳 

Ikam     Ekk       Thaik       一 

Thasmad   Tharfar     Tohnauk     そのとき 

 

詩篇 8番 

石柱の言葉     ロヒンギャ  ラカイン       訳 

Nitiri Vikramap  Nitimote   Thara Thaaphyint   正当に 

 

詩篇 52番 

石柱の言葉   ロヒンギャ   ラカイン  訳 

Deni Deni   Deni Deni    Nezin    毎日 

 

 高等教育局長官ウー・サン・タ・アウンもまたビルマ語の碑文を転写している。それには数詞の比較研究も含まれていて、そのことから、ロヒンギャの数詞と碑文の数詞がまったく同じであることがわかる。

 

詩篇の番号   碑文の数詞    ロヒンギャ   ラカイン 

17 41      Dhuwi      Dhui      Hnaik(2)

13        Therai      Teen      Thaong(3)

31        Pansa      Pans      Ngaa(5)

25        Chau      Sau      Khrouk(9)

14 16 26 30    Chaat      Chaat/Hanth     Khunaik(7)

35        Dhuwa Dosh   Dosh Dhui    Sehnaik(12)

9 22 115     Vish      Visk/Khuree   Hnasei(20)

35        Thirish      Thirish     Thonsei(30)

55        Panchas     Panchas     Ngasei(50)

 

 碑文のほかの語彙もほとんどロヒンギャ語と発音がおなじである。顕著なのは以下の点だろう。

1 転写された詩篇は欠損が多い。

2 転写された文の正確な発音はわからない。

3 それゆえ私は文章全体を、碑文全体を転写し、ロヒンギャ語に翻訳することはできない。

 これまでのところ、パメラ・グトマン博士の転写を研究し、それによって、碑文の言語がラカイン語とまったく異なり、ロヒンギャ語ときわめて近いことがわかった。わたしはこのシッタウン寺院の石柱の碑文をロヒンギャ文化の代表的なものとして掲げたい。だからこそこの点に関し、学者による科学的な研究が必要となってくるのである。

 

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