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 もう一つの歴史的なできごとはミンビャのカズィ・アブダル・カリムが第一次英国ビルマ戦争に参加したことである。彼は自身のムスリム新兵団でビルマ軍と戦った。彼は生きたまま捕らえられ、カルカッタ陸軍刑務所に入れられた。彼はのちに英国の将校たちから彼が与えたアドバイスによって評価された。それはのちに戦争中の軍の作戦中に役に立つことが実証されたのである。(ロバートソン隊長による『第一次英国ビルマ戦争の記録』参照) 

ラカイン人のいかなる政治的、歴史的著作もそのことに言及したことがなかった。先祖から伝わる情報によると、私の曽祖父、六代前のロシャン・アリは、カズィ・アブドゥル・カリムの新兵の一人だった。

 ヤンゴンには「ラカイン・モスク」として知られるいくつかのモスクがある。これらはバジ・ドー王がアラカンのムスリムの屈強な戦闘員たちに、第一次英国ビルマ戦争中の活躍に対して、恩賞として与えたものである。ラカイン年代記はけっしてこのことに関して論じたことがなかった。バジドー・パヤーの国軍の中に、ラカイン・ムスリム屈強陸軍部隊があった。ラカイン人はムスリムを彼らの一部とみなすことはなかった。

 このようにムスリムの宗教組織のことが、ラカインの歴史書に記されることはないのである。すべての外国人の、そして初期のラカイン人歴史家はナラメイッラのベンガルの随行員や随行員らによるムラウーのサンディ・ハーン・モスクの建設のエピソードを認識していた。しかし最近も、歪曲の作家ウ・キン・マウン・ソーは、『ロヒンギャという名前の背後の真実』という著書の中で、それはモスクではなく、隠者の庵だと主張している。(ウ・キン・マウン・ソー 
2016) 

 同じ著書の中で、サンディ・ハーン・モスクの写真の下に、これはミン・ソー・モンのムスリム兵士によって建てられたのではなく、何世紀ものちに建てられたものだとの説明文を入れている。なんと道義に反していることだろうか。そしてなんと混乱していることか。彼はこの建物の収容人数は最大で25人と見ている。

 E・フォーカッマー(Forchhammer)とRB・スマートの両者とも、敷地全体は82×65フィートとしている。建物は47×33フィートの長方形の構造物である。二つの大きな人工池があり、北と南にそれぞれ石の階段がある。ウ・キン・マウン・ソーはまたもパメラ博士の文を誤引用し、何世紀ものちにこのモスクは建てられたと主張する。パメラ博士はこう述べている。「ムラウーには、1世紀以降、構造物はほとんど残っていない。もっとも初期のものには、サンティカン、あるいはサンディ・ハーン・モスクがある。それはミン・ソー・モンがベンガルでの亡命生活から戻ったあと、彼のムスリムの支持者によって建てられた。このモスクは最近破壊されてしまった。(パメラ博士『ビルマの失われた王国』)

 これはミャンマーも参加した1956年ユネスコ憲章の違反である。ウ・キン・マウン・ソーのさらなるひどい主張は、ムラウーのサンティカンの横にシャー・シュジャによって建てられた二つの隠者の庵がある、というものだ。シャー・シュジャは隠者ではない。インドの皇子はアラカンに亡命していたのである。彼にはウ・キン・マウン・ソーが言う隠者の庵を建てるだけの時間がなかった。というのも、彼ははじめからラカイン王と言い争いをしていた。そしてついに亡命生活二年で殺されてしまうのである。シャー・シュジャがアラカンに庵やモスクを建てたという記録はない。

 国立学校教育は、反植民地闘争において重要な要素となった。チャウトーのザイヌッディン氏はアキャブ国立高等学校の校長だった。1984年のアラカン州立委員会によって編集された年代記は、彼を教頭として貶めて描いた。

 多くのロヒンギャの年長者が、ラカイン人同胞とともに、植民地の軍隊に対して戦ってきた。独立闘争において役割を果たしたことに対しもっとも高い恩賞を得たムスリムもいた。しかし独立後の政治、歴史文学の中に、彼らが果たした役割について言及されることはなかった。北アラカンのムスリムは、反ファシスト抵抗運動においても重要な役割を果たした。彼らは多大な犠牲を払いながら英国人に協力した。英国人は「ヴィクトリー・フォース(勝利部隊)」という名のもとに、ロヒンギャを軍隊に徴兵した。

 英国人たちがふたたびビルマにやってきたとき、英国陸軍将校たちは部隊が果たした役割を称賛した。英国は戦争に注がれたロヒンギャのすべてのエネルギーを活用した。ロヒンギャ
の将来に関して、耳心地のいい、立派な約束を示していたのに、戦争が終わると、英国政府はロヒンギャのために何もしなかった。ロヒンギャは人種差別主義者に命運を握られることになった。英国の司令官アンソニー・アーウィンはつぎのように述べる。

 この人々がいなければ、我々は見ることも、聞くこともできなかった。彼らがいたおかげで、目も耳もあり、つねに楽しむことができた。彼らにすばらしい資質があったおかげで、植民者は公正な心を持ち、先を見通すことができた。彼らの未来は我々の手の中にある。人々が幸福になるかどうか、アラカンが公正な国になるかどうかは、我々にかかっている。百倍も公正な心と思いやりが我々に向けられるだろう。しかし彼らが示してきたのと同じ公正さと協力を我々が彼らに示せるかどうかははなはだ疑問である。 

 結果としてロヒンギャの現在の生活は英国司令官アンソニー・アーウィン少佐が予言したとおりになった。

 

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