地球内部への旅 04 

テュアナのアポロニオス 

                  ソロモン 宮本訳  

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 テュアナのアポロニオスは今日、真の姿は知られていない。伝記を書いたGRS・ミードによれば、「テュアナのアポロニオスは1世紀のギリシア・ローマ世界においてもっとも有名な哲学者」ということになる。多忙で影響力の強い生涯においてアポロニオスは遠くインドまで足を伸ばした旅行家であり、皇帝たちへのアドバイザーであり、弟子を持つ賢者であり、(一冊も残存していないが)著作家であり、治療家であり、改革者でもあった。ミードによれば、彼は人生の大部分を帝国の多くの宗教の純化や宗教の祭司、聖職者の教育に費やしていた。

 彼はまた地球内部の訪問者だった。インドにいる間、アポロニオスは賢者が住む場所へ降りていき、そこで学んだことがあった。

 アポロニオスはカッパドキア(小アジアのギリシア語を話す地域でいまはトルコ中央部)の町テュアナの豊かな家に生まれた。早熟の天才児だった彼は知識ある教師たちから最初に教育を受けた。そして14歳のときさらなる教育を受けるためタルススの近くへ送られた。(タルソスのサウロといえばのちの聖パウロのことだが、同時期にタルススにいたかもしれない) 一年後にアポロニオスはアスクレピオスの地元の寺院で学ぶため、キリキアの港アイゲアイに移動した。

 寺院の祭司たちはさまざまな哲学を支持していた。若きアポロニオスがひかれたのはピタゴラス主義だった。彼はすぐにピタゴラスの哲学やライフスタイルを取り入れた。

 こうしてピタゴラス主義者になったアポロニオスはベジタリアンになり、白いリネンの衣をまとい、髪を長く伸ばし、裸足で過ごし、貞節を守り、瞑想をし、すべての所有物を捨てた。もっともよく知られているのは、ピタゴラス主義者として沈黙の戒(エケミュティア)を守ったことである。五年間も言葉ひとつ発しなかった。戒を守るため、彼はひとりごとさえ自分に許さなかった。

 ピタゴラス主義にどんな利点があるのだろうか。後半生で彼はライバルの哲学者につぎの書簡を送っている。

 

ユーフラテスへ 

 真のピタゴラス主義者がいるとしよう。彼から何を、またどれだけのものを得ることができるだろうか。私は言いたい。政治的手腕、幾何学、天文学、算数、和声学、音楽、医学、完璧かつ天与の預言、そしてより高度な報い――心、魂、作法の偉大さ、堅実さ、信心深さ、たんなる推定でない神々の知識、たんなる信頼でない祝福された精神との親密さ、神々と精霊との友好性、自己充溢、忍耐、倹約、本質的に必要なものの減少、感覚や動き、呼吸の緩和、よい色、健康、活発さ、不死、そういったものだ。さて、ユーフラテスよ。おまえを見ている人々は何を得るだろうか。(クリストファー・P・ジョーンズの英訳から)

 

 そして彼の日々の祈りはつぎのようになる。「おお、神々よ、お認めください、私がほとんど何も持っていないことを」

 五年の研究と沈黙ののち、アポロニオスは見習い期間をまっとうした。彼は晴れてピタゴラス主義者になったのである。そして自分の声を使って哲学を宣教する雄弁なスポークスマンになったのである。知識が豊富であることを称賛された彼はアスクレピオスの寺院で教え始めた。あるいはほかの祠所で講義をおこなった。弟子は一挙に増えた。

 この期間中に彼の父親が死んだ。アポロニオスはかなりの資産を継ぐことになった。とはいってもピタゴラス主義者にとっては富を有することは利益に反することだったので、資産のほとんどは親戚に分けることになった。彼の取り分はまもなく出発する予定の長旅を支えるには十分だった。

 小アジアのあちこちで彼は教えて回った。そして彼はインドへ行く決心をした。ピタゴラスにならって伝説的な賢者たちがいる場所を訪ね、彼らの智慧にあずかりたかった。


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