(3)
つぎの数か月、彼は穴の道の入口を探した。しかしそれは消えてしまったようだった。心配事のない国へ行くことはできないと彼は悟った。
かわりに彼は学校へ行った。態度を改めた彼は必死に勉強した。結果的に彼は祭司の道を歩むことになった。
かなりの時がたち――いまでは長老の祭司となり――エルダーは聖ダビデ教会の主教に地下世界の王国を訪ねたことを語ったのである。そこでの幸福の日々を思い出し、彼は涙ぐんだ。
ギラルドゥスは年代記にこの物語を書き記した。しかし彼はこの物語の何をほめそやしているのだろうか。信用に足る話だろうか。彼の結論はつぎのとおりだった。
几帳面な審問官にこの物語についてのわたしの意見を問われたなら、アウグスティヌスのつぎの言葉で答えるだろう。「聖なる奇跡をいぶかしく思っても、論争したり、討論したりするべきではない」。否定することで、神の力に制限を設けるべきではないだろう。肯定することで、信用の範囲を傲慢に越えるべきではないだろう。そのような場合、聖ヒエロニムスの言葉を思い返すようにしている。「あなたはたくさんの信じられないこと、ありそうにないこと、けれども真実であることを発見するだろう」。それゆえこの確証されたわけでも、否定されたわけでもない物語を、ほかの似た話とともに――アウグスティヌスもこの話を入れるだろう――わたしは書き記すのである。
つまりエルダーは地下世界の王国を訪ねたかもしれない、ということだ。しかしギラルドゥスは裁定を下したわけではない。
*ギラルドゥス・カンブレンシス(ウェールズ人ジェラルド)はイティネラリウム・カムブリアエ、すなわち『全ウェールズ旅行年代記』にこの物語を入れている。ギラルドゥスはどんな年代記作家だったのだろうか。この本の英訳の序章には、ギラルドゥスの「信仰における信じやすさ、現実世界における賢明なる良識ぶり、機知にとんだ生き生きとした空想、饒舌な舌とペン、正確というより激烈な観察、深遠というより優雅な学術性」について触れられている。
このギラルドゥス(1146-1223)は、ヘルラ王についての物語(第5章)について書いたウォルター・マップの友人である。
⇒ つぎ