地球内部への旅 08
オーウェン卿
プロフェッサー・ソロモン 宮本訳
(1)
アイルランドにかつて煉獄への入口だった洞窟がある。ダーグ湖(Lough Derg)の島にある洞窟は聖パトリックの煉獄として知られる。聖パトリック自身がこれを発見したという。
発見は西暦445年のことだという。聖パトリックはこの島で隠遁生活を送ろうとしていた。洞窟の中で眠っているとき、彼は煉獄の幻影を見た。「声」によって洞窟が煉獄の入口であることがあきらかになった。そこで一夜を過ごすことによって自分の罪を清められるかもしれない。何年かのち、弟子のダベオクが島に僧院を発見した。修道士は洞窟の番人としての役割を担っていた。
その名声は広まり、12世紀までに聖パトリックの煉獄は巡礼の主要な目的地となった。巡礼者はアイルランド中から、あるいは外国からやってきた。聖アウグスティヌス修道院の修道士によって管理されているこの聖地は、二つの島から成っていた。ひとつには修道院が立ち、もうひとつの島に煉獄があった。彼らは巡礼者を歓迎した。そして煉獄に入ろうとする者にたいしては思いとどまらせようとした。そして(もしなおも入ろうとしたら)断食と祈祷の摂生活を送るようにアドバイスするだろう。彼は洞窟の中に閉じ込められる。翌日、門は開けられる。巡礼者は(この試練を生き抜いていたら)解放される。彼は煉獄の苦悶を耐え忍んだのである。罪はそそがれ、彼はいまや天国の真実に裏打ちされた新しい人となったのだ。
このような巡礼者のひとりが十字軍で戦ったアイルランドの騎士オーウェン卿だった。
アイルランドに戻る途中、オーウェン卿は自分が罪の意識にさいなまれていることに気がついた。彼は十字軍として暴力と略奪の生活を送ってきたことを後悔していた。彼は罪をそそぐため、難行苦行をおこないたいと願った。教会は改悛のための仕組みを持っていた。すなわち告白、罰、苦行、そして償いである。しかしオーウェンの罪の意識はあまりにも大きく、極端な難行苦行をおこないたかった。つまり聖パトリックの煉獄へ降りたかった。それで1147年夏、彼は馬に乗り、デルグ湖へ向かった。
何日もかけてようやく彼は目的地に着いた。アルスターの丘にいだかれたデルグ湖は小さな静かな湖だった。修道僧が舟を漕いでオーウェンを島まで連れていった。
⇒ つぎ