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オラフと父親は巨人の国に連れていかれた。そこに彼らは二年間暮らし、言語(サンスクリットに近かった)を学び、このガルガンチュア種族の習慣とライフスタイルを観察した。一家族と暮らしつつ、外に出て案内され、自然の、そしてテクノロジーの驚異を見せてもらった。もっとも驚かされたのは、地理学的な秘密だった。巨人の国は――北風の向こうの国は――地球の内部に位置していたのである。
地球は空洞になっている、と彼らは説明された。地球はいわば空間が分厚い外殻によって包み込まれた球体なのである。その両極には穴が開いていた。この穴の中に入り、深い淵の側面を下り、海を越していったのである。海の水は外殻の下側へとつづいていた――重力の不変の法則によって水はあるべきところに保たれていた。
内なる海にはたったひとつの大陸があった。その住人たちはいつも温かさや明るさに恵まれていた。というのも地球内部の中央には小さな太陽が輝いていたからである。ヤンセン親子が知らず知らずのうちに深い淵に入り、側面を航行していったとき、この中央の太陽が見えたのである。そしてついに――内部の海の上をさかさまに航行して――太陽は頭上に輝いていた。
北風の向こうの国に滞在している間、ヤンセン親子はここの住人たちと親しくなった。巨人たちは賢く、知識豊かで、寿命も長く、最大で800年生きるという。性格もとてもよかった――おそらく地球内部のイオン化した大気のせいだろう。空気は「つねに活性化している」とオラフは報告している。「わが人生でこんなにも気持ちがよかったことはない」。そして巨人たちは音楽好きだった。「彼らの都市は広大な音楽の宮殿だった。25000ほどの巨人族の元気のいい声による力強い合唱は、もっとも気高いシンフォニーを生み出していた」。
都はエデンと呼ばれる楽園都市だった。このエデンが人類のゆりかごであったことをオラフは学んだ。巨人族は彼らの太陽の霞の中に住む神を崇拝していた。そして彼らはこの神を「霞たる神」と呼んでいた。またエデンに住みながら巨人族を支配しているのは上級祭司だった。
ある日上級祭司が差し向けた使者がヤンセン親子のところにやってきて、故郷のことについてあれこれ聞いた。親子はそのあと(モノレールによって)エデンへ連れていかれた。彼らはそこで支配者その人と面会した。
豪華な衣装に身を包んだ、従者よりも背が高い上級祭司がさらに親子にさまざまなことを聞いた。祭司はこの国のさまざまな都市をめぐるツアーに彼らを招待した。彼はまた親子のスループ船が保管されていることを教えた。彼らは自由であり、家に帰りたければそうすることもできると語った。とはいえ浴びは困難で、危険を伴うと彼は強調した。
彼の招待に応じた親子は都市をめぐった。そして最終的に「われわれはもう一度海に出て運に任せる決断をした。地球の表面の<外側>を突き進んでいきたい」という結論に達した。
食料などとともにスループ船に乗り込み、親子は南極の穴に向かって(卓越風をうまく使った)航行した。そして外側の世界に戻ることができた。危険というのは誇張ではなかった。父親は南極で命を落とすことになったのである。オラフの船は氷山に当たって座礁した。捕鯨船に救助されて、なんとか家に帰ることができた。
しかし嘆かわしいことに、オラフの話を信じる者はひとりもいなかった。それどころか狂人扱いされ、彼は精神病院へ送られ、そこに長年閉じ込められたのである。
ようやく解放されたオラフは漁師としての生活を取り戻した。彼は豊かになり、引退してカリフォルニアのコテージで暮らすようになった。そこで老人になった彼は「奇妙な旅と冒険の記録」を書いた。
そこで彼は隣人の小説家ウィリス・ジョージ・エマーソンに原稿を渡したのである。
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