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 リチャード・シェイヴァー(19071975)はペンシルベニア州の田舎に育った。父はいくつものレストランを経営し、母は主婦だった(ときおり詩集を出した)。子供らしく彼には想像上の友だちがいた――もちろん想像上の敵も。18歳のときに彼はアメイジング・ストーリーズ誌の創刊号を家に持って帰った。そして同誌の生涯のファンになった。

 フィラデルフィアで最初に就いた仕事は食肉加工業であり、造園業だった。その後彼は両親や兄弟らとともにデトロイトに引っ越した。そこで彼は芸術学校に通った。また公共図書館で貪欲に本を読みまくった。そしてコミュニスト・グループであるジョン・リード・クラブで活動した。(デトロイト・タイムス紙の写真は彼がメーデー決起集会で演説をしているときのもの。見出しは「群衆を前に長広舌をふるう演説者」)その後彼は芸術学校の生徒と結婚し、子どもをもうけた)

 1932年、彼はフォードの自動車工場に職を得た。つぎの10年間に関していえば、二通りのストーリーがある。彼自身のストーリーと病院の記録に基づくストーリーである。シェイヴァーのストーリーは――フィクションという体裁をとっているが――しばしば一貫性がない。ともかくその本筋はつぎのようなものだ。

 自動車工場の組み立てラインで溶接工として働いているとき、彼は「声」を聞き始めた。彼によれば声はデロのものだった。デロとは、地球の地底に住む悪魔のような生きものである。声にさいなまれた彼は仕事をやめ、町から町へとふらつきはじめた。「苦痛を緩和するために、私は休暇をとり、ほかの環境に身を置いてみようと考えた」と彼は当時を振り返る。「それから何年もが過ぎていった。ある場所からほかの場所へと飛び移る絶望的な日々だった」。彼は絶望の放浪者になった。たまたま行き当たった臨時の仕事をして、なんとか糊口をしのいだ。

 しかしどこに行ってもシェイヴァーはデロの攻撃を受けた。地球内部からかれらは彼に向けて光線を浴びせたのである。(彼はのちに、光線が巨大なベッドのスプリングのようであることを知った) 光線は彼の頭にさまざまな思考を送り込み、幻覚を見させ、ミスを犯させたり、彼自身を傷つけさせたりした。シェイヴァーはつねにデロからもたらされる災難にみまわれることになった。極悪非道のデロの罪業がしだいにあきらかになった。パンクや交通事故、飛行機墜落、火事、地滑り、開けっ放しのマンホールの穴、病気、戦争、そして人間のすべての病気はデロがもたらしたものである。人間が悲惨な目にあうのを見るのはデロたちのたのしみなのだ。

 彼の放浪はつづいた。最後に、彼はバーモントで、浮浪罪で逮捕され、収監された。しかしある夜、神秘的な若い女性が独房に現れた。彼女はまさに子供のときからの想像上の友人だった。彼女の導きによって彼は刑務所から逃げることができた。

 彼女が連れていった先は機械類で満たされた洞窟だった。これらはもともとレムリア人のものだったと彼女は説明した。そして、洞窟世界とその住人の過去と未来について話した。

 シェイヴァーによると、ある一定期間彼は洞窟のなかで過ごした。(彼自身の推測では二週間から数年) それから彼はふたたび放浪しはじめた。最終的には、彼はペンシルベニア州に戻り、彼の家族所有の農場に落ち着いた。

 こういったストーリーはシェイヴァー自身が表明したものである。全面的に真実であるとは言い難いが、事実に準拠しているとはいえるだろう。しかし異なる、あるいは人を惑わせるストーリーが表面化してくる。

 1934年8月、シェイヴァーがイプシランティ州立病院に入院したことが知られるようになった。妄想を抱くようになった彼は、人々が自分を監視し、尾行し、彼のことを共産主義者と呼んでいると信じるようになったのだ。彼はまた医者が彼を毒殺しようとしていると確信した。また彼にはいくつもの声が聞こえた。

 彼は精神病棟に入れられたのである。1936年、彼は一時帰宅が認められてペンシルベニア州の家族のもとに戻った――そしてそのまま病院に戻ることができなかった。この違反行為ゆえ、彼は中傷する人々に「脱走した精神病患者」と呼ばれるようになった。しかし実際は定員オーバーで患者が入りきれなくなったため、家族のもとでの長期滞在ケアを病院も認めたのだろう。

 いつかはわからないが、彼は家を出て、浮浪者になったように思われる。そしてまた精神病院に再入院している。1943年5月、ミシガン州のイオニア州立病院に入院したという記録が残っているのだ。

 これらのことが判明して、シェイヴァーの反応はどういうものだったのだろうか。彼はバグハウス(精神病院)に滞在したことは認めたが、それは日射病によるものであり、しかもわずか二週間で退院していると主張した。

 ではパーマーの反応は? ラジオのインタビューで彼は、この売れっ子作家が精神病棟に8年いたことを無念そうに話したという。

 シェイヴァーが精神病患者であったことは間違いない。しかし1945年の時点で、彼が病院に連れ戻されることはなくなっていた。ビタースウィート・ホロウと呼ばれた農場に彼は母親といっしょに住んだ。彼はベツレヘム鉄鋼でクレーン運転手として働きながら、彼のストーリーを創り出していた。

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