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 1945年3月号以来、アメイジング・ストーリーズ誌はほぼ毎号シェイヴァーの物語を掲載するようになった。そして雑誌の発行部数は(パーマーが部数伸ばしに成功していた)大幅に伸ばして記録を打ち立てた。シェイヴァーの「事実をもとにした物語」は――神秘的な洞窟や古代レムリア人、悪しきデロたちといった小道具をそろえて――読者の心を鷲づかみにした。

 これがどれだけのインパクトを与えたかは、雑誌に寄せられた手紙の多さにあらわれている。パーマーによればシェイヴァー以前に届いていた手紙の数は月に50ほどだったという。それがいまや、数千にものぼった。

 衝撃的なのは、量だけでなく、その中身だった。多くの読者は自分自身の「似た体験」をレポートしたがったのだ。かれらもまた洞窟のなかの奇妙な存在と出会っていた。「声」を聞きながら、光線にさいなまれ、レムリア人としての過去生を思い出した。隣人はデロだった。

 シェイヴァー・ミステリーが人気を博すにしたがい、このような手紙がパーマーの机の上に山積みになっていった。その結果彼は手紙部門(討論部門と呼ばれた)を拡張することにした。この部門でいくつかの手紙がピックアップされると、彼は回答を付し、つぎのように言ってのけた。「本誌の編集者は、声を聞く人々、あるいはレムリアのことを知っている人々の体験に興味津々です」。手紙部門が一般的な怪異現象のための討論の場となるのにそれほど長い時間を要しなかった。 

 シェイヴァーの物語とそのもととなった「事実」は、もっとも重要な話題でありつづけた。著者は確信を持っていた。「地球内部に滞在している間に、私は忘れられた日々の古代伝説と歴史を教わった。そのことについては6月号に掲載される第二の物語に述べられるだろう」

 このことは本当に問題なのだろうか。そもそもシェイヴァーは事実を語っているのだろうか。地球内部を訪ねたという彼の証言は本当だろうか。この質問にたいし、読者は信じる心と疑う心の両方を持っていた。パーマーは物語のひとつに対する反応について描いている。

 ほとんどの手紙は物語を物語として称賛するのではなく、それを事実として支持しようとするものだった。(あるいはフィクションとして激しく糾弾した) 真実かウソかの叫びの手紙があふれていた。

 真実性に疑問を投げかける手紙がある一方、抑制した手紙も少なくなかった。国立洞窟学協会のクリーブランド・グロット支部書記ベティ・ヨウからつぎのような問い合わせの手紙が届いた。

 拝啓。アメイジング・ストーリーズ誌のシェイヴァー氏の物語を読みました。そこには巨大洞窟の言及があり、おおいに興味を持つこととなった次第です。国立洞窟学協会は、休暇になると洞窟を発見し、研究し、何千マイルもの洞窟のマッピングを作ってきたメンバーで構成されています。われわれは地面にあいた小さな穴に関する記述にすら興味を持つのです。

 いまのところシェイヴァー氏が述べるようないかなる洞窟にも出くわしたことがないので、想像の産物なのか(もしそうなら、それはそれで見事な作品といえるでしょう)、あるいは主張の根拠となる何かを知っているのか、特定の洞窟や特別な国の地域を心に描いているのか、不思議に思います。

 われわれの記録のために、あるいは科学の興味のために、この件に関する何らかの情報をいただければ幸いです。

 一部の手紙は警告を含んでいた。もっとも有名な例でいえば、ホワイト・テンプル同胞団のドリールがコロラドから手紙を書いている。彼のアドバイスは洞窟の外で暮らせというものだった。ほかの警告、とくに自身をデロと認識した読者からの手紙はあきらかにジョークだった。

 パーマーは読者の反応を喜んだ。編集後記に彼は読者に知らせている。「この号が発行されれば、過去19年間、アメイジング・ストーリーズ誌に掲載されたいかなる文章以上に論議を巻き起こすことになるだろう!」 朝の郵便物は期待していた以上のものがあったと彼は述べている。

 シェイヴァー・ミステリー(パーマーいわく「シェイヴァーの物語、読者からの手紙、その他関連したもの」から成る)はアメイジング・ストーリーズ誌のページを生き生きとしたものにしつづけた。そして1947年6月号――シェイヴァー・ミステリー特集号――で絶頂に達する。「地底洞窟の内幕が明かされる!」という謳い文句が躍る表紙には、いっぱいに洞窟が描かれ、そのなかの巨大な、まがまがしい偶像群の下を車が猛スピードで走り抜けている。

 同時期に、論争がアメイジング・ストーリーズ誌からSFファンクラブにまで広まることになった。多くのSFファン(とくに質の高いアスタウンディング誌のファン)はシェイヴァー・ミステリーに立腹した。かれらはそれがインチキ、すなわちパーマーが世間を騒がせるために煽り立てたものであるとして弾劾した。それはサイエンス・フィクションの世界全体を嘲弄していると、かれらは主張した。かれらはしだいにシェイヴァー・ミステリーに終止符を打たせるよう世間に訴えはじめた。そして手紙書きキャンペーンを組織的に開始した。かれらは発行元のジフ・デーヴィス社に直接抗議の手紙を送った。

 あるファンクラブはインチキを暴露すると約束した。それに対しパーマーはこたえている。

 われわれはこの暴露に興味津々です。インチキでないもののインチキがどうやってインチキとして暴露されるのか、われわれも知りたいのです。シェイヴァー氏が物語のなかで語る言葉ひとつひとつをわれわれ自身が信じていることを、多くの読者が信じることのできないことを認識しています。しかし証拠が出てくるたびにわれわれはそれを提示するだけなのです。それをどう判断するかは、あなたたち次第なのです。

 しかしパーマーの回答はいっそう抗議のキャンペーン(パーマーはそれをデロのしわざとして非難した)を盛り上げることになった。1948年後半、発行人バーナード・デイヴィスは「シェイヴァーの物語はもうやめよ」と命じた。その人気は衰えていないにもかかわらず、シェイヴァー・ミステリーは、少なくとも雑誌上は中断を余儀なくされた。デイヴィスがなぜそのような命令を下したか、あれこれと詮索された。おそらく世間の反発にとまどったのだろう。あるいは激怒を呼んだことに驚いたのかもしれない。おそらく(パーマー自身が推測したように)政府からの圧力かもしれない。

 あるいは訴訟を恐れたのかもしれない。物語に触発された人々が、危険をかえりみず、レムリア人を探しに洞窟に入っていったのである。


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