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『第三の眼』は1956年11月に出版されると、ベストセラーになった。英国の読者は神秘的なチベットの真実の物語――僧院の生活の様子――にすっかり魅了されたのである。それは驚異に満ちた回想録であり、小説のように読むことができた。すぐにドイツ語版、フランス語版、ノルウェイ語版が出版され、それらも同様にベストセラーになった。
翌年、続編の『ラサから来た医師』が出版されようとしていた。この頃チベット学者たちからは、最初の著作に対し「粗雑な作り物」「厚かましいフェイク」「恥知らずの本」といった批判が噴出していた。そこにランパのあらたな本が出版されると聞いて彼らは激怒した。彼らは行動を起こすことにした。このペテン師が何者であるかあきらかにすることにしたのだ。私立探偵が雇われ、周辺を嗅ぎまわり始めた。そして1958年2月1日付のデイリーメイル紙の一面記事に「にせラマ」という見出しが躍った。
何千人もの人に第三の眼のチベット・ラマとして受け入れられている男が見事なにせラマであることが判明した。
彼はチベットから来たラマではなかった。彼はデボン州プリンプトン出身の配管工の息子、シリル・ヘンリー・ホスキンスだった。
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