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 ラマとしてはもう誰からも信用されなかった。しかしここで終わりというわけではなかった。すぐさま彼は逆襲に出たのである。まず彼はそれらしい説明を試みた。つまり彼(シリル・ホスキン)は本物のチベット・ラマのためにゴーストライターとして『第三の眼』を書いたのである。翌日四面楚歌の著者は――メディアへの声明をテープに録音して――ドラマティックに物語を書き換えた。

 ホスキンは主張する。数年前、木から落下して脳震盪に見舞われた。意識が戻ったとき、彼はもはやシリル・ホスキンではなく、ロブサン・ランパだった。チベット・ラマのアストラル界の霊魂が彼の体を乗っ取ったのである。

 こんな説明でメディアを満足させるはずがなかった。彼らは「ラサから来た配管工」を追い続けた。騒動は収まらず、一年以内にランパと家族はアイルランドを去り、カナダに移住した。彼はわずかな期間、ウルグアイに滞在したのを除いて、残りの人生をそこで過ごすことになった。彼は東洋の智慧の専門家として研究をつづけた。

 つぎの二十年間、ロブサン・ランパはとめどなく本を書き、出版しつづけた。『第三の眼』のようには売れなかったが、生まれつつあったニューエイジのサブカルチャーのなかに読者を見出した。1960年に三番目の著作『ランパ物語』が出版された。その中には彼が英国人の身体に転生するさまが描かれていた。

 転生は1940年代後半に起きたという。無職で、絶望していて、友だちもなく、英国の階級社会に嫌気がさしていたホスキンは裏庭の木に登った。フクロウを写真に撮ろうと考えたからである。枝の上を這ってフクロウに近づいたよき、枝が折れた。地面に体を打ち付けたホスキンは意識を失った。

 目覚めたとき、ホスキンはアストラル界にいた。ひとりのチベットのラマが近づいてきて、ほほえみながら、恐れることは何もありません、と言った。そしてあなたの体を空けてくれませんか、とたずねた。あるラマが、健康上の失敗を犯してしまったのだけれど、東洋の智慧を西側へ伝えるという使命が残されているというのだ。

 ホスキンに対してどういうメリットがあるか、説明された。体を差し出すことで彼は人類を助け、そうすることで「月並みな人生」に目的を与えることになるのだという。さらには、彼はカルマを払拭し、輪廻を終わらせることができるのだ。こうして彼には黄金の光の国への即座の道が保証されるのだ。

 ホスキンはためらいながらも興味を示したが、まず黄金の光を見たいと考えた。すると即座にそのヴィジョンが出現した。それは表現できないほど美しい光景だった。もはや申し出を断る理由がなかった。

 こまかい段取りがつけられた。髭を生やすのもそのひとつだった。体に入ってくるラマがそう主張したのである。決心するまでに一か月の猶予が許された。

 それから計画通りにホスキンはもう一度木に登り、意図的に落下した。彼はまたも頭を打ち、アストラル界で目を覚ました。そこではラマの一団が作戦を統御していた。シリル・ホスキンは体から解き放たれ、黄金の光の国へと放たれた。そしてロブサン・ランパがホストの体に投入されたのである。

 

 


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