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 ロブサン・ランパは(サラに言わせれば「新しき人」は)職探しを始めたが、うまくいかなかった。たまに雑誌に記事を売ることができただけだった。『第三の眼』が出版されるまで、夫婦のやりくりはたいへんだった。

 カナダに移住するまで世評は――家計ではなく――ひどかった。メディアは彼を追っかけ、攻撃した。街角で彼を見かけた人々は彼に近づいた。家の郵便受けは精神的アドバイスを求める人々の手紙であふれた。人目をひくことで、彼はかえって隠遁生活を送るようになっていた。住宅地のなかとはいえ、プライバシーを守るために彼は一種の著名隠遁者になったのである。

 メディアとチベット学者たちは依然として彼がインチキ・チベット人であると騒ぎ立てていた。ランパは言い返しをしなかった。彼は学者たちを軽蔑の眼で見ていた。

 

 われわれは「専門家」とか「チベット学者」を信用しすぎるべきではない。ある専門家とほかの専門家の意見が食い違うことはよくあるし、何が正しくて、何が間違っているか、同意を見ることはあまりない。チベット学者の多くが七歳で僧院に入ったわけでもないし、チベット人としてずっと生きてきて、西洋人の体を乗っ取った者もいない。私はそうなのだが。

 

 こうした非難やつのる健康問題にもかかわらず、彼は本を生み出しつづけた――1981年の彼の死まで。本のテーマと質はさまざまだったが。『かくのごとし』は自伝だった。一章は黄金の光の国からシリル・ホスキンが書いたものだった。『永遠のあなた』は発展しているサイキックパワーのハンドブックだった。『サフロン色の衣』はチベット仏教に関する本だった。『隠者』はエイリアンにさらわれる年長の聖人の物語、『古代の智慧』はアビニヴェーシャから禅までさまざまなトピックを扱った形而上学の辞書だった。『ロウソクの明かり』はメディアによる彼の迫害について書かれた本だった。『ラマと暮らして』は飼い猫フィフィの自伝だった。これはテレパシーを通じてランパが書いたもの。数冊の著書は読者の質問に対する答えとして書かれたもの。

 もっとも人を鼓舞する本は彼の死後現れた。「行方不明だった草稿」とされる『アガルタ訪問』は2003年にインナー・ライト・パブリケーションズから出版された。伝説的な場所を訪問したランパの手記である。

 

 


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