中国西南少数民族地帯をゆく(1)

宮本神酒男

ミャオ族には郷愁を感じる

 90年代初頭、私は雑誌編集の仕事を小休止し、居を香港に移すと、時間が許す限り、いわゆる中国西南少数民族地帯を旅して回りました。日本で購入したマウンテンバイクを香港発海口(海南島)行きのフェリーに持ち込み(少し前、香港から陸路で持ち込もうとしたときは国境で拒否され、失敗しました)、何年間かはバス・汽車と組み合わせて、山の奥の村々にまで入っていくことができました。私は大陸縦断とかそういうのには興味がないので、長距離を移動するときは自転車をバスや列車で運んだのです。

 西南少数民族という言い方は、日本でなじみがないかもしれませんが、中国ではよく耳にします。おそらく『史記』や『漢書』に登場する西南夷が現代語に言い換えられたものでしょう。それら史書に西南夷として記されるいくつかの部族は、ほとんどが現在の雲南、貴州、四川、広西などに分布するチベット・ビルマ語族、つまりイ族、ナシ族、チャン(羌)族、ハニ族、リス族、ラフ族などにあたります。その主流はかつてロロ族と呼ばれ、解放後夷(イ)族にちなんで民族名がつけられた彝(イ)族です。

 西南少数民族地帯をはじめて回った日本人は鳥居龍蔵(18701953)でしょう。1902年の調査については、鳥居の著書『中国の少数民族地帯を行く』(朝日選書)に詳しく書かれてあります。ロロ(イ族)がこまかく白と黒に分かれていたことがわかります。残念なことに、鳥居は一度踏査したのみで二度と中国西南に足を踏み入れなかったため、祭りにはほとんど触れていません。この地域の祭りは多彩で、民族色に富み、なかにはとても変わったものもあるのですが、鳥居はそうしたものを目にすることはありませんでした。

銀で飾り立てたミャオ族の少女たち


ミャオ族の歌垣体験、誘惑されて

 中国西南に入る前、私はモンゴルや中国、東南アジアに「日本人の源流」を探し求めていた作家・教育者の森田勇造さんと話す機会があり、そのとき「いままで訪ねた場所や人々のなかで、もっとも日本人に近いと思ったのはどれですか」と聞いたことがあります。そのこたえは「貴州省のミャオ族」でした。もしいま私がおなじ質問をされたら、やはり貴州省のミャオ族とこたえるでしょう。日本人の古層のなかに、たしかにミャオ族のなつかしい姿があるのです。

 こういったいきさつから、私は最初の地として貴州省台江県施洞郷を選びました。ちょうど姉妹節という祭りが開かれる時期でした。先に述べたように、マウンテンバイクを中国内に持ち込むことができなかったため、私は貴州省の貴陽まで列車で行き、そこで買い物自転車のような安っぽい自転車を買いました。そこからサイクリングでミャオ族の都というべき凱里という町をめざしたのです。ところがすぐに両ブレーキが壊れ、急な下り坂で停まることができず、そのまま猛スピードで頭から水田に突っ込んでしまいました。仕方なく自転車をあきらめ、トラックをヒッチして凱里にたどりつきました。

 凱里から施洞へ行くバスのなかでトン族の青年と知り合いました。彼の友人のミャオ族の女性が施洞にいるということでした。結局その女性の家に2、3日泊まることになりました。この家ではお茶はあまり飲まず、川(清水江)の水を沸かしてそのまま飲んでいるのが気になりました。彼女のお母さんもおばあさんも足を悪くしていて、ほとんど歩けなくなっていました。川の上流から汚染された廃液が流されていたのではないかと思いました。

彼岸のどこかへ彼女らは帰っていく

 この姉妹節や、苗年(ミャオ族の新年)のとき、女性は全身を銀で飾ります。家を出て祭りの会場へ向かって彼らが歩くとき、銀がこすれてかすかなシャラシャラという音を響かせます。これがとても美しくて、心にしみこんでくるような気がしました。会場で十数名の娘たちが踊るときも、銀飾をめいっぱいつけているので、手足をほとんど動かさないままゆっくり舞うことしかできません。それでいっそう彼女たちはしおらしく、たおやかに見えるのです。

 私は踊りをゆっくり見たかったのだけれど、施洞の娘は祭りには興味ないといったふうで、村に戻りたがりました。夕暮れ時、彼女は私の手を引っ張って丘の上の草むらに分け入っていこうとしました。私は何がなんだかわからず、
「どこへ行くの?」と間抜けな顔で聞きました。
「マーラン(馬郎)よ、今日は」と彼女は言いました。
「えっ、マーラン?」
 私はそのとき意味がよくわからず、キョトンとした表情を浮かべていたにちがいありません。
 あとで調べると、馬郎というのは若い男女が口笛や笙などで合図をして落ち合い、裏山に入り、歌をうたったりして楽しむことなのだそうです。日本にも昔あった歌垣がそれに近いものでしょう。
 ともかくこういうふうにして、西南少数民族の風俗を体験的に学ぶことができたのです。

民族衣装姿の若き日の私(左)とトン族の青年

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