岩絵は語る
スピティにボン教は来たのか(上)
宮本神酒男
何年か前、西チベットとチャンタン高原を旅して以来、土地の醸し出す霊力のようなものに敏感になった。たとえば古代シャンシュン国の都であったかもしれないキュンルン・ングルカル(写真)に立ち、その霊力に圧倒された。シャンシュンの王たちは、立地条件や利便性よりも、霊力のある場所を都に選んだのではなかろうか。
国境で隔てられているとはいえ、西チベットから山を越えたところにあるインド・スピティは、シャンシュン的な香りを漂わせている。もっとも霊力を感じさせるのはダンカル・ゴンパ(写真)である。僧院の建つ崖の麓から岩を這い登っていくと、なにか物の怪のようなものを感じた。
スピティでもうひとつ好きな場所、正確に言えばそれほどでもなかったが、見直して好きになった場所が、タボ・ゴンパ(写真左上)である。この数年、何度も訪ねているのだけれど、今回タボ・ゴンパ周辺におびただしく散在する岩絵と岩窟をじっくり見て、ここにタボ・ゴンパを核とするエネルギー場があることを実感し、認識をあらたにしたのである。
僧院の向かいの山肌には、半数が埋もれたり、崩れたりしているものの、およそ五十の岩窟を確認することができる。古代にはおそらく全体で百以上の岩窟があったのではないかと思われる。その集合住宅的な形態は西チベット・キュンルン地区のダパやパンタ、キュンゴ、マンナン(写真)などと共通するものがある。
タボの洞窟のひとつ。岩絵は、さまざまな人々によって長い時間のあいだに描かれてきたが、多くはタボ・ゴンパ建立以前だろう。考古学者のラクシュマン・タコール氏は、それらの大半は仏教ではなく、ボン教と関連しているのではないかと見ている。寺院のすぐ近くに残るチョルテン群遺跡(写真上から2番目)さえボン教のものとみなしているのだ。
私はこのチョルテン群遺跡はタボ・ゴンパ建立時に建てられた仏教チョルテンではないかと考えている。しかしなぜ放棄され、遺跡となってしまったかと問われれば、答えに窮してしまう。
聖なる建築物は、異教徒の聖地に建てられることが多い。私は、タボ・ゴンパはもともとシャンシュン国のボン教か民間宗教の聖地であった場所に建てられたのではないかと考えている。岩絵がおびただしく残っているのはそのためだ。
(つづく)千年の歴史を誇るインド・スピティのタボ・ゴンパ。
タボ近くのチョルテン群。仏教遺跡ならなぜ荒廃したのか。
僧院の向かいの丘にある洞窟群。もとはシャンシュン遺跡か。
仏教、ボン教以前の岩絵。タボのすぐ近く。
人やアイベックスなどの絵。これも相当古い。
ひとつの岩に絵や記号がぎっしりと描かれている。
犬だろうか。
ほかの絵とタッチがちがう。動物が走る様子。
これは仏教のチョルテン(ストゥーパ)だろう。