秘宝を探して
スーフィー秘密集会
ピール・ヴィラヤト・イナーヤト・ハーン 宮本神酒男訳
創造
5.1 鏡
弟子(ムリード)*「私は私のほんとうの自己について知りたいのです。クルアーン(コーラン)に述べられる通り、私の人間性のよいところも悪いところも、より深い真実のあらわれであることを理解しています。もしそのより深い真実が神であるなら、それがどうして私のほんとうの自己だといえるでしょうか。私はバスターミー*のように、おのれが神だなんて仮定することはできません」
*ムリードはイスラム神秘主義における弟子、あるいは新弟子のこと。導師にたいして「死体洗い人の前の死体」のようであらねばならない。その指導のもと、修道場で共同生活を送る。
*バスターミー 874年没。陶酔の人と呼ばれるスーフィズムの神秘家。
ピール・ヴィラヤト*「思い起こすがいい、われわれは神の条件のひとつであることを」
*ピール・ヴィラヤト・イナーヤト・ハーン(1916−2004) インドの神秘家ハズラト・イナーヤトの長男だが、ロンドン生まれの英国人。ソルボンヌやオックスフォードで学んだ。スーフィー・オーダー・インターナショナルの代表を務めたスーフィー哲学の専門家であり、瞑想の師でもあった。
*ピールはペルシア語でイスラム神秘主義における導師のこと。アラビア語ではシャイフ。タリーカ(スーフィー教団)の導師としてムリード(弟子)を導く。
弟子「もう一度私は具体的な質問をしたいと思います。抽象的な質問ではありません。どうしたら私は自分がほんとうに誰であるか知ることができるでしょうか」
ハズラト・イナーヤト*「魂は自身を見ることができない。目が自身を見るためには、鏡にその像を映して見なければならないように」
*ハズラト・イナーヤト・ハーン(1882−1927) インド伝統音楽の演奏家。スーフィーを西側にはじめて紹介した。『音の神秘』は唯一日本で翻訳出版された。
弟子「スーフィーの教えには頻繁に鏡の像のことが現れます。これはどういう意味なのでしょうか」
イブン・アラビー*「真実(神)は自身を知っている。神は自身によって宇宙を知っておられる。神は自身の姿のうえに宇宙の存在をあらしめられた。それゆえ、神は鏡のうえに自身の姿をごらんになったのだ」
*イブン・アラビー (1165−1240) 神秘主義者であるとともに哲学者でもあった。
ジャーミー*「愛される者(神)は、見えない孤独のなかにその美をあきらかにされた。神はご自身の顔の前に鏡をお立てになった。神は神ご自身への愛情を示された。神ご自身が見るものであり、また見られるものである。神は本質においてその属性と質が完全体であると見ているが、別の鏡に映されるべきだと、また、さまざまな形で神の永遠の属性が明らかにされるべきだとお考えになっている。それゆえ神はこの緑豊かな時空間を、また生を産み出す庭というこの世界を創造されたのだ。あらゆる枝が、葉が、果物が、神のさまざまな完全性を示しているだろう」
*ジャーミー (1114−1192) ジャーミーは人間の愛こそ神の愛につながると考えた。というのもそれによって個人のエゴが滅せられるからだ。
質問者「スーフィーはどうして鏡の重要性にこだわるのでしょうか」
ピール・ヴィラヤト「鏡はわれわれの身体の外側から見た位置取りを見せることによって、われわれ自身の情報を与える装置である。鏡の使用は人類の知性において飛躍的な進歩をもたらした。人の像は主体ではなく、客体として映し出される。それゆえ自身の情報を得ることができる。この映し出された自身の像を学ぶことによってわれわれは像との同一性が絶対でないことを知る。いかに同一性がいい加減なものであり、作られたものであるかに気づかされるのだ。しかしながらこの鏡像をわれわれのアイデンティティーだとみなしたら、それもまた間違っている。それはわれわれの多次元的アイデンティティーとは異なるものである。
スーフィーの師匠たちは心の鏡を内側に向けよと言う。そうすれば心理学的な環境から来る印象、あるいは魂を悩ませる印象、すなわち脅迫的な観念は消え去るだろう」
ハズラト・イナーヤト「もしあなたがあなた自身のなかに自由を見つけたら、あなたの魂はその存在のかわりに客体を映す鏡であることを発見するだろう。鏡を内側に向けたら、像は消えるだろう。人生のすべての喜びも悲しみも、浮き沈みも、魂の幕の上に映し出されるだろう。そして鏡が内側に向けられると、鏡の像は消えるだろう。
ブラインドを鏡の前に置くといい。意識は内側に向くだろう。内側を向くためにスーフィーは扉を閉める。扉を通して魂は外界を見るのに慣れ、ひとたび閉じられた体験の扉を魂が見つければ、外的世界に向くときがまた来るだろう。あなたはあなた自身のなかにある種の宇宙を見出すことになる」
ピール・ヴィラヤト「宇宙全体があなたのなかで形成されようとしていることをあなたは認識するだろう。あなたのなかに現れる宇宙を認識する行為そのもののなかに、不正確な自己イメージがある。鏡が外側に向けられたとき、人は物理的世界を見るだけでなく、自己イメージをも見るということだ。そして鏡が内側に向けられたとき、その人自身の真の存在を見出すことになる。鏡を内側に向けるというのは、いいかえれば鏡を外側に向けようという衝動をおさえるということであり、また自我の束縛からのがれるということなのだ」
弟子「しかし私は私がだれか知りたいのです。私がだれであるかを知るために、外的世界に背を向けて冷然であってもいいものでしょうか」
ピール・ヴィラヤティ「私はそれを冷然というより超然と呼びたい。もしあなたが、あなたがだれであるかということに関し、まちがった認識をしていると悟ったら、自己イメージから解放されるのも難しくはないだろう。超然とした態度によって、あなたの不正確な自己イメージを脱することができる。とはいえ、あなたのなかに隠されている宇宙の探求にあなたは熱中するかもしれないが」
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