事前に警察が踏み込むとの情報あり
数時間前、つまりその日の夕方、部屋の電話が鳴った。三日間チャーターしてすっかり仲良くなったタクシー運転手からだった。40歳の坂東英二といったふうでウイグル族にしては漢族っぽい顔立ちだが、気さくで好感のもてる男である。
「夕飯でも食おうぜ。外で待ってるから来てくれ」
そう言うや電話は切れた。食事の約束にしてはあわただしかった。
ホテルを出て通りを渡ったところにタクシーが停まっていた。私は後部座席に乗り込み、彼が緊張しているのをいぶかしく思っていると、
「いいか、よく聞け。今日中にこの町を出て行くんだ」
と、体はそのままで顔だけすこし振り向けて、言った。
「えっ、どういうことだ?」
「警察がおまえを捜していると聞いたのだ」
「なんでおれを捜しているのだ?」
「いいから出て行け。列車の時刻はフロントの服務員に聞けば教えてくれるだろう」
事態を把握していない私はキョトンとして座席に坐っていた。
「なにボッとしてるんだ。飯なんか食ってる場合じゃないぞ」
それでも私はまだ推移を飲み込むことができなかった。昼間、ウイグル族の村でシャーマン儀礼を見たことが問題なのだろうが、それのどこが悪いのか、理解できなかった。私はいろいろなところでシャーマンに会っているが、中国でも数多くのシャーマンに会っていたし、儀礼を目にする機会もすくなからずあったからだ。
ホテルに戻り、かわいらしくて性格のよさそうな服務員に列車の時刻を尋ねると、
「今日はないと思うわ。あしたの正午の列車なら乗れるんじゃないかしら」
と、当たり障りのない言い方をする。
実際は夜から未明にかけてかなりの本数があるのだが、始発でないため、座席や寝台を取るのは相当むつかしいのである。そう言われたら、チェックアウトしようという気になれない。しかもちょうどあわせたようにおなかがゴロゴロいいはじめ、トイレにかけこまねばならなかった。
下痢をした状態で、乗車券のあてもなく駅に行くわけにもいかないので、私は覚悟を決めて警察を待つことにした。それでも運転手のことばには半信半疑だった。警察は来ないのではないか。いったい私がなにをしたというのだろう。四川省南部の大涼山で公安(警察)に「シャーマン儀礼は迷信活動だ」と注意されたのは、十数年前の話である。しかもそのときは注意した公安自身の紹介によってシャーマン儀礼を見ることができたのだ。
私の考えは甘かった。ウイグル族の場合と四川のイ族の場合ではまるっきり違うのである、大涼山イ族が何年間も共産党の「解放」にあらがった民族であったとはいえ。中国政府にとってウイグル族は、イ族はもちろん、チベット族以上にやっかいな存在なのである。2007年1月には新疆西部のパミール高原にあったウイグル族の秘密軍事訓練基地が攻撃され、17名の死者が出たとされる。ウイグル族からタリバンやアルカイーダに参加した者も相当数いるといわれ、たんなる独立要求からテロ行為にシフトしていくことを政府は懸念したのである。ウイグル・テロリスト掃討作戦のとき、近くの町カシュガルで米映画『君のためなら千回でも』のロケが行われていたのは、当局の要領のよさを物語っているだろう。
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