キー・ゴンパで(またが)られる喜び 

 スピティのキー・ゴンパも円錐型の丘に立つとても美しい寺院です。不思議なことにだれが建てたのか、はっきりとはわかっていません。11世紀にアティーシャの弟子ドムトンによって建てられたという説明がされることがありますが、それは著名なチベット学者(にして宣教師の)フランケの勇み足で、ありえません。スピティ川をはさんだ向こう側にランリクという村がありますが、そこに建てられた(14世紀頃までに壊された)古い寺と混同してしまったのです。

 そのランリクの菜の花畑から遠景のキー・ゴンパを撮影しました。ちょうどナーガのフード(覆い)に庇護されて眠るヴィシュヌのように、扇のような岩山に包まれてキー・ゴンパが眠っているように見えます。

O・C・ハンダ氏自身の筆によるデッサン画 

 シムラ北郊在住の地元の宗教民俗研究者O・C・ハンダによると、サキャ派によって(14世紀はじめ?)建てられた可能性が大きいようです。しかしいったいだれの指揮のもと、だれの設計によって、だれの手によって建てられたのでしょうか。11世紀頃に建てられた西チベットのリンチェンサンポ式の寺院は、平坦な、安定した場所が選ばれる傾向があります。インド仏教方式といってもいいでしょう。

 しかし14世紀以降になると、すべてというわけではありませんが、崖の上にそびえたつようなタイプの建築様式が一挙に増加するのです。私はそれが自然のなかで、自然を利用して城砦を築いてきたチベット人の遺伝子ではないかと考えています。それについてはまたあとで説明しましょう。

 さて、17世紀半ば、ダライラマ5世の時代、中央チベットはモンゴルの軍事力を借りてこのあたりまで勢力圏を広げてきました。キー・ゴンパが現在ゲルク派に属するのはそのためです。ダライラマ法王がここで2000年にカーラチャクラのイニシエーションを開いたのも、ここがゲルク派の寺だからです。

 私はこの寺院を何度か訪ねたことがありますが、そのうち2回はチャム(宗教仮面劇)を観るためでした。チャムというのは、ボン教寺を含め、だいたいチベット寺であれば大小を問わずどこでもやっているので、それほど珍しいものではありません。チベット文化圏全体で何百の、あるいはそれ以上の寺院で上演されているのではないかと思います。

 しかしおそらくほかではない(あまり自信がないので、ほかにあるようでしたら教えてください)珍しい光景が見られます。上演が終了したあと、出演していた仮面の僧侶たちが寺の領域のはずれ(境界)まで行進し、そこで矢を放ったり、三角形の枠のなかに入ったリンガ(魔物の像)を燃やしたりするなどの駆邪儀礼をおこないます。

これ自体はチャム愛好家にとっては珍しくないのですが、寺院の中庭(会場)から境界までのあいだの道に、善男善女がずらりとうつ伏せになって並ぶところが新奇です。彼らは踏みつけられるのを待っているのではなく、跨られるのを待っているのです。

日本の神社の茅の輪くぐりといっしょで、縁起物だと思います。はじめてキー・ゴンパのチャムを見たときは、この習俗に気づきませんでした。この年は雨が降っていたので、中止になったのかもしれません。そういえばインドでは神様の御輿が通るとき、人はその下をくぐろうとします。これもおなじ理屈で、神聖なるものが上を通ると(正確には神聖なるものの下を抜けるのですが)縁起がいいのです。


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