崖の上の浄土
別の項で述べたように、私はこの崖の下からダンカル寺まで登ることによって、「崖の上に立つチベット寺院」を体感することができました。海抜3870mと、富士山頂より100mほど高いところにあって空気が薄いせいか、寺にたどりついたときは心臓が飛び出しそうなほど鼓動を打っていました。
スピティの宗教と政治の中心地であったダンカル(寺院+ゾン)は、17世紀から19世紀にかけて何度か外敵からの襲来を受けています。そのなかでも有名な話が、1688年のラダックの使者がダンカルを訪ねたときの事件です。ダンカル側は使者たちを追い払うどころか歓待し、とことん楽しませました。しかし頃合いを見計らってダンカル側は使者たちをこの崖から突き落としたのです。地域の強国であったラダックにたいし、スピティは不従順の意思を示したのです。その後1764年にはブシャル人に侵攻され、1841年にはドグラ軍、おなじ年にシーク軍に侵略されています。
ダンカル寺の創建は11世紀か遅くとも12世紀とされますが、吐蕃のソンツェンガムポ王(7世紀前半)の時代とする伝説があります。普通にはありえませんが、洞窟が多いといわれるこの崖は、シャンシュン国のゾン(要塞+王宮)だったのかもしれません。シャンシュンの拠点のひとつなら、ソンツェンガムポ王がシャンシュンを平定し、寺院ではなかったとしても、チベットのゾンを置いた可能性はあります。(シャンシュン国のゾンが造られたのははるか昔のことということになる)
ところで崖を登って寺に到達したとき、出迎えてくれたのは、光り輝く僧侶でした。本当に光に包まれたように見えたのです。仏教だけでなく、キリスト教などほかの宗教でもときおり見られますが、すべての欲望を滅したような尊い聖職者に出会うことがあります。この僧侶もそのひとりでした。何の執着もないかのように、彼はさわやかにほほえんでいました。
その人がどのような生活を送っているのか、どんな考え方をしているのか、見た目にあらわれるものです。きちんとした服装をすればするほど、逆に隠そうとしているものがあらわれてくるのです。日本のような文明の汚辱にまみれた社会ではなかなかむつかしいかもしれませんが、チベットの人里はなれた、過酷だけれど美しい自然のなかでなら、サンガ(僧伽)で生活するだけできよらかな心をもつことも可能かもしれない、などとこのお坊さんと会話をかわしながら、私はつらつら考えていました。
すべてのものに仏性はある、というときの仏性をここでなら見出すことができるでしょうか。どうしたら原初仏(アディ・ブッダ)を私は見つけることができるでしょうか。
その仏性は、ヒンドゥー教のアートマンとどう違うのでしょうか。ブラフマンとアートマンの合一(梵我一如)、すなわち宇宙と真の自己との合一は、切って捨てるには惜しい思想ではないでしょうか。イスラム教のスーフィの思想も究極的にはおなじではないでしょうか。そういったとめどない考えが、泡沫(うたかた)のごとく現れては、消えました。
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