天の虹と地の虹と心の虹と 


ザンスカル(Zangs dkar)のランドム(Rang 'dom) 

 それはたまたまのできごとだったのかもしれません。
 ザンスカルのスールー谷に、氷河や峡谷がいくつも(おそらく7つ)流れ込んだ大きな風景地区があります。そこに地層の縞模様が流れているように見える峻厳な岩山があります。その縞模様の川が流れ着くところにランドム・ゴンパという朱色のチベット仏教寺院があります。こんな山肌見たことないなあ、まるで「地の虹」のようだ、と私は見とれました。しかも目を凝らしてよく見ると、岩山は二つの山が重なった二重山なのです。まるでだまし絵のようです。

 そのとき突然、まるで神の啓示のように虹が架かりました。山の麓で草を食む幸福そうな馬の群れを包みこむように虹が現れたのです。こんなに低いところに虹は架かるものなかのかと、いぶかしく思いましたが、放牧されている馬たちからすれば「天空の虹」に見えたかもしれません。

 虹というのは光学的な現象です。アイザック・ニュートンのプリズムを使った光学実験を思い浮かべてください。光線はプリズムを通過したあと、分解されて虹のようになります。自分の身体のなかにプリズムがあったなら、光線(これを啓示と呼んでもいいでしょう)を受けて、虹を現出するにちがいありません。

チベット仏教が「虹の身体」(ジャ・ル)にこだわるのも理解できるような気がします。人は修行することによって(たとえばゾクチェンの修行をすることで)身体の内側にいわば(あくまで比喩的に)プリズムを会得するのではないでしょうか。高僧がこの世を去るとき、肉体は残さず、虹になると言います。

 私ごときろくに修行もしたことがない凡人が虹を語るのもはばかれますが、でもランドムでこの虹を見たとき、虹になりたいと強く願いました。天と地(山肌)と心とのあいだに、なにか調和が生じたような気がしたからです。

あるいはそれは死の願望だったのでしょうか。自分が分解されて、虹となり、自然のなかに回帰したいという願望だったのでしょうか。



 私はこのあとも折に触れて、チベットの奇異な山や川、岩、崖などを紹介したいと思います。チベット、というより西チベットを中心とした古代シャンシュン国の人々は自然に畏敬の念をもち、崇拝していました。それはきわめてプラクティカルな現象でした。なぜなら、海抜0m附近に住むわれわれが日常的に見ることがない、信じがたいほど美しい風景、奇異な光景に彼らは囲まれていたからです。

 ソンツェンガムポ王(7世紀)やティソンデツェン王(8世紀)の時代に仏教が入ってきたとき、ボン教徒が激しく抵抗したのは当然のことでした。低地に生まれ育った仏教には、チベットの風景がもつ神々しさ、聖なるパワー、エネルギー、奇跡を起こす力が欠けているように感じられたからです。

 いまもある地域(四川省のアバ州やチベット自治区のナチュ地区、ネパールのドルポなど)でボン教の勢力が仏教を凌駕しているのはそのためです。日本の仏教徒からすれば、なぜいまだに仏教ではなく、ボン教を信仰しているのだろうかと不思議に思うでしょうが、ボン教徒からすれば仏教よりも低く見られることには釈然としない思いがあるのです。

 ただし仏教の伝播に対抗するために、ボン教はあまりにも仏教的要素を多く取り入れすぎてしまいました。その結果、皮肉にも、見た目には仏教徒とボン教徒の区別が非常にむつかしくなったのです。


 タイトルの「チベットの理想郷を探して」についてひとこと。シャングリラはいうまでもなくジェームス・ヒルトンの小説に出てくる架空の場所であり、シャンバラはカーラチャクラ経典(時輪経典)とセットになって登場するある種のユートピアです。ボン教のオルモルンリンは、ボン教版シャンバラといってもいいでしょう。

 しかし私は、理想郷(シャンバラやオルモルンリン)は外の世界に求めるものではなく、内に求めるべきだと思います。上のランドムに出現した虹を見てください。虹の下の馬の群れが草を食んでいるあたりは、理想郷のように見えます。おそらくこれはわが心の内の風景なのです。奇妙なことを言っているように聞こえるかもしれませんが、めったに出現しない虹が出現したランドムは、存在感がきわめて希薄ではないでしょうか。おそらく馬たちがしあわせに過ごしているこの地は、私の心のなかに存在しているのです。

 チベット人は理想郷を求める遺伝子をもった人々です。彼らの理想郷は、シータ川の向こうとか、中央アジアのどこかでなく、このすばらしい風景のなか、あるいは彼らの心のなかにあるのです。

 

⇒ つぎ