古代シャンシュン国の遺民
亡国シャンシュンの遺民たちの一部、とくに兵士たちは、そのままチベット帝国(ヤルルン朝)の軍隊に組み込まれました。しかしほかの人々はどうなってしまったのでしょうか。国が滅んでから千数百年もたつのですから、記憶をとどめる人は皆無でしょう。それでも何らかのかたちで国の残滓をとどめているにちがいありません。
まず、調べてみたいのは周辺の民族です。カイラース・トレッキングの出発点であるネパール・フムラ地方に住むニンバ族は大きな手掛かりを与えてくれます。断っておかなければならないのは、ニンバ族はチベット人であるということです。国境近くに住むニンバ族のほか、グルン族、タカリ族、タマン族のなかにはチベット人とすべき人々が混じっていることがあります。私もタマン族といいながら実際はチベット人の村を訪れたことがあります。シェルパ族やヨルバ族は方言がきつい言葉を話すチベット人です。このように「チベット人」と名乗るのを避ける傾向にあるのは、政治地理学的問題でしょう。
私はニンバ族のダングリ(宗教祭司)やダミ(シャーマン)と会い、儀礼を見せてもらったことがあります。また祭りのとき、人々の踊りについて興味深い考察を聞かせてくれました。
ダングリによると、ニンバ族にはドゥワ氏族とキュンバ氏族の二大氏族があるそうです。このキュンバのキュンは、キュンルンのキュンとおなじで、伝説的な鳥ガルダを意味します。このキュンバ氏族の祖先は、キュンルンの最後の3家族の子孫だという伝承があるというのです。そうするとニンバ族の一部はシャンシュン国の遺民にほかならないということになります。
そもそもフムラもシャンシュン国の一部であったと言われています。隣のチベット側のプラン(タルコット)はシャンシュン国においても、グゲ王国においても、もっとも栄えた町のひとつでした。交易の中心地だったのです。プラン周辺は洞窟群だらけなのですが、軍事的に今も重要な場所であるため、ほとんど写真を撮ることができませんでした。
祭りのときの彼らの踊りは「ガルダの踊り」でした。手にもつ杖はナーガを表します。ニンバ族の家を訪ねると1階の家畜小屋の奥には、かならずナーガを祭る祭壇があるのです。このガルダ+ナーガ崇拝はボン教に特有のものです。もちろんガルダ崇拝、ナーガ崇拝は仏教、ヒンドゥー教にも広く見られるのですが、ボン教の場合はそれが徹底されているのです。しかし近年になるまで、それがボン教とは認識されませんでした。シャンシュン国の中心的な宗教はボン教であり、ガルダ、ナーガ崇拝はその一環だったのですが、シャンシュンが滅んだあと、その民俗風習だけが残ったのです。
最近はフムラ出身者でボン教を信仰する人が増えてきました。インドのボン教の中心地であるドランジでも何人かのフムラ出身者と会いました。しかし全体的にはまだまだ仏教徒(ニンマ派やサキャ派)のほうが多いのです。
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