キナウルのカイラースから冥界へ
キナウル(Kinnaur)は、『マハーバーラタ』に出てくるキンナラ(Kinnara)と、それはつまり仏教の天竜八部衆に数えられる緊那羅(キンナラ)でもあるのですが、非常に関係が深いといわれることがあります。八部衆は仏教の守護神なのですが、そのモデルとなった人々だというのです。実際、キナウル人自身が「われわれはキンナラのように顔が馬に似て、音楽が得意である」と自慢げに語るのを聞いたことがあります。真偽のほどはともかく、キナウル人がヒマラヤの奥深くにいにしえから住んでいたのはまちがいありません。
しかしボン教徒にとって、キナウルは違った意味で特別な存在です。すでに述べたように、シャンシュン国の国教はボン教であったとボン教徒は信じています。そんな彼らにとってキナウルが注目されたのは、わずかに残っているデータをもとにシャンシュン語を再構築したところ、キナウル語ととても似ていることがわかってきたからです。そうするとキナウルはもともとシャンシュン国の一部であったか、あるいはシャンシュン国の中心地だったのではないか、と想像力を掻き立てられるのも無理はないでしょう。
キナウルの中心地のひとつにチニという古い村があります。交通の要衝であるレコンピオから高度差で400m上にある観光の村カルパの一部になってしまっていますが、もともとここに王宮がありました。このカルパやチニから、目の前に迫ってくるかのような巨大な山が見えます。これがキナー・カイラシュ山(最高峰はジョルカンデン峰で6473m)なのです。
このチニは、シャンシュンを成す18国のひとつツィナでしょうか。音が似ているというだけで同一である証拠とはいえませんが、チニはシャンシュン国全盛の頃の地域の中心地でした。
キナウル(チベット語でクヌ)がシャンシュン国の一部であったとして、気になるのはラン族のように亡魂をシャンシュン国の都(それは現実に存在するが、同時に観念的な存在でもあった)に送る習慣があるかどうかです。
私はキナウルの2つの村の死者を送る祭りに参加したことがあります。ひとつはパンギ村のダクライニ祭であり、もうひとつはチャガオン村のウキャン祭です。
キナウルでは古くから死者をラルダン(Raldan)に送ってきました。亡魂はラルダンから冥界に入るのです。カイラースという名が冠されているので、山頂から冥界に入るかのように錯覚しがちですが、このラルダンは、パルヴァティ峰の隣の水が湧き出るあたりにあるのです。この泉は冬でも枯れないといわれます。死者はここから異界に入り、永遠の安住の地に達するのです。泉は世の中に無数にあります。しかしこの泉はもっとも高いところにあり、もっとも純粋なのです。この泉の水はもっとも純粋な世界(冥界)からやってくるのです。
この冥界はシャンバラでしょうか。この冥界はけがれのない世界であり、魂がやすらう一種の理想郷であることはまちがいないでしょう。
パンギ村のダクライニ祭は、2年連続で参加しました。真夏のある日、村人はピリ山の4300mの地点まで6時間くらいかけて登ります。一年以内に家族を亡くした家族は左側から、それ以外の家族は右側から登ります。右側から登るとき、人々は歌をうたいながら登るので、文化を知るにはそちらのほうが都合いいといえるでしょう。上に着いてからも輪になって歌いながら踊ります。
じつは登りはじめてまもなく、私は突然たいへんな痛みに襲われてしまいました。最初は足がつっただけだと思ったのですが、足のいたるところで断続的に痙攣が発生し、約40分も、もがき苦しむことになってしまいました。あまりに苦しくてこのまま死んでしまうのではないかと本気で考えたほどです。
そのときだれかが急遽プジャ(儀礼)をおこないました。私は意識朦朧としてよくわからなかったのですが、たしかにマントラを唱える声が聞こえた記憶はあります。あとでみなといろいろと考えてみました。私は朝、友人の母親からもらったキナウル帽をかぶってキナウル人に扮していたのですが、山からの帰りがけに採るべき花を、山に登る前に帽子に挿していたのがよくなかったという結論にいたりました。その罰当たり行為が、神シシェリンを怒らせてしまったのです。
迷信行為だ、と言われるかもしれませんが、原因不明の病に倒れたとき、そうした説明は病人を納得させるものであるし、治療に結びつくこともあるのです。私は痛みから解放され、足をひきずりながら9時間くらいかけてなんとかピリの丘に登りました。
夜の間は、たき火の近くに坐り、寒さと眠気をこらえました。真夏とはいえ、気温は零度を下回ります。一部の人はずっと踊り続けていました。
朝の3時半になると、死者と最後の時を過ごし、崖のコタン(石積みのオボのようなもの)に死者のための旗を挿し、食べ物を捧げます。このときは本当に暗闇のなかで死者の存在を感じます。十数人の死者のほとんどを私は知りませんでしたが、唯一知っているのは前年祭りの一環でおこなわれる「模擬結婚式」で花嫁をつとめた女子大生でした。彼女は一か月前に服毒自殺していたのです。旗挿しがおこなわれる間、遺族たちは最後の時を惜しみ、嗚咽していました。とくに取り乱しているのは彼女の母親でした。娘に先立たれる母親の悲しみが痛いほど伝わってきました。
亡魂たちはラルダンに送られ、そこから永遠のやすらぎの場所へと入っていくはずです。そこでは祖先たちがあたたかく出迎えてくれるでしょうか。
魂を送る習俗がより具体的に残っているのはチャガオン村です。そのウキャン祭に参加したことがあります。秋深まる10月の夜、8人のギトカレースと呼ばれる歌手たちが一年以内に亡くなった人々を悼み、ギータン(送魂歌)をうたうのです。
興味深いのは、この送魂歌は魂が送られる路線を含んでいることです。魂がはぐれて浮遊霊とならないよう、具体的な地名まで盛り込まれるのです。
8人のギトカレースのうち4人はいわば永久メンバーで、固定されているのですが、残りの4人はほんの3日前に神によって選ばれます。「神によって選ばれた」というのは、神輿によって選ばれたという意味です。
チャガオン村の上方にルンコット(Rungkot)という岩だらけの聖地があります。ここの岩の下の洞窟に8人は祭りの前日、一日こもり、徹底的に歌を習得するのです。
ギータン(送魂歌)を要約するとつぎのようになります。
◆四角い玉座のような丘がある。そこが(レコンピオ上方の)ブレリンギ(Brelingi)村。ブレリンギ村には寺がある。村の端にスムギャル(Sumgyal)兄弟がやってきた。村の真ん中には川が流れていた。川の真ん中には大きな石があった。その石はスムギャル兄弟が作ったものだ。
◆ゴムポルト(Gomport)の真ん中には法灯(mchod me)が燃えている。チャガオン村の特別な場所に神の宮殿(石造寺院)が建設される。スキュラム(sukyuram)樹が燃やされる。この聖なる樹はどこから運ばれたのか? スキュラム樹はモラスティン(Molasting)の地に生えている。石造寺院を建てたのはだれなのか? 大工キャンガトゥ(Kyangatu)が建てたのだ。
◆神(地方神)の乗り物(神輿rothang)を作ろう。寺の中央の像を作ろう。神らしく装飾を施そう。ヤクの尾をその頭に巻こう。神様はどこ? ヤクの尾はどこにある? グゲ・チャンタンにある。鼻水を垂らした(汚らしい)男、ジャード(チベット人)の息子がグゲ・チャンタンからヤクの尾をもってやってくる。竹細工で神様の乗り物を飾ろう。竹はどこにある? 竹はニグルサリ(Nigulsari)にある。だれが竹をもたらしたのか。胡桃で神様の乗り物を飾ろう。だれが神様の乗り物を作ったのか。作ったのは大工キャンガトゥ。キャンガトゥが建てたのはチュムレー寺(chhumale sangthang)寺、いやカイムレー寺(kaimle
sangthang)。ダルマニン(Darmanin)の中央に寺を建てた。
◆さらに上ると小さな流れがあり、水車がたくさんある。
◆さらに上るとモファヤン・サンタン(Mophayan Sangthang)がある。
◆さらに上るとモラスティン(Molasting)の地の中央に出る。オーム(Aum)、スリー(Sri)サリン(Saring)。御身(チャガオン村のシャンカラ神、Shamkar)は仕事をお忘れになったのでしょうか。われわれには歌詞の意味がわかりません。ゴレ(Gore)とベナ(Bena)にはじまる歌の意味がわかりません。
◆さらに上るとロバイ・サンタン(Robai Santhang)、古代の寺院に出ます。苔による装飾が施されています。
◆その上方にはロルメ・サンタン(Rolme Santhang)。
◆さらにずっと上ると二匹の蛇(のような地形)がいる。ギョタン(Gyothang)という。
◆さらに上にはコタン(kothang石積み)がある。ここはトゥムシャカラ(Tumshakala)と呼ばれる。古代、トゥムシャカラでウキャン祭がおこなわれた。当時は三つの地域に分かれていた。そのひとつドゥトラン(Dutlang)にはバイラン・マトゥス(Bailang Matas)という女がいた。ここの神様(の神輿)はあまりきれいでなく、人身御供によってきれいになった。女はドゥタス(Dutas)の娘だった。後ろ髪には箒を結っていた。女は人身御供となるべく捕らわれていたが、息子を背負って逃亡した。
◆さらに上ると、丘の上のウルニ(Urani)村から水が流れ落ちる場所があり、ここは休息するのにちょうどいい。白と黒のふたつのコタンがある。
◆さらに上るとモエニン(Moening)の丘がある。金と銀と塩に関する紛争があった。上方からやってきた敵ジャード軍(チベット軍)とシモル(Simol)王軍が戦った。ジャード王は頭飾りに角をつけ、シモル王は竹の装飾をつけた。チャガオン村の人々はシャンカラ神に供え物をして神の力を得た。またrishi(仙人)が敵方に呪文を投げかけた。
◆さらに上ると二つの飲料になる川が流れていた。
◆その上方は二つの黒い水の流れだった。
◆その上はウルニ村。
◆そして二つのコタン。白と黒のコタン。ボジョという地名。これはシェルパの名前。
◆さらに上るとグゲ・チャンタン。洞窟のなかには動物(羊やヤク?)がたくさんいる。
◆さらに上るとカドゥガリ・カトレ(Kadgari Khatole)。
◆さらに上るとグムレングス(Gumrengs)。
◆下ってチョテロ・チャオス(Chotero Chaos)へ。
◆さらに下ってテレイ・ダル(Terei Dar テレイ丘)へ。
◆下ると泉があり、泉には雌蛇がいる。雌蛇は「わたしには仲間がいない」と呼びかけてくる。ここはルンティ(Runti)という地名。「あなたの仲間は穴の中の動物ではないか」とこたえてやる。
◆そこから下ると、運河の水が蛇のようにくねっている。
◆また上るとそこは(『マハーバーラタ』の)パンダヴァ(Pandava)五兄弟の丘。丘の上では五兄弟が馬に乗っている。ヤルチの花で作った王のベルトを巻いている。
◆下るとカトー(Kato)川という小川が流れている。
◆上るとマザラン岩(Mazalan)の中央。ここには「蜂」鳥と「脂」鳥がいる。またバンギャル岩(Bangyal)があり、ウルニ村の神がいる。
◆上るとローラ(Rora)村から小川が流れている。
◆さらに上にはムッキン岩(Mukking)岩がある。力を込めて、岩の扉を開けなければならない。イェ・プルボ・ナラヤン(Ye Purbo Narayan)神にたのんで開けてもらう。扉は銀の扉。ねじは金。
◆上方には水無し川。
◆川に沿って上っていくと女がいる。「川の娘」である。ここはチキム・ドンカル(Chikim
Donkhar)と呼ばれる。村の神はサルガ・チョロニー(Sarga Cholony)。サルガ・チョロニーによって扉が開けられる。
◆レオ(Leo)村に着く。ロープを投げ渡して川を渡る。「金の橋」とは金色のロープ橋のこと。
◆さらにずっと上ってラルダン(Raldang = Kinner Kailash)の奥深くへ。そこにはシルコット寺(Silkot santhang)があるだろう。シルコット寺はバラン(Barang)村の神が管理する。バラン村の神は蛇神(Nag)。蛇神は神の不義の子である。ひとの不義の子はチトクル・ラクチャム(Chhitkul
Racchham)村(実在)の人々である。シルコット寺の扉を開けなければならない。金のねじのついた、錠前は竹製の扉を開けなければならない。
◇それからまたモラスティンの地へ。何度も繰り返し歌う。
八人の歌手(ギトカレース)は7種類の穀物を神に供える。また赤麦で作ったプーリー、ザンパ、現金なども供える。雄ヤギを捧げたいが現金がそのかわり。村人はソライ(大きな甕)にワインをいれ、モラスティンの中央で地面に注ぐ。
遺族はまた亡魂にたいし、「けっしてそのこと(死)があなただけに起こったと思わないで。はるか昔からあなたの先祖みなに起こったことなのです」と説明して、死者をなだめる。
この祭礼はグゲ・チャンタンからやってきたバナスル(Banasur)王とめかけのヘリンバがもたらしたものだといいます。ラルダンは死の王の国のことです。ラルダンはまたの名をシヴダン(Siv-dang)といいます。死の王でもあるシヴァが死を掌っているのです。
この歌が興味深いのは、魂がひとたび「グゲ・チャンタン」へと送られることです。チャンタンというのはラダックの東の地域を指すこともありますが、このチャンタンはチベットの北方高原のチャンタンでしょう。すると「グゲ・チャンタン」はシャンシュン国の中心部を意味しています。魂はシャンシュンに送られ、また戻ってきてキナー・カイラシュの山頂付近のラルダンから冥界へといたるのです。
この路線は先祖がシャンシュン中心部から来たルートであったようです。亡魂は一度先祖の故郷であるグゲ・チャンタンを訪ね、それから永遠のやすらぎの場所へと向かうのです。
⇒ つぎ