時をかける猫とぼく  ロイド・アリグザンダー 

 

紀元前2700年のエジプト 

2 聖なる猫の都市 

 白い太陽と青緑色の空。長い通りのはしのヤシ林のなかに神殿が立っていた。ジェイソンは猫のギャレスを横に連れてどこまでも伸びていくような中庭をずっと歩いた。

「どうして……ぼくらはエジプトにいるんだ?」ジェイソンはしわがれた声で言った。

 ジェイソンはエジプトにいるという確信を持ったが、どうして確信を持ったかはわからなかった。どういうふうにやったのか、ギャレスがジェイソンに知識を与えたにちがいなかった。

 ジェイソンはこれまたどうしてだか、古代エジプト人のかっこうをしていた。白い亜麻の衣が腰あたりまで垂れていた。こうしたことも猫の奇妙な念力なのだろう。

「ぼくたち、こんな遠くまで来たんだ!」

「もっと遠くに行くこともできましたよ」とギャレス。「でもスタート地点としてはベストだと思います。すくなくとも猫にとってはね。エジプト人ほど猫を崇拝する人たちもないですからね」

「猫を崇拝だって?」

「そうです、ほんとうに崇拝しているのです」とギャレスは言う。「エジプト人はぼくたち猫のこと、大好きなんです。猫好きが高じて、崇拝するようになったのです。聖なる動物はめずらしくありません。でも猫は特別な存在なのです。ぼくたちは太陽と月の大いなる女神ウバステに属する聖なる存在なのです」

 遠くからフルートと太鼓の音が近づいてきた。ギャレスはウバステの像の前で止まった。猫頭の女神が長くてまといつく衣を着ていた。女神は一方の手に聖なるガラガラを持ち、もう一方の手には盾を持っていた。足元には4匹の子猫が丸くなっていた。

 ギャレスは像の基台に飛び移った。「ここブバスティス神殿では、毎年祭礼が開かれています」と猫は語った。「ここは聖なる猫の都市です。聖なるセレモニーはとても幻想的です。像の後ろに隠れてください。そこから観察することができます。ぼくはここにいます」

 ギャレスは子猫たちの集団のなかに身を押し込んだ。そしてしっぽを丸めてからだの前に置き、耳はピンと立てた。猫はまるでじぶんが像になったかのように、ピクリとも動かなくなった。

 奏でられる音楽はしだいに大きくなった。崇拝者の群れは中庭を埋め尽くそうとしていた。人数をかぞえるのはもはや不可能だった。数千人はいるだろうとジェイソンは推定した。

 白衣の神官たちの行列は、大通りに沿って神殿に向かっていた。ある者は手にガラガラを持ち、ある者は上部に輝く黄金の猫の像がついた聖なる棒を持った。「大いなる猫にささげる賛歌」を歌う歌声が空にこだました。

 

汝の頭は太陽神の頭 

汝の鼻はトート神の鼻 

汝の耳はオシリスの耳 

じぶんを呼ぶすべての声に耳を傾ける 

 

 ジェイソンはまるでもとから知っているかのようにエジプト人の言葉を理解することができた。これもまたガレスの魔術なのだろうか。

フルートの音色は、雲のあいまに入る淡い青色の縞模様のように、ゆらゆらとふるえた。行進が過ぎると、群衆がそのあとにつづいた。なかには亜麻の衣をまとい、スカートをはく人々がいた。かれらは花々が咲き誇るかごや、フルーツでいっぱいのトレイをはこんでいた。

 信仰する人々は歌声を張り上げた。

 

汝の口はアトゥム神の口 

汝の心臓はプタハ神の心臓 

汝の歯は月神の歯 

 

 演奏と歌はジェイソンのからだに充満したけれど、賛歌はつづいた。

 

汝のひげは太陽の光線 

汝の両目は太陽と月を湛(たた)える 

 

 突然歌声がやんだ。それから天空の頂が取りはずされたかのように、沈黙が訪れた。と、いっせいに力強い声が叫び始めた。

「偉大なる猫様、偉大なる世界の発言者よ、どうか私たちの言うことを聞いてください!」 

 神殿の扉があけられると、信仰者たちの流れは白い階段を押しあがっていった。群衆の最後尾が前を通り過ぎると、ジェイソンは像の後ろから思い切って飛び出し、かれらのあとから歩いて行った。

 階段を一段踏んだところで、ジェイソンは何者かに乱暴にわしづかみにされた。からだをひねって振り向くと、白衣を着た、スキンヘッドの男が怒りをメラメラさせながらジェイソンをにらんでいた。男は片手にパピルスの巻物を持ち、もう片方の手にジェイソンの耳を持っていた。

「みじめったらしいガキよ」男は叫んだ。「ここでなにをしているか白状しろ! 神殿に拝みに来たなら、なぜ神像のうしろにコソコソ隠れていたのだ?」

 ジェイソンが見たところ、何人かの書記官がいた。かれらはみなパピルスの巻物の束か粘土板を持っていた。ちょうどそのときギャレスがピョンピョン飛びながらやってきた。首席書記官がその姿を見るや、ジェイソンの耳をはなした。

「見よ、この猫を見よ! その胸に聖なる輪十字(アンク)の印があるぞ! これぞ生命の象徴である」

 書記官たちはみなひざまずいた。ギャレスは腰をおろし、からだをペロペロなめてお掃除をはじめた。

 書記官たちがみな猫を拝み、猫もまたからだをなめはじめると、首席書記官は衣の襞(ひだ)のなかに手を入れ、そこから財布(さいふ)を取りだした。

「おお親愛なる友よ」首席書記官は油ぎった声で言った。「あなたの耳をつまんだことをお許しください。まさかこんなすばらしい、瑞兆(ずいちょう)のしるしを持ったおかたをお連れとは。ひとつお教えください。あなたさまはこのおかたのために、どれだけの黄金が必要とお思いでしょうか」

「ぼくの猫を売れってこと?」ジェイソンは声を荒げた。

「おお、智慧ある文学の作り手よ」割り込んできたのは下級書記のひとりだった。「この猫を取り上げて、少年を聖なるワニの担当にすれば安上がりですぞ」

 首席書記官はあごをなでながら、横目でしげしげとジェイソンを見た。「あなたがおっしゃったことはなかなか理にかなっていますな。わしもまさにおなじことを言おうとしておったのだ」

「おお、学識ある巻物の保管者よ」下級副書記がびくびくしながら問いかけた。「忘れないでください、この猫が聖なるエジプト十字架を胸に持っていることを。それは恐るべき力を持ったしるしです。どんな復讐を考えるかわかったもんではありませんぞ」

「わしの考えと同じだな」首席書記官は言った。

「あなたがたがどなたかは存じませんが」ジェイソンが割って入った。「あなたがたがそこに立つ権利も、人の猫を奪う権利もありません。もちろん人をワニの口に投げ込む権利もありません」

「失礼だが」首席書記官は言った。「どうやら理解しておられないようだ。何か月もわれわれはエジプト中のあらゆる場所で猫を探してきたのだ。それも偉大なる王、大いなる家の統治者、ネテル・ケット王の命と健康と力強さを願ってのこと」

「命、健康、強さ!」と、下級書記官は叫んだ。「命、健康、強さ!」下級副書記官が唱和した。

「であるから」首席書記官はことばをつないだ。「きみの猫を見たとき、このしるしを見たとき、これぞ探していた猫だとわかったのだ。若き友人よ、こうしたいきさつがあって、われわれはきみが神殿に入ってくることを許し、エジプトのふたつの地の神が猫をご覧になるよう仕向けたのだ」

「まあ、なるほどね」面倒くさくなりながらジェイソンは言った。「この猫は見つめたくなったら見つめると思うよ。でもそれだけの話」

「至極(しごく)当然」気さくに笑いながら首席書記官は言った。「意に反してきみに無理強いさせようなんてだれも思わんさ」

「わかったよ、それなら」ジェイソンは言った。「でもこのことは忘れないで。見つめるだけだからね」

「きみの頭は智慧にあふれているようだ」首席書記官は言った。「いまだから言えるのだが、もし断るようなら、ワニのもとに送るつもりだったのだ」

「やはりね」ジェイソンはため息をついた。「そんなことだろうと思った」

 

 書記官たちはジェイソンとギャレスを川まで誘導し、ともに石段を下りていった。その先には王室のはしけが待っていた。みながはしけに乗船すると、こぎ手たちはいっせいに水面をオールで打ち始め、それからトップスピードになるまでこいだ。

 数日の間、はしけはナイルをさかのぼっていった。ついにジェイソンは口を開いていつになったら大いなる家に着くのかとたずねた。

「おろかな少年だな」と、首席書記官は言った。「きのうからずっと大いなる家のなかを旅しているんだろうが」

 こぎ手たちはようやくのこと、はしけを川岸に寄せた。大いなる家とは、パン屋、大工、レンガ作り、機織りらが生活している都市全体を指すことがジェイソンにはわかった。ジェイソンはギャレスをしっかり胸に抱き、首席書記官について都市でいちばん高い建物のなかに入った。かれらはホールに到着した。そこは粘土板に刻印を押す人々でぎっしり埋まっていた。同行してきた使者たちがあわただしく中に入り、ネテル・ケット王の命令を大きな声で伝えた。

 ジェイソンが聞いたところによると、わずか数分のあいだに、ネテル・ケット王は5つの戦争を宣言し、3つの平和協定を結び、8千人の石工に新しいピラミッド建設に取りかかれという命令をくだした。またつねに奴隷たちはあらゆるものを持たされて行列を作っていた。書記官たちは割符に刻みを入れる大いなる儀礼をおこなった。エジプト人は物事を数えるのが好きだった。彼が見るかぎり、量について言及し、そのことを書き記し、比較し、書き加え、合計の数字に驚いてばかりいた。

 首席書記官は書記のひとりに近づいた。「大いなる家の記録にはこう書きなさい。この日、ファラオ――命、健康、強さ!――の所有物に40000升の穀物、70000瓶の油、3000オンスの黄金、それに一匹の黒猫が加えられたと」

「そのように話されました」と書記は言った。「そのように書かれます」

「それはだめだ!」とジェイソンは叫んだ。「ぼくの猫はファラオの所有物なんかじゃない!」

「残念ながら」首席書記官は冷たい笑みを浮かべた。「今現在はきみのものではないのだよ」

 ジェイソンがまわれ右してホールから駆け出そうとする前に、首席書記官は毛を逆立て、唸り声をあげて拒むギャレスを腕から奪った。ジェイソンも背後から押さえられ、廊下に放り投げられた。そしてこのめでたい日に、ちっぽけな部屋に閉じ込められてしまった。


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