時をかける猫とぼく  ロイド・アリグザンダー 

 

5 長い歯チェルディッチ 

 ヒゲの生えた男はひどく驚いていた、ジェイソンのように。とはいえ、男は槍をもっていたので、ジェイソンは指図されたとおりにするしかなかった。ブリトン人は注意深く木のほうにあがっていくと、ジェイソンにしぐさでここから離れるよううながした。

 かれらは森のより深くに向かった。道はすぐに広くなった。その先は開けていて、その中央には丸太に囲い込まれた盛り土があった。丸太の門はあいていたので、ブリトン人とジェイソンはすんなり村に入ることができた。村といっても、小枝と土でできた蜂の巣のような小屋が並んでいるだけだった。ジェイソンを捕えてきた男は槍をかかげて振り回し、勝利のおたけびを上げた。

 ボロボロの獣の皮をまとった男たちが、轍(わだち)のあとがついた道に走って出てきた。飢えた目つきの犬たちがすぐにうなり、吠え始めた。ジェイソンがもっとも大きな小屋に着くころには、村の全員がうしろについてきていた。

 肩まで届く長い赤毛の背が高い戦士が小屋から出てきて、胸の前で腕を組んだまま立った。首にはきれいなシルバーの飾りがかかっていた。骨ばった鼻の下には赤い口ヒゲが垂れていて、そのために男は好戦的に見えたが、同時に憂鬱そうに見えた。槍をもった男が声を張り上げた。

「長い歯チェルディッチ様! 無敵の首長! わたくしオスリッチは、素手でこの無知で危険きわまりない野蛮人をとらえました! 戦いは丸一日かかりました! こんな戦闘はいままでありませんでした!」 

 オスリッチは足を踏み鳴らし、槍を突き上げながら、叫びつづけた。「ひどいキズを負いました! でもあきらめずに戦いました! ついに敵に臆病心が芽生えてきたのです! わたしは勝利しました! おお、偉大なるオスリッチ! 無敵のオスリッチ!」

 長い行軍に疲れ、汗でびっしょり濡れてみじめな気持ちになっていたジェイソンは、ついにしびれを切らした。「それはウソだ!」と彼は叫んだ。「一日戦ってなんかいない! というか、戦ってもいない! その槍を持ってとびかかってきたんだ! それにぼくは無知でもなければ、野蛮人でもない!」

 ほかの戦士が壇上にあがり、首長の耳元で何かをささやいた。長い歯は不機嫌そうな表情でうなずき、顔をあげると、口ひげでジェイソンを指し示した。

「疑問が浮かび上がってきたぞ」長い歯は言った。「ふつう森の向こうで何ものかをつかまえたら、その場でぶった切るだけの話だ。だがおまえは侵入者だ。だからかごの中で焼き払うのがいいと進言する者がおる。わしもそう思う。おいオスリッチ、いますぐかごをもってこい」

 小屋から目の粗い衣を着た女があらわれ、長い歯をはじきとばすと、彼を指さして言った。「長い歯チェルディッチ! あんたはそんなことできないだろうよ! この子がだれかなんて知ったこっちゃない。だけどこの子はまだ子どもだよ。骨身にしみる寒さにふるえているんだ。家の中に連れていっておやりよ。さ、早く!」

 彼女はジェイソンの肩をつかむと戸口を通って部屋まで連れていった。そこでは枝葉がくべられていて、煙がもくもくと出ていた。

 長い歯チェルディッチはぶつぶつ不平をこぼしながらそのあとについていった。「こんどは命乞いすることになるだろうよ」と首長は言った。「それがつぎの段階ってもんだ。だがなんでおまえがちょっかいを出す必要がある? やっていいことと悪いことがあるだろうが」

「戯言(ざれごと)はもうおやめ」女は言った。「このぼうやは外国人で野蛮人かもしれない。でもそれはこの子の責任じゃないし、それにべつに悪いことしたわけじゃない」

 女は布でジェイソンのからだをこすりながら、夫に向かって悪態をつくのをやめなかった。「もしあんたが鼻の先より遠くを見ることができるなら」と女は言った。「若い奴隷にトレーニングを課すいいチャンスができたととらえるんだよ」

「わかったよ、女よ、十分だ」長い歯はヒゲを持ったまま叫んだ。「あすの朝、ドルイド僧に聞いてみるよ。この野蛮人を手元においてもいいというのなら、そうしよう」

 長い歯夫人は同意した。そしてジェイソンは一晩穀物倉庫に閉じ込められることになった。夫人は肉のスープと動物の皮を彼にわたした。チェルディッチはジェイソンが機会があればいつでも襲おうとしているかのように、彼の頭を押さえて暗い部屋にねじこみ、扉をピシャっと閉めた。

 ジェイソンは投げ出されて地面に大の字になった。疲れ切って、逃げ出そうという考えも起きなかった。そのとき腕の上にやわらかな脚が触れるのを感じた。そしてなじみぶかいゴロゴロというふるえる音。

「ギャレス! 大丈夫だった?」

「しっ、声をおさえて」猫はそう注意しながらジェイソンのひざの上にとびのった。「ぼくは元気ですよ。いくつかキズを受け、あちこちで毛を失いましたけどね。なんとか切り抜けてきました」

「あのケモノは何だったの?」とジェイソンはたずねた。「あんなの見たことないよ」

「山猫です」とギャレスは言った。「ここにいる猫は山猫だけなんです」

「あのオス猫、すごく強そうに見えた」ジェイソンは言った。「だからもしかしてやられちゃったのかなと……」

「メス猫でしたけどね」とギャレス。「彼女は恐れたんです、すごく。ふたりとも猫であると気づくまで取っ組み合いをしました。気づいたら彼女はすぐに謝罪しました。それで仲良くなりました。長い歯の部族についていろいろと教えてくれました。ぼくはジェイソンより早くここに来ました。だから屋根に穴があることを知っていたのです」

「それじゃあ、どこから出られるか知ってる?」ジェイソンはたずねた。

「屋根のどこをめくったらいいか、知ってますよ」とギャレスは言った。「でもしばらくはここにいたほうがよさそうです。とくに浜辺には行かないほうがいい」そしてギャレスは付け加えた。「ローマ人たちが出発しようとしています」

「老猫百人隊も? 全員いっしょ?」ジェイソンは息をのんだ。「いまぼくらは何をすべきなの?」

「しばらくここにとどまるべきでしょう」とギャレスは言った。

「かれらがぼくらをここにいさせてくれるだろうか。長い歯の奥さんはとても親切でぼくを奴隷としてここに置いておきたいみたいだけど、長い歯はぼくをかごに入れて焼こうとしている。ドルイド僧はだれか知らないけれど、何かを決定しようとしている。ギャレス、きみこそどう考えているんだい? 森の中ですごしたい?」

「ぼくはここにいることはないと思います」とギャレス。「ブリトン人は大きな子どもみたいなものです。なんでもすぐ物語を作りたがるのです。物語を語れば現実に起こると考えているみたいです。でも実際に起こるかどうかは、かれらにとってどうでもいいことなのです。そのことがぼくたちを助けてくれるかもしれません。それについてはあすの朝、考えてみましょう」

 ジェイソンとギャレスは毛皮の上で身を寄せ合って互いに暖めあい、できるだけリラックスした。ジェイソンが考えるに、この地はいままででもっとも湿っぽい場所だった。なぜローマ人が興味を持ったかわからなかった。そして部隊の仲間であるペトロニウスやアリウスと二度と会えないと思うと悲しかった。

 翌朝、ギャレスがジェイソンに自分の計画について話し終わったとき、穀物倉庫の扉が開いた。長い歯チェルディッチがそこに立ち、なかをじっと見つめた。彼の後ろに立っているのは妻と長いガウンを着た白髪、白ヒゲの男だった。長い歯はジェイソンの肩の上にいたギャをすぐに見つけた。戦士はころびながらあとずさりし、大声で叫んだ。「オスリッチ、オスリッチ! 野生の獣だ! いますぐ槍をもってこい!」

「待て!」ジェイソンは叫んだ。「知るがよい、われ、ジェイソンはブリテンでもっとも黒く、獰猛なケモノを征服しものなり! 偉大なるはケモノを凌駕したこの力なり! ケモノのこのツメを見よ、キバを見よ! われはケガすることなく触れることができるぞ!」

 ジェイソンが長い歯に向かって腕を伸ばすと、ギャレスはゆっくりと腕の上を歩き、とまり、そこに腰を下ろした。猫は頭をあげ、オレンジ色の目で戦士をじっと見つめた。

「一晩中われらは戦った」ジェイソンはつづけた。「偉大なるはジェイソンの力なり」

「わたくしはその話を信じまする」首をもたげて、長い歯の向こうを見ながら話しだしたのはドルイド僧だった。「この動物は非常に獰猛に見えます。森に住む山猫でしょうか。われらはこの動物に近づくことすらできません。ですから驚きですな。この野蛮人は恐るべきパワーを持っているようですな」

「ドルイドよ、おれが知りたいのは」と長い歯は言った。「この動物が幸運をもたらすか、不幸をもたらすかだけだ」

「ご存知でしょうが、われわれのうちのいくつかの良家は」ドルイドは言った。「山猫の精霊に向かってお祈りをします。しかしはじめてでしょうな、森をたずねてじっさいに精霊と会ったのは。ですからこの動物が気ままに動くかぎり、幸運をもたらすと考えられます」

「ドルイドよ」と長い歯は言った。「この幸運の動物をそなたに贈るとしよう。ついでに動物をあずかっている少年もそなたのものだ」

「ほんとうになんとお礼を言えばいいか」ドルイド僧は言った。「あなたさまの考えはたいへんすばらしいものです。しかしすますべき雑事が多く、時間をつくるのは簡単ではありません。長い歯さま、戦いのリーダーであるあなたさま以上に動物と少年がふさわしい人がおられましょうか。じっさい、責任ある立場におられるのです」

「まあそうだな、たしかに」長い歯は憂鬱そうにこたえた。「そういうふうに考えているのではないかと思ったよ」

 

 長い歯チェルディッチはいままで以上に憂鬱そうに見えた。一方長い歯夫人は機嫌がよかった。ギャレスは小屋を調べ、ネズミだらけであることを発見した。一週間以内にネズミは撲滅されることになった。

「宝石だわ!」長い歯夫人はそう叫んだ。「この山猫は宝石よ! 幸運をもたらすってドルイド僧は言ってたけど、ほんとうにそうだわ。この山猫がいなかったら冬の穀物の半分はネズミにやられるところだったんだから」

 長い歯の獰猛な黒い動物がかれらの食べ物を守っているという評判はまたたくまに広がった。毎日少なくとも数人の訪問者がギャレスを礼賛するためにやってきた――もちろん安全な距離の範囲内だが。ドルイド僧自身もやってきた。これ以降、チェルディッチはガレスを誇らしげに見るようになった。

 ある夜、ジェイソンは土の床の上にたまたまヒモを見つけた。それを引っ張るとギャレスはヒモのはしでじゃれて遊び、転がり、前脚でたたいた。

「何をやってるんかね」チェルディッチはたずねた。

「楽しんでるだけですよ」ジェイソンはこたえた。「遊んでいるんです。そうやっていつも訓練しているのです」

 長い歯は立ち上がり、そろりそろりと猫のほうに近づいた。「猫ってすばしっこいんだろう?」そして彼はためらいながら付け加えた。「この遊び、わしといっしょにできないもんかね?」

「やってみてください」ジェイソンはこたえた。

 ブリトン人は床にひざまずき、ヒモを手に取った。ギャレスがぴょんとヒモにとびかかると、チェルディッチは子どものころのようにはしゃいで笑いころげた。

 このとき以来、チェルディッチはギャレスと遊ぶのが待ちきれなくなった。毎晩、夕食のあと、戦士はヒモを手に取り、猫を呼ぶようになった。ヒモがすり切れると、チェルディッチは首飾りをはずし、その鎖を地面の上に置いて引っ張った。

 しかしチェルディッチはなおもギャレスに触れることができなかった。猫がジェイソンのひざの上に坐っているのを見ても、それは危険だと言い張ったほどだった。

「危険じゃないですよ」とジェイソンは言った。「ほら」

 戦士が抵抗する前にジェイソンはギャレスを持ち上げて、ひざの上にのせた。

 チェルディッチは坐ったまま硬直し、動けなくなった。「この猫、なにか音を発しているぞ」戦士は神経質になって言った。「噛もうとしているにちがいない」

「ゴロゴロのどを鳴らしているだけですよ」とジェイソンは言った。「つまり猫は喜んでいるのです。あなたのことを気に入っているんです」

「わしを好き?」長い歯はわくわくしているようだった。「ほんとうにそう思うのか」

 その答えを示すかのように、ギャレスは首をのばし、戦士の口ひげに頭をこすりつけた。

「ドルイド僧のヒゲが示しておるな」チェルディッチは叫んだ。「わしのことを気に入っていると信じるよ」

 この背の高い戦士は笑いながらガレスをもう一度ひざの上にのせ、就寝の時間が来るまでなでつづけた。

 

 冬は早くやってきた。雪は高く激しく舞い上がり、村はそのなかで身じろぎしなかった。ジェイソンはその気候にもほとんど慣れ、小屋はゆったりとして、居心地がよかった。チェルディッチは小屋の屋根の穴をふさいでくれなかったけれど。

 ジェイソンはかつて山猫の姿を一瞬とらえたことを思い出した。

「そう、たしかに彼女はいましたよ」ジェイソンとふたりきりのときギャレスは言った。「彼女はとてもおなかをすかしていました」

 ジェイソンは夕食の肉を少し残して小屋の近くに置いてみると約束した。

 雪の日々が静かにすぎていった。小屋の世話をしてくれたのは長い歯夫人だった。ジェイソンは手助けを忘れなかった。夫人は忘れているようだが、そもそも彼は奴隷なのだから。チェルディッチは武器をみがいた。ひととおり終えると、彼はまた磨きはじめた。ギャレスはしばしばチェルディッチのひざの上にのり、いねむりをした。戦士はしあわせそうな笑みを絶やさなかった。

 ある日、日没前、穀物倉庫へ行った長い歯夫人は、あわてて小屋にもどってきた。

「山猫よ! もう一匹いるのよ!」

 チェルディッチとジェイソン、ガレスは穀物倉庫に行ってみた。ウソではなかった。山猫は山になったケモノの皮の上で丸くなり、その黄色い目でかれらをじっと見ていた。そのときはじめて彼女がひとりでないことにかれらは気づいた。四匹の子猫が彼女に寄り添っていたのだ。

「なんてかわいそう」長い歯夫人は言った。「とても寒いんだわ」

「驚いたな」と長い歯は言った。「この山猫たちは外にいるときとちがって、半分も野生に見えないな」。戦士が近寄ると、山猫はフーっとうなった。子猫に近づかないよう警告しているのだ。「大丈夫だから、猫のお母さん」と長い歯は言った。「好きなだけここにいていいんだから」

「それに子猫ちゃんたちも」と夫人は声高に言った。「この子たち、みな目をかたく閉じているのね。わたしたちの家畜みたいに幸運をもたらしてくれるかしら」

「すばらしいね」と長い歯は言った。

 チェルディッチと妻が子猫たちをほめているあいだ、ジェイソンとギャレスは静かにその場をはなれていった。

「山猫の家族、ほんとうにここにずっといるのかな」とジェイソンはたずねた。

「そう思います」ギャレスはこたえた。「ああ、でも野生生活のことは忘れませんよ。猫は覚えているのです。ときどき野生にもどるかもしれません。でもこれがかれらにとっての新しいはじまりなのです」

 小屋の扉の鍵がはずれ、半開きになった。ギャレスはその方向へ向かっていった。ジェイソンが振り返ると、長い歯と妻は新参者たちの上に身をかがめたままだった。一匹をのぞくすべての子猫が黄褐色で、黒い筋がはいっていた。例外の一匹は黒く、その胸に白いしるしがあった。

 ギャレスは影のように外の積もった雪の上にとびのった。ジェイソンの影がそのあとにつづいた。


⇒ つぎ