時をかける猫とぼく  ロイド・アリグザンダー 

 

9 秘密の旅 

 京都では、ギャレスは繁華な大通りやカラフルな提灯が下がる茶屋、料理屋、繁盛している旅籠(はたご)など人ごみを避けた。どの方角に進めばいいか知らなかったが、黒猫はより静かな地域や貧しい区画へとつづく道を探し出すことができた。ギャレスは路地裏をさっそうと歩いた。小さな提灯のような五対の目を輝かした子猫たちが、曲がり角でも遅れず、ついていった。

 何度もギャレスは立ち止まり、子猫たちに周辺の様子をさぐらせた。ヒゲが警告を発すると、子猫たちは空気のにおいをかぎ、前脚を水につけ、竹垣の上にのぼり、影にとびかかった。かれらは雨水貯蔵樽のはしでバランスをとり、それからダイバーのように跳んで、地面に着地した。

「宮廷のなかだったら、こういったものはどれもありませんでした」とギャレスは言った。「子猫たちは外でたくさんのことを学ぶでしょう。まあ、子猫たちは壁の外のことも内のことも知りたがるでしょうけど」

「一条天皇が気にしなければいいけど」とジェイソンは言った。「摂政が知ったら怒るかなあ」

「そのことについてはあとで考えましょう」とギャレス。「猫はそのときどきのことしか考えないのです。いま現在、わたしは家の中をのぞきたくてたまりません」

 この区画の家はみな紙のふすまで作られていたので、また薄っぺらにできていたので、ギャレスは容易に家の中にはいることができた。

 最初に侵入した家の持ち主は大工だった。作業場は道具や木板、山積みの竹などでいっぱいだった。まだ完成していないいくつかの家具からは、削りたての木やおがくずのつんとくる、新しい香りが発せられていた。ギャレスはいぶかしげに顔を上げた。何か感じるものがあったのだ。

「ネズミです」彼は身がまえた。筋肉は緊張に張りつめ、しっぽは前後に激しく振れた。「たくさんいます。おそらく子猫ほどの大きさです。かれらは底意地の悪い戦士です。おとなの猫でもかれらには用心しなければなりません。まあ、ここは子猫たちにとって学習するのにもってこいの場所といえます。あ、ここにいてください」ギャレスはジェイソンに警告を与えた。「途中、だれもいないなら、そそくさと移動したほうがいいでしょう」

 ギャレスはうしろにチョコチョコとついてくる子猫たちとともに作業場を通り、影の中に消えていった。

 ジェイソンは忍び足で外に出て、大工の家近くの角を曲がり、だれにも見られないところにすわった。宮廷と町のはずれのこのあたりでは、まったく異なっていることに彼は気づいた。家々は寄り添うようにぎっしりと建っていた。近所中の家をあつめても、一条天皇の玉座の間は埋まりそうになかった。

 作業場からは物音ひとつせず、静まり返っていた。半時間後、心配になったジェイソンはなかにはいって狩猟人たちを探すことにきめた。ちょうどそのときギャレスと子猫たちがはじけるように中から飛び出してきた。

「朝になれば大工の家族は感謝してくれるでしょう」ギャレスは行列を宮廷まで導きながら言った。「すべてのネズミをとらえることはできません。でも逃げ出したネズミどもは恐怖心をいだいています。しばらくは帰ってこないでしょう。子猫たちはみなよくがんばりました。一条天皇は子猫たちのことを誇りにすべきです」

 

 その週の残りは毎日「遠征」がおこなわれた。ジェイソンはギャレスを手伝い、つねに子猫たちを見守った。見守りはほんとうに必要というわけではなかった。その週のうちだけでも子猫たちは成長して大きくなり、歩き方は自信たっぷりで、しっぽが元気よく振られるようになった。

 子猫たちが学ぶことはたくさんあった。ある「遠征」のとき、子猫がたまたま鍋に触れて落としてしまったことがあった。ガシャンという大きな音がしたので、家の主人は何事かと目を覚ました。房がついた小枝のホウキを手にもち、男は部屋にダッシュし、大声で叫んで威嚇した。ジェイソンとギャレス、子猫は走って逃げだすと、一直線に駆けて宮廷にふたたびたどりついた。

 翌日、玉座の間で、藤原の摂政はいつもよりもひどいしかめっ面をして、行ったり来たりした。「京都では奇妙なことが起きているようですな」と摂政は言った。「けさも、玉(ぎょく)の彫琢師(ちょうたくし)が百の精霊に侵略されたと報告してきました。彫琢師はホウキをもって戦ったが、それらは壁の穴から消えてしまったというではありませんか」

 ジェイソンは心の中でクスクス笑った。ギャレスが連れていくところ、どこでも人々は好きなように話を誇張しているように思えた。五匹の子猫から彫琢師はどうやって百匹の精霊をつくりだしたのだろうか。けれども藤原のおじさんは――天皇自身も――話を疑うことはなかった。

「話はそれだけではありませぬ」と摂政はつづけた。「ある区画では家々からネズミが消えてしまったということです」

「では、それはいい知らせなのではないですか」ジェイソンはたずねた。

「聞かれたときのみ、話をしてくださいませんかな、宮廷猫の指南役どの」摂政は怒りの口調で言った。「非常に不可思議な勢力が勢いを増しているようですぞ。いま72人の学者がこのことについて研究しております。これまでのところわかっているのは、この外国人らが来るまでは何も起きていなかったということですな」摂政はばかにしたように、ジェイソンとギャレスを指し示した。

「しかし朕(ぼく)はこれらの者が好きであるぞ」

「陛下、あなたも聞かれたときのみ、こたえるようにしていただきたいですな」藤原のおじさんは指を鳴らした。「これは警告です。もしこの少年と奇妙な動物がそれと関係していることがわかったら、必然的な結果を受け入れざるをえないでしょうな」

「さっぱりわからないな」ジェイソンとギャレスだけになったとき、ジェイソンが言った。「ネズミがいなくなって藤原のおじさんは喜んでいるんだろうか」

「天皇にとってそれはべつのことなんです。摂政にとってもね」とギャレスは言った。「かれらは変化が好きじゃないんです。たとえそれがいい変化だったとしても」

「子猫たちをもう一度外に出したほうがいいんだろうか」

「藤原のおじさんの機嫌が悪いからといって、かれらの教育の邪魔をすべきではありません」とギャレスは言った。「心配することはありません。なんの問題もないでしょう」

 しかしその夜、ギャレスはまちがっていた。かれらの帰りがいつもより遅くなってしまい、夜が明け始めた。曲がり角でジェイソンは警護兵の隊列を見たのである。

「この壁にそって動いて」ギャレスはささやいた。「そっと静かに。そうすればかれらは気づかないでしょう」

 うまくいったかと思われた、一匹の子猫をのぞいて。ぐずぐず後ろを歩いていた子猫が、取り残されまいとして、ニャーニャー鳴き始めたのだ。名誉ある宮廷警護長はあたりを見回した。つぎの瞬間、ジェイソンとギャレス、子猫たちは警護兵に取り囲まれていた。キモノに皇室の紋章を確認した名誉ある宮廷警護長は、みんなを引っ張って宮廷まで連れもどした。

 玉座の間にいた天皇は彼らを見ると跳びあがって驚いた。「いったいどうやって天皇の子猫を盗んだんだ?」と彼は叫んだ。

 ジェイソンは彼とギャレスがしたことを説明したが、天皇は聞く耳をもたなかった。彼は子猫がダメージを受けていないか、一匹ずつ、毛をなでながらたしかめ、キモノについた汚れをブラシでとった。「おまえたちはもう朕(ぼく)の友だちじゃあない」と涙ながらに話した。「藤原のおじさんを呼んで、おまえたちの処分を決めてもらうことにするよ」

「どうして自分自身で決めないの?」とジェイソンは言った。「もしあなたがぼくの首を切りたいと考えるのなら、おじさんに相談する必要もありませんよ。したいようにすればいい。でもぼくたちが訪ねた人をここに連れてくるといいと思います。大工です。そうして話してみるといいですよ」

「大工がほかの人とちがうことをしゃべるというの?」一条天皇は言った。

「人々は違ったことをしゃべると思います」

 一条天皇は最後には同意した。

 ジェイソンは最初の夜に訪ねた区画について説明した。名誉ある宮廷警護長はそれがどこかわかったので、さっそく大工を招集するためにふたりの兵士を送った。

 待っているあいだ、天皇はおしだまったまますわっていた。目の前で子猫たちが遊んでいたが、天皇の眼中にはなかった。ようやく大工が連れてこられたが、彼は恐怖のあまりブルブルふるえていた。いつ首をはねられるかわからなかったのだ。

「大工さん、あなたの家にネズミはいますか?」

「いえ、いません」大工はこたえた。「一週間前、このいやしき、無価値のわたしは、ものすごい数のネズミにやられてしまいました。でも、突然ネズミは去りました。ほんとうに奇跡です。毎日このあわれなる者は先祖の霊に感謝しております」

「あなたが感謝するべきは、かれらですよ」ジェイソンは子猫たちを指さした。

 大工はひざまずき、六回か八回床に頭をたたきつけた。「ああ、かれらがわが無価値の家を守ってくれた親切な霊でしたか。ありがたや、ありがたや」

「かれらは猫です」ジェイソンは言った。

「かれらが何ものであろうと」と大工は言った。「大いなる力をもっています。妻はかれらを祝福しています。子どもたちの食べ物が盗まれることはもうないでしょう」

 大工は深々とお辞儀をし、頭をバンバンと強くたたいたので、警護兵が彼を玉座の間から連れ出し、広間で休まさねばならなかった。

「大工は心の底から喜んでいるようだ」天皇は言った。

「あなたは天皇です。そして至上の存在です」とジェイソンは言った。「でももしあなたがそんな存在でなかったら、あなたのことを自分勝手だというでしょう。子猫たちが人々を助けてはいけない理由なんてありません。宮廷に拘束されることはなにもしていないのです。猫はオモチャではありません。ただいっしょに遊んでいるだけなのです」

「朕(ぼく)は自分が何をしているかわかっている」一条天皇は言った。「絵師に来てもらって、もっと描いてもらうつもりだ。そうすれば日本のだれもが絵をひとつもつことになるよ」

「それはなにもいいことをもたらしません」

「でもかれらはもっともすばらしい、尊敬されるべき絵師たちなんだ」一条天皇は言い張った。

「それは重要なことではありません」とジェイソンはこたえた。「猫の絵はなにもやってくれません。ほんものの猫を飼うべきです」

 一条天皇は一瞬考え込み、それから首を振った・「ほかになにをすべきかわからない。摂政にきいてみよう」

「藤原の摂政のことは忘れて!」ジェイソンは耐えきれずに叫んだ。「もう赤ん坊みたいなふるまいはやめて。天皇らしくふるまういい機会だよ」

 ジェイソンが話し終える前に藤原のおじさん自身が玉座の間にあらわれた。「大工が外で卒倒しそうなんだが、何があったんだ?」おじさんは叫んだ。「奇跡がどうとか、長いしっぽの精霊とか、わけのわからないことをわめいておる。どういうことなんだ?」摂政の目はジェイソンをとらえた。「このガイジンの子が関係していることはわかっておるぞ」

「そのとおりです」天皇はこたえた。「このガイジンの子は猫についていろいろと教えてくれた。ほかのことも。ぼくは注意深くいろいろと考えた。これはぼくの決定だ。この子猫たちが宮廷に閉じこもり、何もしないのはもったいない。好きなように行ったり来たりできればいいと思う」

「それがすべてじゃない」一条天皇は付け加えた。「商人の孫程がまたここに来たとき、もっと子猫が必要かとたずねるだろう。日本のすべての家に必要かもしれないぞ」

「わたくしもそのことはたっぷりとききました」と藤原のおじさんは言った。「わが尊い甥よ、完全に頭がいかれてしまったのでしょうか。この少年に感化されたにちがいない。この少年は処分することにいたしましょう。その猫も。子猫たちもいっしょに」

 藤原のおじさんは刀を抜き、ジェイソンの頭髪をつかんだ。「この少年からはじめるとしましょう」

 彼はジェイソンを床に放り出し、その上に立って刀を振るおうとした。

「やめろ! ぼくはあなたに命令する!」

 ジェイソンは天皇がこんな言葉遣いをするのを見たことがなかった。藤原のおじさんは驚きのあまり、かたまってしまった。

「彼が宮廷猫の指南役だ」一条天皇は言った。「彼はわが保護のもとにある。だからこの少年が傷つくようなことはするな」

 藤原の摂政はゆっくりと振り向き、一条天皇を興味深げに見た。「なんとおっしゃった?」冷たい声で彼はたずねた。

「ぼくはあなたに命じたのだ」 

 摂政は玉座に近づいた。「尊いわが甥よ」食いしばった歯のあいだから彼の声はもれた。「顧問として、教育係として、言葉の使い方について警告します。ここでもし命令を発するなら……」

「もし命令する必要があるなら」天皇は叫んだ。「ぼくは命令するのみ! 天皇はぼくであって、おじさんじゃないんだから」

「なぜそんな意味のない、ばかげたことを……」藤原のおじさんはまたも刀を抜こうとした。

「ぼくをおどすの?」天皇は言った。「天皇をおどすつもり? ぼくはおじさんを熱した湯のなかで煮ることだってできるんだ。至高の存在の前でいやしいあなたを」

一条天皇の目はらんらんと輝いた。一瞬、藤原のおじさんが刀で天皇を切るのではないかと恐れた。摂政と天皇はしばらくにらみあった。

「天皇は臣下のおまえに命じる!」

 ジェイソンはここまで怒り狂った人を見たことがなかった。しかし藤原のほうから視線をそらしてきた。彼は武器を床に落とし、深々とお辞儀をした。

 ジェイソンとギャレスはしずかに部屋を出ていった。

 玉座の近くでは子猫たちが藤原の刀の房とたわむれていた。


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