時をかける猫とぼく  ロイド・アリグザンダー 

 

17 スペックフレッサー親方、ふたりの悪魔を呼ぶ 

 ヨハネス親方はジェイソンがいままで会ったなかでもっとも大きい男だった。彼は頭から足先まで小麦粉にまみれて、歯のあいまで陽気に口笛を吹きながら低い石の家で仕事をしていた。水車が川の流れでぎしぎしと音をたてているあいだ、まるで羽根枕より軽いかのように、腕の下にひとつずつ大きな粉袋をはさんで運んだ。小麦粉の粉塵のもと、彼の顔は赤らみ、目はいかにも人がよかったが、女主人ウルスリナの家で起こったことを話すと、粉屋は眉をひそめ、口笛を吹くのをやめた。

「スペックフレッサー!」彼は鼻を鳴らした。「貪欲な七面鳥め。まあ、このヨハネスさまとたっぷり話し合いをせんとな」

 ジェイソンがかごのふたをあけると、ギャレスはようやく外に出て、背伸びをした。

「おや、なんてこった!」粉屋は叫んだ。「これもスペックフレッサーの悪魔かね」彼は猫を抱き上げ、広げた両の手のひらの上でバランスをとった。粉屋の手はとても大きかったので、ギャレスは自分が子猫になったように感じた。「きれいな猫だな」そう言ってヨハネスはギャレスを下におろした。

 粉屋の指は大きなわりに器用で、やわらかいことにジェイソンは気づいた。ヨハネスがギャレスにさわったとき、彼の手は蛾の羽根のように軽く、そのあとには埃の痕跡が残った。

 ヨハネスは少年と猫を水車小屋の涼しい暗がりにまねき、頑丈な木のテーブルの心地よいイスにすわらせた。

「魔女の話はうんざりするほど聞かされたね」ヨハネス親方は言った。「村全体がいかれてしまったみたいだ。夕暮れ時、正直者が鼻を外に出しただけで、魔女呼ばわりされるんだからな。魔女にたいする規則を作れば作るほど、魔女が見つかるという寸法だ。いまじゃ曲がり角を曲がるたびに、魔女がひとりいるといってもいいくらいだ。良識のかけらもない、バカばかりだな。もっとましなことを考えつかないのか。わしやわしの友人になにか言ってみやがれだ。かれらはヨハネスさまを見て正気を失い、みすぼらしい老人などと思わず、手に負えない大物だと信じてしまうだろうよ」

ジェイソンは女主人ウルスリナがとっくに水車小屋に着いているだろうと考えた。しかし時間がたつにしたがい、ヨハネスもしだいに心配になりはじめた。

「わしも家に行って、何が起きたかたしかめたい」と彼は言った。「すこし待ってくれ。ここでじっとしていてくれ」

 

 ヨハネス親方がもどってきたのは、夜が更けてからだった。粉屋の顔は怒りで真っ赤だった。

「あいつら、彼女を捕まえたんだ」けわしい表情で彼は言った。「だれも多くをしゃべろうとしない。かろうじてわかったのは、彼女は気が変わってここに来なかったのだ。そのかわり村に行ったようだ。想像するに彼女は自分の土地をスペックフレッサーに売ることにした。これ以外に方法はないと考えたのだ」

「スペックフレッサーは欲深いからな。だが自分がなにをしているかよくわかっているのだ」ヨハネスはつづけた。「彼がすべきことは、彼女が魔法を使っていると糾弾することなのだ。そうすりゃタダで土地が手に入るのさ。だから金を払うなんてことはありえんのだ。女主人ウルスリナはいま獄につながれておる。裁判を待つばかりだ。まちがいなくすぐに彼女は裁かれるだろう」

 ジェイソンは息をのんだ。自分とギャレスのために、見知らぬ女がいま命をあきらめようとしているのだ。「フェアじゃない!」ジェイソンは叫んだ。「スペックフレッサーはだれをも弾劾することができるんですか? 彼自身が呪術師ではないですか」

「いまなんて言ったんだ?」ヨハネスは姿勢を正した。

 ジェイソンは粉屋に村を通ったときに見たものについて話した。

「ペテン師め!」粉屋は叫んだ。「欲張り男は人をだましていたのだ。水車にほうりこんでやりたいね!」

 ヨハネスは一瞬考えた。「われわれにできることがあるはずだ。彼を弾劾するのはだめだ。あいつの呪いのことばがわれわれに向くだけだ。呪術をおこなう者を、スペックフレッサーを含めて弾劾しようとは思わん。かれらが魔女にたいしてやっていることを見たあとでは」

「女主人ウルスリナに言ったことを撤回させることはできないのでしょうか」ジェイソンはたずねた。

「告発を取り下げろと? スペックフレッサーじゃむりだ。ちょっと待てよ」粉屋は指を鳴らした。「方法があるかもしれんぞ。チャンスはきっとある。それがうまくいけばだが……」

 粉屋は衣装箱をあけた。一瞬ののち、ジェイソンはツバの広い黒い帽子を耳が隠れるほど深くかぶり、黒ずくめの衣装を着ていた。暖炉から手にいっぱいの炭をとり、粉屋はジェイソンの顔を黒く塗った。

「猫はそのままでよさそうだな」ヨハネスは笑った。「さあ、こっちに来て。途中でわしの計画を教えよう」

 たいまつの明かりのなか、粉屋は馬に荷車をつけた。ギャレスとジェイソンはそれに乗り込んだ。ヨハネス親方は馬の背中を手綱でぴしゃりとたたき、村へ急ぎ足で向かった。

 

 町の広場にヨハネス親方を残し、ジェイソンはギャレスのあとからついていって路地にはいっていった。猫はスペックフレッサーの家の裏側を見つけ、ふたりは静かに屋根の上にはいあがった。月明かりのもと、ガレスの目はもえさかっているように見えた。

「とてもすばらしいね」ジェイソンは言った。「ちょうどここかな。もし運がよければ……」彼はかがんで裂け目からなかを見た。

 ヨハネスが言ったようにすべてがスペックフレッサーの呪術によって動かされていた。ちょうど町の時計台の深夜の鐘が、つまり魔女の刻(とき)を告げる鐘が鳴り始めた。いいチャンスだった。しかしまだチャンス以上のものではなかった。ジェイソンは目を細めて下の部屋のなかの様子をうかがった。

「あいつだ!」七面鳥顔の男が見えた。サークルのまわりをおおまたで歩いていたときとおなじかっこうをしていた。「またおなじ呪術をためしているようだ」

「彼は会得できないでしょう」ギャレスはつぶやいた。「では、わたしが先に行くことにします」

 ギャレスは煙突に飛び移った。とがった屋根の上でバランスをとったあと、ぽっかりあいた石でできたたて穴に飛び込んだ。ジェイソンは猫のうしろで身をかがめてつづいた。一瞬ののち、煤の雨やこぼれた石といっしょに落下していた。つま先がれんがに触れ、雲のような塵埃(じんあい)が渦巻いて彼の顔に降りかかった。ギャレスは毛を逆立て、歯をむきだしながら、暖炉を通って部屋に出た。

 煤を振りまきながら、ジェイソンは恐怖におののいて口をあんぐりとあけ、叫ぶこともできないスペックフレッサーを見た。彼は人差し指と小指を猫と少年に向けた。

「お呼びでしょうか、だんなさま」ジェイソンは言った。

 スペックフレッサーは息をのんだ。「おまえたちを呼んだ?」

「だんなさまは悪魔をお呼びになりました」ジェイソンはうつろな声でつづけた。「だからわたしたちはここにいるのです。何がお望みですか、だんなさま」

「悪魔がここにいる……」スペックフレッサーは歯をガタガタさせながら言った。「わしは、わたしは、なにも考えつかないようだ。そうだ、わたしの望みはすぐにおひきとりください、だ。おふたりともだ。迷惑をおかけしたくないからな」

 彼が語るあいだに、ギャレスはいかさま魔術師の魔術の本の山の上に移ってすわっていた。そこで猫はもっともこわい顔つきで、歯をむきだし、うなった。

「それにできるならば」スペックフレッサーは懇願した。「この小さいほうの悪魔のかたにすぐお引きとり願えば」

「おまえは村の多くの人々に迷惑をかけておる」ジェイソンは言った。「おまえのおかげで村の老婦人が牢屋に入れられた。おまえはすぐに告訴を取り下げねばならない。でなければ老婦人は火あぶりの刑に処せられるだろう」

「はお、はい、そういたします」スペックフレッサーはあわててうなずいた。彼のあごのぜい肉がプルプルふるえた。「わたしはすぐに告訴を取り下げ……」彼は一瞬ためらった。「ちょっと待て。なぜ悪魔が犠牲者を火あぶりから救ってくれなどと訴える? 悪魔は火あぶりが大好きなはず」彼はジェイソンに近づいてよく見た。そして襟元をつかんだ。

「悪魔だと!」彼は叫んだ。「おまえのどこが悪魔だというのか。おまえはウルスリナの戸棚にいた少年だな。それにこいつも悪魔じゃない、たんなる猫だ」

「スペックフレッサー親方」ジェイソンは言った。「あなたの負けですよ。あなたは悪魔をもてなしたという罪状で女主人ウルスリナを告訴しましたね。でもぼくたちは悪魔ではない、といまあなたは認めました。ぼくたちが悪魔でないということは、ウルスリナを牢屋に入れる理由がないということです」

「わ、わしはなにも認めておらん!」スペックフレッサーはわめいた。

「では評議会へ行くとしましょう。そこであなたの呪術についてお話しましょう。あなたの呪術は成功していませんが。ヨハネスはあなたを傷つけたくないでしょう。しかしこれがあなたのラストチャンスになります」

「おまえたちはこの部屋から出られると思うなよ」鎌のかたちをしたナイフを手にして、スペックフレッサーは叫んだ。

 ジェイソンは激しく切りかかってくるナイフの刃をひらりとかわした。ヨハネスはすでにここに到着しているはずだった。粉屋は煙突を使うには図体が大きすぎたので、スペックフレッサーの部屋に直接つっこみ、修羅場に参戦するはずだった。ナイフが耳元でビュンビュンうなってかすめるたび、ジェイソンは横跳びして難を逃れつづけた。いったいヨハネスはどうしたんだ、とジェイソンは絶望的な気分にひたりながら考えた。

 そこにさっそうと登場! 扉がギイっとひらき、バタンと壁に当たる大きな音がした。スペックフレッサーの動きがとまった。ジェイソンは帽子をとり、頭をあげた。ヨハネスが戸口に立っていた。しかし彼は警護の兵士に取り囲まれていた。

 兵士のひとりが前に進み出て槍をかまえた。「あなたたちは逮捕されている、あなたたち全員だ!」

 スペックフレッサーは頭をのけぞらせ、かんだかい声でうれしそうに笑った。「わしの邪魔をするというのか? たき火をしたいのか、ぼうや」

「全員ですよ」兵士はぶっきらぼうに言った。「あなたもですよ、スペックフレッサー親方。あなたはヨハネス親方の逮捕を命じた。だから村で捕まえました。そしてさらなる命令をあおぐためにここに来ました。しかし見たところ……」兵士は槍をもってふりかざすしぐさをした。「あなたはどう見ても、いえだれよりも魔女です。だから逮捕せざるをえないのです」

「わしは魔女ではない!」スペックフレッサーは金切り声で言った。彼はひざをついた。「わしの呪文はきかないんじゃ。少年や猫に聞いてみるがよい。ただの娯楽なんじゃよ」彼はペチャクチャしゃべった。「ウルスリナを解放するといい。わしが説明してさしあげよう……」

「そうするチャンスはあります」兵士は言った。「審問官の面前で、ですけど。さあ行きましょう!」


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