時をかける猫とぼく ロイド・アリグザンダー
1775年のアメリカ
19 パーカーの永久ネズミ捕り機
*原文は「Parker’f Perpetual Moufetrapf」。ミスプリントによってsがfになっている。
道はまだあったが、ほかのものに変わりつつあった。早春の鈍い青色の縞模様がはいった空のもと、草原は眠っている者が目を覚ましたときのようにささやいた。ジェイソンは三角帽子を目深にかぶり、ジャケットの襟を立てた。先を静かに歩くギャレスは、吹き来るそよ風に目を細めた。
後ろのほうから馬の蹄のポクポクという音が聞こえたので、ジェイソンが振り向くと、道の曲がり角を明るく彩色された荷馬車が走ってくるのが見えた。キャンバス地のシートが荷馬車の前半分を覆い、まるでテントのようだった。箱や布一反、やかん、ポット、フライパンなどが荷馬車の後部につまれていた。
鳥のように明るい目をもった、やせてひょろ長い御者は、おんどりの羽根をさした大きな三角帽をかぶっていた。ジェイソンを見るやいなや、さえずりのような、三重の音を発するホイッスルを鳴らした。馬は速度をあげ、すぐに荷馬車はジェイソンとギャレスの間近に迫った。
「そんなペースじゃ遠くまでいけないな」御者が声をかけてきた。「乗りなさい、毛でおおわれた友だちといっしょに。大急ぎというのでなければ、ボストンまで乗っていってもいいですぞ」
ギャレスは木製の座席にとびのった。猫のあとジェイソンも立ち上がって荷馬車に乗り込んだ。
御者は手で帽子をあげた。「紳士諸君」彼はジェイソンだけでなくギャレスにたいしても敬意をこめて、話しかけてきた。「自己紹介する無礼をお許しください。わたしは、97の異なる勲章、勲位、メダル、すべての大陸の国王や女王からの至高の推薦状をもつ、<プロフェッサー・ピーター・パーセヴェランス(忍耐)・パーカー・いつでもご用立てを>といいます。目下のところ、同国人のための啓蒙と教育の活動にいそしんでいるところです」
「それはつまり、教師ということ?」ジェイソンはたずねた。
「言葉のもっとも高貴な意味においては、そうですな、ぼうや」手を伸ばして、ジェイソンの耳からコインを取り出しながら、プロフェッサー・パーカーは言った。「教育というのはさまざまな形をとるものです。わたしのゆるぎない目標というのは、この地上の楽園が届く果てまで、もっとも正直な労働者に文明の恩恵をもたらすことなのです。この場合、教育は粗末ななべやフライパンの形をとります」
「ああ、なるほど、行商人というわけだ」ジェイソンはうなずいた。
「行商人?」プロフェッサー・パーカーは威厳を正すように背筋をのばした。「かような重要な使命をになう仕事をする者を行商人呼ばわりするのですか?」彼は腰をかがめてガレスの耳からもコインを取り出しながら言った。「たとえばこのシリング銀貨は、ただの金属にすぎません。でもこれでやかんや一束の留め針、1ヤードの布地を買ったら、ものの見事に、安楽や便利という言葉を意味するようになるのです。そのような意味において人助けをするのがわたしの神聖なる任務なのです。もちろんわたしにはわたしなりの得意分野というものがあります」彼は袖からチラシを取り出して、ジェイソンにわたした。ジェイソンは興味津々といったふうに熟読した。
はじめ彼は何が書いてあるのか理解できなかった。ようやくsが、長くて傾いたfに入れ替わっていたためであることに彼は気づいた。
永久に壊れないマウフトラップフ!
プロフェッファー・パーカーは、てきへつなプライフで
必要とふる人々に、ヘ界でもっともふばらしいマウフトラップフを提供しまふ
喜ばれることまちがいなひ、ほひょうします!
「マウストラップス(ネズミ捕り機)?」ジェイソンはきいた。
「世界でもっともすばらしい、とわが広告は謳(うた)っています」とプロフェッサーは言った。「ともかく荷馬車の後部を見てください」
ジェイソンは荷馬車の後ろにまわって覆いをあけてみた。そこには1ダースほどの柳編みかごがあった。そしてそれぞれの編みかごに一匹ずつ丸ぽちゃの子猫がはいっていた。
「この子猫ちゃんたちは」プロフェッサーは言った。「ボストンの上流の人々から委託されたものです。子猫ちゃんにはよい家庭が必要で、わたしの任務はそれを探してあげることなのです。コロニー(東部13州)のすべての人にきいてまわっているのです」
ジェイソンはすこしホッとした。プロフェッサー・パーカーが97のメダルをもっていることにたいしあやしく思っていたが、猫が好きであることは感じ取れた。それだけでなかった。ガレスはいつも、だれが信用できるか知っているようだったが、この黒猫は座席の上でくつろいでいたのだ。
「猫のいない完璧な文明なんてあったでしょうか」プロフェッサーはつづけた。「炉端の虎の用心深い目以上に、家庭にとってありがたい存在があるでしょうか。パーカーの永久マウストラップ(ネズミ捕り機)の評判は広く、遠くにまで及んでいます。わたしの奉仕がなければ、ボストンの西で猫を探すことができるかどうか、あやしいかぎりです」
この時分には荷馬車はガタガタ鳴りながら小さな村にはいっていった。その音に気づいた子どもたちは遊びをほうりだし、荷馬車のあとを追いかけた。村の広場でプロフェッサーが手綱をゆるめると、子どもたちがわっと集まって荷馬車をとりかこんだ。プロフェッサーはけたたましい音の鳥笛を吹き、耳からコインを取り出し、三つの輝く玉でジャグリングをはじめた。村の女たちは布やブリキ製品を見るためにかけつけた。やせた、疲れ切った人々は――マスケット銃を持っている人もいた――斧やノコギリを吟味した。
ふたりの男が荷馬車のそばに歩み寄った。そこではプロフェッサー・パーカーが目の大きな幼い少女に永久マウフトラップフを見せていた。
「ボストンではどんな感じだい?」ふたりのうちのひとりがたずねるのをジェイソンはきいた。
プロフェッサー・パーカーは編みかごを置いた。ジェイソンはプロフェッサーが何か輝かしい成功物語でもはじめるのではないかと期待した。しかし彼の表情はいかめしくなり、静かに語り始めた。
「一樽分の火薬が」と彼は言った。「火がつけられるのを待っている」
「準備は万端だ」男は言った。
「呼び出しがあればすぐに耳元にとどくだろう」プロフェッサー・パーカーは言った。「サム・アダムスは火薬を運ぶための騎馬兵を持っている。ところでおまえは部下を鍛えているのか」
「毎日訓練を施している。すぐに知らせてもらえれば、われら50人がロブスターバックス軍(英国軍)との戦いにはせ参じることができるだろう。いまわれらにもっと必要なのは、マスケット銃と火薬、散弾だ」
「すべて用意しよう」プロフェッサー・パーカーは言った。「ハンコックができるかぎりのことをやっている。必需品はわれわれがあつめている。ボストンなら簡単だなどと思うなよ。アダムスとハンコックは顔を出したくないのだ。かれらはおたずね者だからね」
男は歯の間からヒュッと音を鳴らした。「ロブスター軍は遠くまで行ったのかね」
「もっと遠くまで行くだろう」プロフェッサー・パーカーは言った。「かれらは銃剣でわれわれを壁に押しつけるだろう」
「なんてこった」男は怒りのあまり叫び声をあげた。「あいつらはおれたちを臆病者とみなしているのか。もう十分だ。いまから戦いをはじめよう。ロブスターを腹いっぱい食ってやる」
「まあ、落ち着いて。機会はすぐにやってくるさ。それまではマスケット銃をみがいて待っているんだな」
プロフェッサー・パーカーはウィンクをしながら男の鼻からシリング硬貨を取り出すと、荷馬車を動かした。
荷馬車はキーキー音をたてながら村を出ると、道をくだり、遠くの農場へと向かった。馬はどう走ればスピードアップできるか考えをもち、どの道がいいか知っているようだった。プロフェッサー・パーカーは席にどっかりとすわり、手綱をゆるめ、羽根で縁取られた帽子を目深にかぶった。
「あの男はさっき何と言ったんですか」ジェイソンはたずねた。「ロブスターを腹いっぱい食ってやるとかなんとか」
「ヨーロッパのロブスターはホマルス・ブルガリスっていうんだ。アメリカの水に住むおいしい住人はホマルス・アメリカヌスだ。ホマルス・ブルガリスのなかでも英国の種もこの地方に住んでいて、その輝く赤いコートと大きなツメで知られているのさ。そいつらはツメの届く範囲内のすべてのものをツメでたたくんだ。銃剣つきのマスカット銃をもっているときはとくに、やっかいなお客さんってわけだ。手短にいうと、ロブスターは、ロブスターバックは、赤いコートは……まあ、呼び方は好きなのを選ぶがいい。おれは疫病って呼ぶね。至高の慈悲深き、最高に頑固なる国王、ジョージ3世に送り込まれた疫病ってとこだ」
「村のわが友は」プロフェッサー・パーカーはつづけた。「ロブスターを食うと言ったが、それはホマルス・アメリカヌスのことではないのだ。ほかの種類のすべてのロブスターをわれわれは食ったよ。ロブスターの偉大なる王にタックスを払っているんだからな。タックスにかかったタックスだ。このご機嫌ななめのロブスター王にわれわれを人間として扱うよう懇願したんだ。彼の家臣と同等の権利をくれとな。上位の地位をくれとお願いしたのさ。だが王は却下した」プロフェッサー・パーカーは肩をすくめた。「かれらをやっつける以外に何ができる?」
ジェイソンはしばらくじっとプロフェッサーを見つめた。「はじめぼくはあなたを教師だと思いました」と彼は言った。「それから行商人だと思いました。どうやらどちらでもないようです」
プロフェッサー・パーカーはクスクス笑った。「どちらでもない、ということでもないだろう? 行商人は鍋やフライパンとともにアイデアを運ぶことだってできるのだ。自由という偉大なアイデアをね」プロフェッサーは言った。「それはやかんにフィットするかもしれない。おれはやかんを売る。やかんに自由をただで入れるのさ」
「でも猫はどうなんですか」とジェイソン。
「猫商売はけっこう忙しいよ」プロフェッサー・パーカーは言った。「たくさんの家庭が永久マウストラップを待っているんだ」彼は付けくわえた。「国は猫みたいなもんさ。かれらなりに落ち着きたいと思ってるんだ。だがかれらは自由もほしい。必要なときはそのために戦わねばならないんだ」
「たしかにぼくの猫はだれにも命令されたくない」ジェイソンはギャレスを称賛の思いをこめて軽くたたいた。
「とくにロブスターにはね」プロフェッサーは言い足した。「まあ、これがここのやりかただ。そうしてうまくいけばそれは大きな猫になるだろう。そして見たことがあるだろうけど、ロブスターと戦うんだ」
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