現代のケサル王
ケサル王物語が古代ギリシアや中世ヨーロッパの英雄叙事詩と画然と異なるのは、生きている英雄叙事詩であることだ。現存する最高齢の語り手ツェリン・ワンドゥのような「神授型」(夢授型)は、夢の中などで新たな故事を受け取ってきた。また、パドマサンバヴァ、そしてケサルの化身とされるカギュ・ドゥク派のカムトゥル・リンポチェ(8世 1931−1980)は、自身語り手でもあったが、新たに作った物語にナチス・ドイツらしき国が出てくるのは有名な話だ。カギュ派のカル・リンポチェ(1905−1989)もまた物語を作り出したが、戦闘シーンのかわりに「死の悪魔」との戦いが繰り広げられた。(註27)
スピリチュアルなケサルを形成するのに寄与した最大功労者は、カギュ派活仏チョギャム・トゥルンパ・リンポチェ(1939−1987)である。没後27年、いまだに著書が売れ続けるロングセラー作家である。たとえば、いまも『シャンバラ』は、米アマゾンのキンドル・チャートでチベット部門の15位にランクする。(2016年5月6日時点)(註28)
現代思想の錬金術師である彼は、ケサル王物語をひとつの壮大な仏教説話に変えた。彼は言う、戦う敵はおのれの臆病心であると。そして魔王とは誓いを破る者(ダムシ)のことであると。彼は各自が勇士とならなければならない、そして社会全体は「目覚めた社会」をめざすべきだと主張した。彼は米コロラド州のボルダ―にナーローパ大学を建て、そこで西欧人の生徒たちに、ナーランダー翻訳委員会が翻訳したミパムのケサル賛歌を歌わせた。ケサルとおなじムクポ氏族の出身で、守護神もケサル王となじみが深い山神マチェン・ポムラというチョギャムは、生徒たちを精神的な養子に迎え、その教えを伝授したのである。(註29)
チョギャム・トゥルンパ・リンポチェはミパムのケサル修練法を実践した。そのなかでもっとも興味深いのは「競馬の請願」だった。ミパム版のケサル王物語の「競馬」のなかで、ケサルのトリックはグロテスクで、暴力的で、仏教的皮肉に満ちていた。ドゥクモの忠誠心を試すために、自身が自殺したと見せかけたこともあった。このように「競馬」には秘教的な意味合いがたくさん隠されていた。(註29)
チベットにはかつて弟子たちがグルと起居を共にし、グルの家族をイダム(守護神)のマンダラとみなす伝統があった。チョギャム・トゥルンパはケサルとシャンバラを組み合わせたハイブリッド・マンダラを作り出した。彼は自宅をカラパ宮殿と呼び、自身をシャンバラ国王リクデン、つまりケサルになぞらえた。(註29)
彼の生徒の中から作家ダグラス・ペニックが生まれた。ペニックの作品の特徴は、ケサル王物語の基本的な筋を押さえながら、詩的で形而上学的な小説を作り上げたことである。とくに『光の橋を渡って』は、ミパムのヴィジョンを受け、ケサルが救世主であるシャンバラのリクデン王として再来するまでを描く。(註30)
70年代後半にダヴィッド=ネールの『リンのケサルの超人的生涯』を読んで感銘を受け、「ケサル伝説」という協奏曲を書いた(1991)のは、やはりチョギャム・トゥルンパの生徒でもあった現代音楽作曲家ピーター・リーバーソン(1946−2011)である。彼はダグラス・ペニックに台詞を依頼し、オペラを作った。このオペラは2013年も、ロングビーチで上演されている。ヨーヨー・マらが演奏するCDは1996年に発売された。YouTubeでリーバーソンのケサルに関するインタビューを見ることができる。彼は「民話として子供もケサルを楽しむことができるが、われわれもケサルのように勇者として生きたいものだ」と語っている。(註31)
ケサルをはじめとするチベット文化を地道に西欧に広めてきたのは、ダーマ出版(Dharma
Publishing)である。『ケサル!』(1991モンゴル版)のほか、『雪の国の英雄』(1990)や『薬宝の秘密』(1996)といった絵本を出版してきた。(註32)
最近の目立った事業といえば、シャンバラ出版から、ケサルが競馬に勝って王に即位するまでの3巻の英訳完全版が刊行されたことである。ただし、これはもともとミパムの直弟子ギュルメ・トゥブテン・ジャミャン・ダクパが編集し、のちトゥブテン・ニマ(アラク・ゼンカル・リンポチェ)がアレンジしたデルゲ(徳格)版である。つまりスタンがフランス語に翻訳した底本と大差がないということになる。ダヴィッド=ネールもこの地区で収集しているので、英仏語訳されたケサル王物語はまだまだ地域に偏りがあるといえるだろう。(註33)
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