ブッダの国のイエス                     宮本神酒男

 「ブッダの国のイエス」という章のなかでトリシア・マッキャノンがとくに取り上げているのは、『宝瓶宮福音書』と『キリストの九つの顔』、そして「イッサ文書」である。このどれも歴史的文書とは言い難いが、エゾテリスムの精神のなかでは真実だといえるだろう。

 マッキャノンはリーヴァイ・ダウリングがアカシック・レコードから読み取った『宝瓶宮福音書』(1908)のなかで、イエスが15歳のときにブリテンに渡っていることに共感を覚えているようだ。イエスは16歳か17歳のときにはブリテンを離れ、その後の数年間をインドで過ごした。ユダヤの地に戻ってきたのは、28歳か29歳になってからのことだった。

 『宝瓶宮福音書』の内容をより具体的に描いているのが、大西方同胞団の創立者ユージーン・ホイットワース(19112004)が著した『キリストの九つの顔』1994)である。ブリテンを離れたイエスは、インドへ向かう船「ヒンダス河号」のなかでヒーリング大師ラマンチャナから東洋哲学、ヨーガ修行、神にささげる肉体と魂の33段階の修練など、さまざまのことを学んだ。数か月後、インドに到着するまで、イエスはシッディ(精神の 成就者)になることをめざした。

 この物語の主人公イェシュア・ウ・イェシュアは紀元前56年に磔(はりつけ)にされたという。つまりわれわれの知っているイエス・キリストではないので、エッセネ派の教師であり、ブリテンに行き、インドやエジプトで学んだイェシュアは歴史的イエスに束縛されることはないのだ。しかしこのイェシュア(イエス)は救世主であり、家族や取り巻く人々もわれわれのイエス・キリストとほぼ同一である。不思議なことに、この秘教的なイエスは、聖書のイエスよりも何か本質的な存在であるような気がしてしまう。

 ノトヴィッチの「イッサ文書」こと『イエス・キリストの知られざる生涯』についてはこれまで述べてきたので付け加えることはないが、マッキャノンはこれを偽書ではなく、真書として扱っている。何でも受け入れるというのは、方法論としてはまちがっていないだろうが、批判的精神に欠けると、トンデモ書に陥ってしまう。

たとえばイーサー(イーシャー)・ウパニシャッドの一節*を引用しているが、この書は「イッサ、あるいはイエスによって書かれたもの」という注釈を加えている。

*真実の顔は黄金の暈(かさ)によって隠されている。おお、太陽よ。それを除きたまえ。わたし、真実に身をささげる者がその栄光を見られるように。(「イーサー・ウパニシャッド」15頌)

たしかにイーサーとイッサはよく似ているが(アラブ語でイエスのことをイーサーと呼ぶ)イーシャー・ウパニシャッドは、イエスの時代どころかブッダの時代よりも前に書かれているのだ。実際イーサー(イーシャー)は古代インドで神を意味する語であり、イエス(イッサ、イェシュア)と語源的に関係があるかもしれない。そのあたりは興味深い点なのに、「イーサー・ウパニシャッドはイエスによって書かれた」という偽情報を流したため、かえって見えづらくなってしまったのである。

 



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