心風景 landscapes within 7    宮本神酒男

 この三角形のオブジェが何であるかわかりにくいが、石と土で建造された羌(チャン)族の家の方形の屋上の四隅の一隅である。胸ぐらいの高さと思っていただければよい。ほかの三隅にも馬やライオンらしき模様が白い小石で作られている。屋上の中央にはチベット人がサンクン(bsang khung)と呼ぶ香炉そっくりの祭壇があり、そこで杜松(ねず)の枝葉を燃やし、香煙を天神に捧げている。そう、このオブジェも天神崇拝と関連があるのだ。

 屋上に祀られている白石の神は5つあり(五神)、それらは天神、地神、山神、山神夫人、樹神という。このなかでも天神はもっとも高い地位を占めている。

 当時、私はシマノの最新マウンテンバイク(レインボーカラーだったのでチベット語で虹の身体を意味するジャル号と名付けていた)に乗って中国西南のあちこちを走っていた。このときも羌族が住む四川北西部の峡谷地帯を走っていた。野生パンダが生息するボン教徒のチベット人の地域へとつながる峡谷沿いの街道の村に泊まり、マウンテンバイクに乗ってそこから山の斜面を登ってたどりついたのがこの集落だった。知り合いがいない地域にひとりで入るのは無謀のことのように思えるが、私はそもそも無謀な若者だった。

 この峡谷は石だらけだったので、羌族は石を使って三階建て、あるいはそれ以上の高い家を作った。丈夫そうだが、地震には弱かった。峡谷そのものが巨大な断層のようなものだったので、何十年かに一回は大地震にみまわれていた。数年前の四川大地震の震源のひとつもこの断層だったかと思う。

 彼らは家を建てると、窓枠や屋根の縁を白い小石で飾った。白石崇拝というものはチベット人の広大な地域にも見られる。インド北西のチベット文化地域のスピティでも白石崇拝を発見し、私は胸が熱くなるような感慨を覚えたものである。


羌族の石造りの家。耐震構造はなさそうだ 

 羌族は、チベット人の祖先なのだろうか。もちろんこの羌族は自称ルメイであり、古代羌族の末裔ではあるものの、同一というわけではない。欧米の学者は「チベット人=羌族の末裔」という考え方に疑問を呈するが、数千年前の羌族の末裔と言ってしまえば、それほど間違っていないようにも思える。

 この家の羌族の主人は沸騰したお湯に数個の卵を入れて、ゆで卵スープを作って供してくれた。シンプルな料理だが、後にも先にもこんな卵の食べ方はしたことがなかった。なによりも心遣いがうれしかった。このとき私は主人の老いた御母堂も撮っている。写真が残っていなければ、彼女に会った記憶すら痕跡をとどめていなかっただろう。

 ヒレル・ハルキン著 『シャバト河を越えて』(2002)
図書館(デンバー公立図書館)放出の中古本 


*以前、『シャバト河を越えて(Across the Sabbath River)』という旅行記(イスラエルの作家ヒレル・ハルキン著)を購入し、読み始めたところ、著者らが「失われたイスラエル10支族を探す」という名目でこの四川省の羌族の地域に入っていると書かれていて面食らったことがある。

 この本の主題はたしかに古代ユダヤ人の末裔の探索なのだが、目的地はインド東北部のマニプールやミゾラムに分布するシンルン族のはずである。

 実際、イスラエルには紀元前722年にアッシリアに滅ぼされてから行方がわからなくなっている10支族を探すアミシャーブという1975年に設立された団体がある。その設立者がラビ・エリエフ・アビハイルである。彼には『失われた10支族』という著書があり、邦訳も出版されている。

 ラビ・アビハイルによれば、10支族の末裔候補には、クルド人やアフガニスタンのパタン人(パシュトゥン人)、カシミール人、カレン族、このシンルン族のほか、チャン族(羌族)も挙げられている。日本の古代ユダヤ人渡来伝説のことも書かれている。 

 かつて、スコットランド人宣教師トマス・F・トーランスが「チャン族はユダヤ人の末裔である」という説を唱えたことがあり、アビハイルはそれをふまえて羌族を候補に加えたのだろう。

 ハルキンのこの旅行記には、ラビ・アビハイル本人が登場している。アビハイルにとっても現地調査はきわめて重要である。上記の場所のほか、ポルトガル、スペイン、イタリア、ペルー、ウルグアイ、メキシコ……とユダヤ人の伝説があるところならどこへでも向かっている。

 アビハイルはこの天神崇拝、白石崇拝がユダヤ人と関係があるのではないかと考えて、現地の人にいろいろと質問を浴びせているが、正直にいえば、このやりかたではアカデミズムにはほど遠い。

 東北インドのシンルン族の場合、偉大なる祖先神の名がマンメシで、マナセ(ヨセフの子)と近かったことから、「末裔認定」された。しかし羌族から共通点を探るのはむつかしかった。シンルン族のほうは大量コンバート(転向)に成功した。彼らは地区ぐるみ、部族ぐるみでユダヤ教徒になり、一部はイスラエルに移住した。

 一方の羌族はこのように堅固な天神崇拝システム(多神教信仰)を持っていて、一神教崇拝に転向することはありえない。もし彼らがユダヤ教徒になったら、シピ(シャーマン的祭司)はラビと呼ばれるようになるのだろうか。




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屋根の上でお香を焚く主人 


羌族の若いママ