心風景 inner landscape 21    宮本神酒男



 この写真を見ると、青少年時代に戻ったかのように、胸がキュンと締め付けられる。今から振り返ると、このサニ族の女の子ともっと親しくなるべきだったと思う。人も年を取ると、あのときああしていれば、こうしていれば、と半ば後悔まじりで思い起こすものだ。実際は、そのときはそのときで、いろいろと複雑な事情や考慮すべきことがあったのだろうけれど。

 90年代前半、雲南省では不思議な現象が起きていた。石林(路南県)という観光地に住むサニ族(イ族支系)のじつに多くの人が日本語を話すことができたのだ。彼らの、とくに女性たちの副業は観光客向けの刺繍などのおみやげ売りだった。

 私自身はそんなにたくさんの刺繍を買ったわけではないが、石林で出会った日本人の青年は、ホテルの部屋のベッド上に、信じられないくらいたくさんの刺繍を山積みにしていた。サニ族は愛想がよくて日本語もうまいので、ついついおみやげを買いすぎてしまったのだ。彼はサニ族にすっかりはまっていた。

 そうやってサニ族にはまってしまった男たちは「サニ男」と呼ばれた。なかには大学の先生も含まれていたほどで(まあ研究目的かもしれないが)、さまざまな日本人がサニ男と呼ばれていた可能性がある。

 大観光地に様変わりする前の石林 

 サニ族は昆明市のバックパッカーのたまり場である茶花賓館の門の前にもたむろしていた。彼女らは刺繍を売るだけでなく、チェンマネ(闇両替)もしていたのだ。93年末に兌換券は廃されたが、しばらくはチェンマネをつづけていた。しかし彼女らにとって次第に割の悪い商売になっていったようだ。

 この写真の彼女と仲の良かったサニ族のやや大柄の女の子がいた。たまたま大きなニュースがあったので、事件があった日時をよく覚えている。F1レースのスター、アイルトン・セナが死んだ日(1994年5月1日)、彼女はおなじ商売をしていた漢族の女の子といさかいになり、ナイフで刺されて死んでしまったのである。漢族の女の子は参入してきたばかりで、長年そこで刺繍を売ってきたサニ族と客の奪い合いをし、いがみあっていた。

 このあとも少なくとも3、4年は、彼女らは刺繍を売っていた。私は刺繍を買うことはなかったが、顔なじみだったせいか、列車のチケットを(このときはサニ族の青年たちが)駅に買いに行ってくれたりした。しかしそのうち彼女らは姿を見せなくなった。おばさんのサニ族がひとり刺繍を売っているだけだった。その横には白衣を着た「按摩の人たち」が宿泊客に声をかけていた。

 高熱をおしてやってきた石林でサニ族の踊りを見た 

 90年代のはじめに話を戻したい。私は火祭りを見るべく、雲南南部の弥勒県に行ったことがあった。当時の弥勒県は、完全な外国人開放地区ではなく、大きなホテルにのみ宿泊できるという条件付き開放地区だった。私が泊まってはいけないホテルに滞在していると、公安(警察)がやってきて、移動してくださいと穏やかな口調で告げた。そのとき私は高熱を発していて、歩くのもままならなかった。公安の人に抱きかかえられながら、料金高めのホテルにたどりついたが、熱が40度以上あったので、緊急に入院することになった。

 点滴の器具につながれたまま、ベッドの上でうなされていると、突然枕元に人が立った。てっきり亡霊かと思っていると、女性の声が何やら日本語でしゃべっていた。

「あなたは日本人ですか」

 少しつたない日本語のように思えたので、取り調べのためによこした中国人通訳ではないかと私は考えた。しかしその影は言った。

「わたしも日本人なんですよ。もう何十年も日本人とは会いませんでした。今日、日本人が入院したと聞いたので、駆けつけてきたのです」

 彼女は五十嵐恵子さんという水戸出身の残留婦人だった。看護婦として満州にやってきていたが、終戦後、中国人と結婚、夫の故郷であるここ弥勒の郊外に住み、5人の子供を産んで育てた。日本人であることを隠し、文革などのつらい時期も生き抜いてきた。

「日本は恋しくないですか」と私はぼんやりした頭で考えながらたずねた。
「恋しいですよ。明太子が食べたいですよ」

 この2年後、彼女の半生は「阿恵」という題でテレビ・ドラマ化され、ゴールデンタイムにシリーズが放映された。その何年かあとには、「ニュースステーション」で彼女の特集が組まれた。

 祭りのときに行われた闘牛(石林) 

 当初見に行く予定だった火祭りに行くことができたのは、それから15年たってからのことだった。中国のどの町でもそうだが、十年以上たって再訪すると、もとの面影がまったくなくなっていた。親切にしてくれた公安の人にお礼を言いたい気持ちもあったが、町とともに人も入れ替わっているかのようだった。
 火祭りも奇祭といえば奇祭だが、昔は外部の者が皆無だったのに、いまはテレビカメラが入り、美人レポーターが祭りの様子をレポートしていた。時間という大河を流される木の葉になったかのように感じた。

 大狂乱? 弥勒のアシ・イ族の火祭り 


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