心風景 inner landscape 23    宮本神酒男


死者の魂のために旗が立てられる (インド・ヒマチャルプラデシュ州キナウル地方) 


 人も何十年か生きていれば、一度や二度、死ぬほど痛い目にあったことがあるものだ。私の場合、二十数年前、中国広西チワン族自治区の山奥の村で瀕死の重傷を負い、サスペンションがきいていない車(改造救急車?)に乗せられて、町に運ばれるまでの5時間が地獄のように痛くてつらかった。腰のあたりの神経をやられていた私は、未舗装の道を走る車が揺れるたび、激痛を覚えてギャーっと叫んだ。このあと幻覚を見ながら町中や山野をさまよう悲惨なことになるが、痛みに関して言えばこの5時間がもっとも激烈で、人生最悪の時のように思えた。

 じつは、もう一回、死ぬほど痛い思いをしたことがあった。それはインドの山岳地帯でのことだった。

 死者儀礼に興味があった私は、その前年(2007年)にはじめてインド北西部キナウル地方にあるピリ山の死者の魂を送る儀礼に参加した。2000年代になってから毎年訪れていたキナウルは、行けば行くほど新しい発見があるワクワクさせる場所だった。北からはチベット仏教文化が、南からはヒンドゥー教文化が迫る文化の十字路だった。また幻の古代シャンシュン国(チベット高原のもっとも古い国)ときわめて近い関係にあり、このことも調べてみたかった。

雲海よりも高く天界のダンスのよう

 パンギ村(海抜2600m)では、夏、村人の多くがピリ山に登り、見晴らしのいい崖(海抜4200m)に、一年の間に亡くなった人のための旗を立てた。死者がいる家族は左回りで山を登り、いない家族は右回りで登った。そんな事情を知らない私は前年、左から登ってしまった。右から登るとき、人々は何度も立ち止まっては草むらや岩の上に坐り、民俗的な歌を合唱した。そのような民俗風習を見るために、もう一度来たのである。また翌日村に下りてきたあとおこなわれる寺院の祭りも前年は見れなかったので、今度は参加したかった。こうした祭りはしばしば排他的だが、二年目はなんとか紛れ込もうと考えていた。

踊りにもグゲやシャンシュンの香りが漂う

 パンギ村を出発して1時間半、顔見知りも多く、冗談を言い合いながら草の合間を登っているとき、ふくらはぎがつった。足がつることは自分にとって珍しくないが、すこし早すぎると思った。それがおさまると、もう片方の足のふくらはぎがつった。そのあと両太ももが交互につった。つる、というより、足の内部の神経が引っ張られているかのようだった。同時に何か所かに激痛が走った。痛さのあまり、意識が飛びそうになった。私は地面の上をのたうちまわった。登山中の村人が立ち止まり、心配そうに見る人もいた。痛くて、ポロポロ涙が落ちてきた。思いもよらぬ事態である。足がつることはあったが、こんなに何か所もつるのははじめてだった。それを「つる」と表現していいのかもわからなかった。
 これ以上登りつづけることは不可能に思われたが、下山もできそうになかった。ヘリコプターに助けてもらいたいと夢想した。実際私はこの地域でインド陸軍のヘリコプターに救助されたことがあるが、それは洪水のため行き場を失った観光客や外部の人々のひとりとして救出されたのだった。
 薄れゆく意識のなかで、だれかが足元に立ち、マントラのようなものを唱え始めたのがわかった。茶碗に聖水か酒のようなものを入れ、それをこちらにふりかけているのが見えた。プジャリ(祭司)だろうか。プジャ(儀礼)をおこなっているのはまちがいない。
 不思議なことに、しばらくすると痛みが消えていった。激痛は40分か50分ほどつづいただろうか。ひどい痛みはなくても、歩くことさえ困難だった。痛みがおさまったら、下山しようと考えていた。さきほどのプジャリのような男の姿はもうなかった。ピリ山の上まで相当の距離が残っているので、先を急いだのだろう。



 ちょうどうまいぐあいに、女たちが立ち止まって歌をうたいはじめた。その様子をカメラに収めるうちに、足の痛みが軽くなってくるのを感じた。歌のヒーリングである、たぶん。私は下山するのをやめ、女性たちとゆっくり登っていくことにした。健常者のように歩くことはできなかったが、痛みをならすようにして上がっていった。

前年、こんなに明るかった彼女だが、翌年は亡き人のひとりになっていた 

 後日、なぜあんな目にあってしまったのか、村人たちと考えた。その日の朝、友人宅で、キナウル帽を貸してもらった(けっきょくいただいた)。そのとき、友人のお母さんが親切心で木の花を帽子に挿したのだった。これがまずかった。木の花は、山から下りてくるときに、森の中で摘むものなのである。この順序を間違えたために、しかもよそ者だったので、神罰を受けたのだ。
 神罰を与えたのはだれだろうか。ここでもっとも偉い神はシシェリンである。あるいは山にいる神、ヨーギニー(修行者の女という意味)かもしれない。短気な女神なのである。
 あるいは、あまり考えたくないのだが、何か月か前に自殺したこの村の女性かもしれなかった。彼女のことはよく覚えていた。前年、下山するときの遊戯で、「偽の結婚式」というのが行われるが、二組の「偽の新婚夫婦」の新妻のうちのひとりだったのだ。彼女は地元レコンピオンの短期大学の学生だった。何があったのかわからないが(偽の夫にも聞いてみたのだが)彼女は服毒自殺してしまったのである。
 この祭りのメイン行事は、死者のために旗を立てることだった。あの笑い転げていた彼女のために、翌年旗が立てられるなんて、だれが想像できただろうか。私は彼女のことを気にしてはいたが、彼女から罰を与えられたとは考えたくない。

 
旗を立てるときは死者との別れのとき


 明け方の3時半から4時頃。夜と朝の間、死者と生者は混じりあう。真っ暗闇の中で、人々は崖に旗を立てる。これがいとおしい亡き人と触れ合う最後の時間なのである。あちこちから話しかける声、泣き声や怒声が入り混じった。暗闇が妙にねっとりとしていることに私は気がついた。気温は零度に近く、ひどく寒かったが、空気は濃密だった。わたしにはそれが亡魂のように思えてならなかった。だれかが私の首筋を撫でたように感じた。もちろんだれもいなかった。でも何かがいるのははっきりと感じ取れた。


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