チベットの理想郷を探して 宮本神酒男 

第1部 神秘の国チベットの誕生 




シャングリラとシャンバラ
 

 ヒマラヤの山々の向こうのどこかに平和で美しい
理想郷が隠されている――私たちは神秘的なチベッ
トの理想郷といえば、ジェームズ・ヒルトン(
1900
1954)のメガヒット小説『失われた地平線』(1933
に描かれるシャングリラを思い浮かべます。 

    
チベットのイメージを変えたヒルトンの小説『失われた地平線』は
刊行のわずか4年後に映画化された  

 三十代前半の青年作家が、すでに11作品を発表し、名を成しているとはいえ、独力でこの小説の発想から背景、展開まですべてを考えだしたとはとうてい信じられません。

*ウィキペディアにはナショナル・ジオグラフィック誌のジョセフ・ロックの記事に触発されたと書かれている。ロックといえば計測の間違いでアンニェマチェン山(
a myes rma chen)をエベレストより高い山と誤認したエピソードで知られる植物学者で探検家。ナシ族の宗教や文化の研究の先駆者であり第一人者でもあった。ロックの名が出てくるのなら、彼の研究対象であるナシ族の情死カップルが好んだ死後の理想国「玉竜第三国」(→ 雲南の純愛死シンドローム)の影響も考えられなくもない

 名前の類似性からしてもシャンバラ伝説からヒントを得た可能性は十分あります。シャンバラ自体はチベット密教のカーラチャクラ(時輪)タントラから生み出されたものでした。伝承によればシャンバラの国王がカーラチャクラを書いたのです。(このあたりのことはエドウィン・バーンバウムの『シャンバラへの道』に詳しい。また「カーラチャクラ略史」の「シャンバラ」参照)

 この小説が発表される60年ほど前、チベットの神秘性に注目する人物がいました。ロシア(現ウクライナ)生まれの神智学協会の設立者ブラヴァツキー夫人(
18311891)です。ピーター・ワシントンによると、彼女は『ヴェールを脱いだイシス』(1877)を著した直後に、興味の対象をエジプトからインドにシフトしました。

 ブラヴァツキー夫人の代表作『シークレット・ドクトリン』 

 しかし彼女がそのずっと前からチベットに入ろうとしていたのはたしかで、二度目のトライで成功したと彼女は主張しています。ゲイリー・ラックマンによると、彼女がチベット入りを果たしたとしても、それは小チベット、すなわちラダックだろうということです。ただ彼女はあまりに虚言が多く、そもそもラダックに入ることができたかどうかもあやしいと言わざるをえません。


 ブラヴァツキー夫人は『シークレット・ドクトリン』の冒頭に不思議な話を紹介しています。フリーメイソンや秘密結社がロシアで自由に活動できていた頃、複数のロシア人神秘家が知識と中央アジアの地下聖堂の秘儀参入を求めて、ウラル山脈を越えてチベットに入ったというのです。このあたりのことはシャングリラの原型のようにも思えます。

 ブラヴァツキー夫人にとって重要な存在は二人のマハトマ(偉大なる魂)、モーリヤとクート・フーミでした。彼女はこの二人とともに何年もの間、チベットでオカルト(神秘学)を研究したと主張しています。1882年に神智学協会の本部がアディヤルに移ってから、夫人の寝室に隣接する「オカルト・ルーム」に、マハトマからの手紙が届くようになりました。

 のちに使用人たちの告発によって「マハトマからの手紙」がインチキであることが暴露されます。このことはリチャード・ホジソンの調査によって確認されるのですが、神智学協会は使用人たちがウソをついているのだと反論しました。この論争はいまだに決着していないのですが、現代のわれわれからは瞬間的に空間移動してやってくるマハトマの手紙を信じることなどとうていできません。

 それはともかく、ブラヴァツキー夫人はどの程度シャンバラを知っていたのでしょうか。モーリヤやクート・フーミと学んでいた地はシャンバラだったのでしょうか。



 アリス・A・ベイリーは智慧の大師ジュワル・クール(Djwal khul)との霊的交信から20冊以上の本を著した。この大師は「チベット人」と呼ばれることから、智慧とはチベットの、そしてシャンバラの智慧であることがわかる。

 シャンバラの重要性を具体的に認識したのは、ブラヴァツキー夫人の後継者アリス・A・ベイリー(1880ー1949)でした。『オカルトの瞑想に関する書簡』のなかでシャンバラshambhalaでなくshamballaと綴っている)は「神々の都市」と呼ばれ、「ゴビ砂漠の聖なる島。神秘主義と秘密の教え(シークレット・ドクトリン)の故郷」と定義づけされています。ブラヴァツキー夫人の代表作の名があてられていることからも、シャンバラが重要視されていたことがわかります。

 また『人と太陽のイニシエーション』には「何人かのマスターたちがヒマラヤ山中のシガツェという人里離れた場所に住んでいる」と記されています。シガツェといえばタシルンポ僧院があり、そこに住するのはパンチェンラマです。歴代パンチェンラマこそは(とくにシャンバラ案内書を書いた6世ロブサン・パルデン・イェシェは)シャンバラを説いてきた転生ラマなのです。

 さて、『失われた地平線』が出版されてからわずか4年後に同小説は映画化されています。この映画を観ると(廉価のDVDが出ています)シャングリラの住人の大半が白人であることに驚かされます。そもそもシャングリラがチベットにあるとは書かれていないのです。

 チベットの理想郷と考えられがちなシャングリラは、ヒマラヤの向こうの(チベットとはかぎらない)どこかにある欧米人中心のオカルト的(神智学協会的)共同体だったのかもしれません。チベット人のシャンバラ伝説やベユル(隠された谷)伝説とまったく無関係に物語は進んでいきます。チベットのイメージを持って、あるいは期待して映画を観た人は違和感をいだくのではないでしょうか。

 『失われた地平線』の主人公コンウェイは、連れてこられたシャングリラで、高僧(ハイ・ラマ)からシャングリラおよび僧院についての説明を聞きます。このラマ僧院を開いたのは、18世紀にネストリウス派(景教)の末裔を探しにやってきた4人のカプチン会の修道士のひとり、ルクセンブルク人のペローでした。最後にあきらかになるのは、この高僧こそペローであり、年齢は250歳を超えていたことです。

 シャングリラは理想郷なので争いもなければ一般的な老いもありません。80歳になっても若者のように山の上を飛び跳ねることができるほどみな健康的で、長生きでした。しかし特別なヨーガなどの健康法があるわけでも、長寿薬があるわけでもありませんでした。シャングリラにいるだけでさまざまな能力を身に着けることができたのです。

 コンウェイは高僧から後継者に指名されます。ラマ僧院、高僧(ハイ・ラマ)という用語を使いながらも、チベット人もチベットの宗教や世界観も登場せず、白人の秘密結社のように描かれています。ネストリウス派の人々がシャングリラを建てたのだとすれば、チベット人はかかわっていないのです。もしチベット的要素が少しでも入ったら、欧米の読者は身を入れて読むことができなくなるとヒルトンは考えたのでしょう。ドラマでアーサー王の王妃を非白人系女優(エンジェル・コールビー)が演じるご時世の現在では、考えられない設定です。

 是非はともかく、ヒマラヤの向こうのどこかにある白人の理想的な国として描くことによって、欧米人の間にシャングリラという理想郷像ができあがったのです。プレスター・ジョン(アジアかアフリカのどこかにあると信じられたキリスト教国の国王)の理想的な国とそのイメージは重なるのかもしれません。同時にチベットは神秘のベールに包まれた好奇心を駆り立てる国でした。このふたつが合体してさらに神秘性は増していくことになったのです。




シャングリラの里もこんな(私の)イメージ

⇒ つぎ 





私のイメージではシャングリラはこういう雪の高峰の向こうにある
Photo by Mikio Miyamoto