(5)バクシのイニシエーション 

                     宮本神酒男 


 シャーマンのイニシエーション儀礼はつねにミステリアスで興味深いものだ。たとえばホルガー・カルヴァイトは「世界樹」が重要な役割を果たすイルクーツク地方のイニシエーション儀礼を紹介している。シャーマン候補はフェルトのマットにのせられて九度カバノキが整然と並ぶ林に東から西へと運ばれる。彼はそれぞれの木を九度回りながら登り、木の頂で精霊を呼ぶ。師も同時に木の下の地面を回る。幹一回りが天界までの九層の各層を象徴している。またこれは魂のアセンションである。こうして師の手ほどきによってシャーマン候補は宇宙の原理を知り、本物のシャーマンになっていくのである。

 ロプチュク村のシャーマン(バクシ)の場合はどうなのだろうか。先代バクシのアブライディのイニシエーションは典型的なものではなかった。

 彼は家が貧しかったため、少年の頃から有名なバクシであるスディクの助手を務めていた。私が見た儀礼の老人たちのように太鼓をたたきながら、唱和したのである。典型的なシャーマンは病を得てからシャーマンになろうとするが、彼はシャーマンになる勉強をしているときに病気になった。精神がうつろになり、幻覚が現れ、精霊を見るようになったという。スディクがおこなった儀礼(まさに私が見たのとおなじ儀礼)によって病はよくなった。

 バクシになる勉強をしているとき、彼はカシュガルのアーファーク・ホージャ霊廟に七日間こもり、歌をうたったり呪文を唱えたりしていた。食べ物は蕎麦餅(ソバで作ったせんべい状のパン)といった簡素なもので、飲み物は白湯だけだった。身辺にはニワトリを一羽置いていた。七日目に小さな蛇、牛、火の鎖のような精霊(ウイグル語でピル)が見えるようになった。最初に見たのは牛だった。彼は恐怖におびえたが、ニワトリを撫でることによって落ち着きを取り戻した。つぎに見えたのが赤々と燃える鉄の鎖だった。つぎに見えたのは五千匹の蛇だった。最後に見えたのが白馬だった。彼はこうしてピルホン(精霊が見える人)となり、バクシになったのである。

 彼が当時見ることができたのは七つのピル(精霊)だった。

1 モスルマン・ピル 

2 アルワク・ピル 

3 イムス・ピル 

4 ジェヤンダス・ピル 

5 クリク・ジルタン・ピル 

6 テルパスラ・ピル 

7 ジャホテ・ピル 

 これらのうちヒーリング儀礼のときに用いられたのは1、2、3、5、6のピルだった。

 さて、私にはどうしても気になってしようがないことがある。それはなぜバクシの勉強をしているときに遠く離れたカシュガルのアーファーク・ホージャ霊廟に行ったか、そしてなぜ霊廟にこもったか、ということだ。もしシャーマンになろうとしているということを知らなければ、彼はスーフィーになろうとしていると私は考えるだろう。墓地にこもるというとまるで密教行者のようだけど(墓場の修業は修行法のひとつ)霊廟内部はとてもきれいで静か。そういった修業には適さない。

この霊廟は中国人観光客向けに「香妃墓」と呼ばれている。私もはじめてこの霊廟を訪ねたときは、すっかり香妃のための墓だと思いこんでいたので、中に入ると棺がたくさんあるのに面食らってしまった。香妃は13歳のときに乾隆帝の側室となり、38歳で死去、遺体はカシュガルまで運ばれ、この霊廟に納められた。清代に描かれた肖像画を見ると、エキゾチックな美女として描かれているものもあるが、漢族のような容姿で描かれているものもあり、本当の姿ははっきりしない。それでもやはり漢族や満族の知らない異国の香水をつけたエキゾチックな美女であってほしいと思う。

話を戻すと、この霊廟はあくまでも香妃ひとりのためのものでなく、ホージャ家の初期の人々のものだった。とくに名前の通り、アーファーク・ホージャのために建てられたのである。このアーファーク・ホージャ(16261694)、じつはクムル(ハミ)の生まれである。霊廟とハミの間には強いつながりがあるのだろうか。彼が生まれたとき、父親ムハマド・ユースフ・ホージャはクムル(ハミ)で宣教活動をしていた。このムハマド・ユースフ・ホージャの父ホージャ・カラン率いる一派は白山党(それに対するは黒山党)と呼ばれた。
 アーファークは長年に及ぶ戦いに勝利し、死の直前には息子のヤヒヤ・ホージャをハーン・ホージャとし、カシュガル、ホータン、ヤルカンド、コルラ、クチャ、アスクを含む広大な国、ヤルカンド汗国の支配者に据えた。もっとも翌年の1695年にヤヒヤは殺され、短期間の天下に終わってしまう。

ここで重要なことは、ホージャ家はもっとも大きなスーフィーの系統のひとつ、ナクシュバンディー派の主体であることだ。このスンニー派イスラム神秘主義の教派は14世紀、ブハラ(ウズベキスタン)で生まれ、中央アジアからインド、パキスタン、シリア、エジプト、トルコなど世界中に広まった。
 アメリカから世界にスーフィズムの魅力を発信しているヴォーン=リーはじつはこのナクシュバンディー派である。ヴォーン=リーの師であるロシア人女性トゥイーディーはインドでインド人グルのもとで学んでいるが、インドにおいてナクシュバンディー派は最大のスーフィー宗派の一つなのである。

スーフィーといえば聖者廟(ダルガー)崇拝と切り離すことができない。私が「スーフィー・ナイト」を経験した場所もパキスタン・ラホールの聖者廟だった。もしアーファーク・ホージャ霊廟が聖者廟であるなら、アブライディがここに七日間もこもったのはバクシになるためというよりスーフィーになろうとしていたからかもしれない。


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