蓮華 ラクシュミー(吉祥天)について       宮本神酒男 
仏教はいうまでもなくヒンドゥー教の一派ではない。しかしインド宗教の中核であることにまちがいない。蓮華は仏教の象徴となる以前からヒンドゥー教の象徴だった。蓮とかかわりの深いラクシュミー(吉祥天)はそんなヒンドゥー・仏教文化に彩を添えてきた。

⇒ 写真「理想の蓮華と実際の蓮華」 


上野・不忍池の蓮花。紅蓮華である。 



これも不忍池の蓮。「江戸名所図会」には風流な観蓮会の様子が描かれているので、数百年の歴史があるということだろう。作家の杉本苑子は、つぼみが開くときにポンと音をたてるかどうかを気にしている。彼女によると、戦時中は蓮がすべて抜き取られ、田んぼに変身したという。(『東京の中の名所図会』)



ベトナム・フエの蓮。池の藻が上野と比べると、密なような気がする。


これもフエの蓮。この蓮池には古い観蓮台が作られている。



フエの別の蓮池。このあたりは白蓮華が多い。



ベトナム・ホイアンの蓮。葉が赤味がかっている。



  
ラクシュミー。蓮の花に坐り、また蓮花を二本の手に持つ。



「ラクシュミー・タントラ」の表紙に描かれたラクシュミー。




夢を見るヴィシュヌ。足をマッサージしているのが妃のラクシュミーである。これが作られた頃には、よき妻というイメージが定着していた。




ナヴァ・パドマ・マンダラ 
中央の四角の中の9つの蓮のまんなかの蓮は、ナーラーヤナの膝に坐るラクシュミーがいると考えられる。その上の蓮はラクシュミー。その右の蓮はフリダヤ。その下はキールティ、その下はシーラ、その左はジャヤー、その左はシカー、その上はマーヤー、その上はヴァルマ。




チャクラーブジャ・マンダラ 




ナヴァ・ナーバ・マンダラ 
中央の蓮はヴァースデーヴァの座。その上はサンカラシャナの座。その右はプラデュムナの座。その下はアニルッダの座。その下はナーラーヤナの座。その左はヴィラートの座。その左はヴィシュヌの座。その上はナラシンハの座。その上はヴァラーハの座。 




ラクシュミー・ダーター・ヴィジャヤ・ビーサー・ヤントラ 
このヤントラによって商売の利益を得ることができる。




ラクシュミー・プラープティ・ビーザ・ヤントラ 
富を得るためのヤントラ。ボージュパトラ(ヒマラヤ樺)か紙の上に、金のペンかザクロ、あるいはジャスミンの棒でヤントラを描く。銅のプレートにヤントラを描いて、家の中か仕事場所に飾ってもよい。




ラクシュミー・ダータ・チャマトカーリー・ヤントラ 
金か銀のプレート、あるいはボージュパトラの上にヤントラを描き、毎日崇拝せよ。富を得ることができるだろう。




ラクシュミー・プラープティ・ヤントラ 
サーダカ(サーダナー、すなわち修行をする人)はこのヤントラによって女神マハー・ラクシュミーを慰撫する。ディーパワリーの祭りの日、銀のプレートにこのヤントラを描き、家に飾る。富がもたらされるだろう。




アドブタ・ラクシュミー・プラパティ・ヤントラ 
このヤントラを持ったまま、マントラを11000回唱えよ。富がもたらされるだろう。




カマラー・ヤントラ 
このヤントラは女神ラクシュミーをたたえるためのもの(カマラーはラクシュミーの一面)。幸運と繁栄をもたらすと考えられる。マントラを唱えたあと、願いはかなう。マフラト(占星術)によって時間を選び、このヤントラを描く。ヤントラのプジャ(儀礼)をおこなう。
なおマントラは、
「オーム・ナモ・ウッチシュタ・チャンダーリニー・クショバニー・ドラヴィ・アーナヤ・パルスカム・クル・ドー・スワハー」 










序:仏教はヒンドゥー教の一派!? 

 何年か前、インド北部の山中の町に滞在していたとき、ヒマチャルプラデシュ州のある地域の警察副署長と酒を飲みながら話をする機会があった。そのとき彼が突然「仏教はヒンドゥー教の一種である」と主張しはじめたので、私はムキになって反論を試みた。彼は大学教授ほどの素養があるわけではないが、いちおうの知識人である。それなのになんとも理屈に合わない、挑発的なことを言うではないか。仏教はヒンドゥー教を外道とまで呼び、さげすむこともあるのに、その一派だなんて。

 とはいえ彼がそう考えるには、十分な根拠があった。ブッダをヴィシュヌの24番目のアヴァターラ(化身)とするヒンドゥー教徒、とくにヴィシュヌ派の伝統的な見方があった。一部のヒンドゥー経典では、ブッダの妃は女神ターラーだとしている。それについてはあとでまた触れよう。

 ヒンドゥー教がアヴァターラであるブッダを外道呼ばわりすることはなかった。『バーガヴァタ・プラーナ』にはこう書かれている。

「シュリー・ブッダよ、覚醒した者、純粋なる者よ、闇の力、すなわちダイティヤやダナヴァ(アスラ族)を駆逐する者として生まれたあなたをあがめます」

 ジョン・ウッドロフ(別名アーサー・アヴァロン)によると、『ターラー・タントラ』にはつぎのような一節があるという。

「あなたはふたりのクラ・バイラヴァ、すなわちブッダとヴァシシュタについて話した」

 クラ・バイラヴァとは、墓場の修行者のことである。ヴァシシュタは「7人の偉大なるリシ(修行者)」すなわち七仙人のひとりに数えられる。仏教のブッダは中道を説いたが、墓場の修行者であるなら過激な修行者ということになる。中道ではヒンドゥー教から評価されないのだろう。

またシヴァはつぎのように述べた。

「ジャナルダナ(ヴィシュヌ)はブッダの姿(ブッダルピ)をしたすばらしいデーヴァ(神)である」

 ではヒンドゥー教徒は仏教徒なのだろうか? もちろんそうではない。イスラム教徒がイエス・キリストを否定せず、むしろ神の使徒として認めているのと似たようなものだといえる。イエスを使徒として認めているからといって、イスラム教徒がキリスト教徒というわけではないのと同じケースである。

 しかし仏教徒は仏教徒で、いろいろな面で仏教がヒンドゥー教とよく似た宗教であるにもかかわらず、まったく異なっていると思い込んでいる面もあるのではなかろうか。

 たとえば坐禅。もともとヒンドゥー教やジャイナ教、仏教が行う瞑想修行法を指すディヤーナという言葉が中国(chan)をへて日本にやってきたものである。修行法であるヨーガの一形態ともいえるだろう。当然本場インドにはヨーガやディヤーナの種類は豊富で、実践する人もさまざま、人口も厖大なのだが、日本人はうっかりと、瞑想修行の本場は、つまり坐禅の本場は日本であると誇示してしまいそうだ。

 ヨーガは大きく4つに分けられる。一つは、ジュニャーナ・ヨーガ、すなわち智慧のヨーガ。二つめは、バクティ・ヨーガ、すなわち信愛のヨーガ。三つめは、カルマ・ヨーガ、すなわち実践のヨーガ。そして四つめはラージャ・ヨーガ、すなわちこれらを統合して解脱に向う大王のヨーガ。このラージャ・ヨーガが仏教の禅定に当るという。(田上太秀『禅の思想』)*主流派のひとつハタ・ヨーガは中世に発展したものなので(『ハタ・ヨーガ・プラピディカ』は15世紀に編纂された)これには含めない。

 蓮も「仏教の象徴」と考えてしまうが、ヒンドゥー教の象徴としての蓮のほうがずっと歴史が長い。3500年前、つまりゴータマ・ブッダの時代より千年も前に編纂された『リグ・ヴェーダ』にすでに蓮は何度も登場している。

「汝の子宮のなかの子が10か月に達したなら、風が蓮池の表面に四方からさざなみを立てるように、さざなみを立てて出てこさせよ」

「シニーヴァリー女神よ、胚を置け。サラスヴァティー女神よ、胚を置け。蓮の花冠をかぶった双子のアシュヴィン神に胚を置かしめよ。黄金の木切れを擦らせて、アシュヴィン神に火を起こさせよ。そうして10か月のちに結実することを我々は祈願する」

 ペンギン・クラシック版『リグ・ヴェーダ』の索引を引くと、蓮は8回登場する。これらには一見すると特別な意味や象徴性はないように思えるが、上の2例が両方とも妊娠と誕生を表わしていることから考えると、当時から蓮は繁栄と豊饒を連想させるものだったようだ。のちに蓮はヨーニ(女陰)の隠喩とみなされるようになるが、すでにそういった生命力が連想されたのである。*チベット人が崇拝する8世紀に(伝説的だが)実在した第二のブッダ、パドマサンバヴァ(ペマチュンネ)はサンスクリット語で蓮華に生まれたる者という意味。チベット人の多くが唱える観音のマントラ、「オーム・マニ・ペメ・フーム」(おお蓮華のなかの宝珠よ)も蓮華崇拝と関連している。蓮華はインドでは古くから信仰されてきたが、こうしていつのまにか仏教の重要アイテムになっていた。


蓮の女神ラクシュミー 

 世界はヴィシュヌが見た泡沫(うたかた)の夢にすぎない。

 ジョゼフ・キャンベルは、神話の象徴について書いた著書『神話のイメージ』の冒頭で「宇宙を夢見るヴィシュヌ」というよく知られたヒンドゥー教のレリーフの解析を試みている。このレリーフの中央で、ナーガのフードに守られ、左肩肘をついて眠っているのはヴィシュヌである。

 「まるで(ヴィシュヌの)体から成長しているかのように」伸びているのは蓮である。その蓮の花を玉座として坐しているのは、光の神であり、見える世界の創造主であるブラフマーだ。その右側には愛妻パルヴァティとともに牛のナンディに乗る幻影の破壊者シヴァが、左側には象のアイラヴァタに乗った現象世界の維持者インドラの姿が見える。

 寝そべるヴィシュヌの足をマッサージしているのは、シュリー、すなわち愛と幸運の女神ラクシュミーである。このラクシュミーこそ蓮によって象徴される女神である。

 ヴィシュヌの貞淑な妻となるまでは、ラクシュミーはむしろ移り気な女神だった。彼女のパートナーになったのは、ソーマ(樹液の神格化)、ダルマ(徳のある行為の神格化)、インドラ、悪魔のバリやプラフラーダ(Prahlada)、クベーラなどである。

たとえばラクシュミーがインドラの隣に坐るだけで、インドラは雨を降らせ、穀物はよく実り、母牛は乳をふんだんに出し、地上には花が咲き誇った。

 インドラから侮辱を受けたとき、ラクシュミーは三界から姿を消した。その結果、犠牲儀礼は行われなくなり、聖者の耐乏生活は続けられなくなり、寛容さが世界から消え、太陽や月は輝きを失い、神々は強靭さをなくし、火は熱を失ったという。(Upendra Nath Dhal <Goddess Laksmi>

乳海撹拌神話が語られる頃には、ラクシュミーはヴィシュヌの妻として定着するようになっていた。偉大なる宇宙の王の妻として、夫に忠実で従うヒンドゥー教の模範的な妻の姿に描かれるようになった。上述のごとく、寝そべって夢を見るヴィシュヌの足をマッサージするラクシュミーは、この新しい姿なのである。

 『ヴィシュヌ・プラーナ』(ホレース・ヘイマン・ウィルソン英訳)では、シャクラ(インドラ)の口を借りて手に蓮を持った女神ラクシュミーを礼賛している。

 ヴィシュヌの胸に寄り添っておられるお方、蓮の玉座に座した、満開の蓮の花のような目をしたすべての存在の母、シュリーに敬礼いたします。汝はシッディ(超人的な力)を有する者であられます。汝はスワダであり、スワハであり、神の食べ物(スダ)、宇宙の清浄者であり、夕方、夜、明け方であり、力、信仰、知性であり、文学の女神(サラスワティー)であられるのです。

 さらに『ヴィシュヌ・プラーナ』には、痛々しいほど従順なラクシュミーの姿が描かれている。

 ハリ(ヴィシュヌ)がこびと、すなわちアディティの息子として生まれたとき、ラクシュミーは(パドマー、あるいはカマラーとして)蓮から現れた。彼がラーマとして、すなわちブリグ種族(またはパラシュラーマ)として生まれたとき、彼女はダーラニーだった。彼がラーガヴァ(ラーマチャンドラ)のとき、彼女はシータだった。彼がクリシュナのとき、彼女はルクミニーだった。ヴィシュヌがほかの化身として現れたときも、つねに連れだった。もし彼が天上人の姿をとったなら、彼女は神々しい姿をとった。もし彼が死すべき存在(人間)になったなら、彼女も同様の存在となった。ヴィシュヌを喜ばすためならどんな姿になることも厭わなかった。

 

ラクシュミー・タントラ 

 ヴィシュヌ派の一派であるパーンチャラトラ派(パーンチャラトラは五夜という意味)がラクシュミーを母なる女神として、またヴィシュヌ(ナーラーヤナ)のシャクティ(妃)として重んじたことによって、ラクシュミー人気は決定的になった。『ラクシュミー・タントラ』は、パーンチャラトラ・アーガマ(阿含)と呼ばれるあまたの(200冊以上の)経典群のひとつだが、特別視された経典といえるだろう。*サンジュクタ・グプタによると、古代サンヒター(ヴェーダ文献の本集)からの引用は多いが、ヴィシュヌの化身ブッダがシャクティ(妃)のターラーとともに現れることなどから、『ラクシュミー・タントラ』の成立時期は9世紀以前にさかのぼることができないという。 

 『ラクシュミー・タントラ』の目次を眺めると、宇宙開闢や哲学について重点的に述べられていることがわかる。なかでも5章「プラクリティから生まれる物質世界の進化」と第51章「宇宙開闢」には核心的なことが書かれている。またグプタ氏によると、第51章以降はそれまでの要約を兼ねているという。

 第5章にヴィシュヌの眠りの説明をした箇所があるので、下に挙げたい。

 (神は)アヴヤクタ(顕在しないもの)と呼ばれるプラダーナ(原理)を水に変える。神フリシケーシャ(hrsikesha 統御する者の意。ヴィシュヌ)はパドマーとともに、ヴィディヤーを伴って現れ、横になると、深い眠りに就く。そしてマハーカーリーと呼ばれる者(女神)がタマス(非活動)から成る眠りとなる。

 それから、おお、プラムダラ(国王の名)よ。神が眠っているとき、そのヘソから蓮が生えてくる。この泥(パンカ)から成長したのではない蓮パンカジャは、時間から構成されるのでカーラマヤと呼ばれる。(『ラクシュミー・タントラ』第5章)

 このパドマー(ラクシュミーのこと)とヴィディヤー(サラスワティのこと)はヴィシュヌの代表的な妃である。しかしここでは3つのグナ(属性)が創造神話と結び付けられている。すなわちラジャス(活動)を持つパドマー、サットヴァ(調和)を持つヴィディヤー、タマス(非活動)を持つマーヤーの3人のシャクティ(妃)だ。

 ジョゼフ・キャンベルが引用した「宇宙を夢見るヴィシュヌ」のレリーフに描かれるように、眠るヴィシュヌのヘソから蓮が生えてくる。この蓮は泥から生えてくる蓮と区別されて、パンカジャと呼ばれる。仏教の蓮は泥の中で生まれるところがミソなのに、ヒンドゥー教の蓮は泥ではなく、ヴィシュヌのヘソという清浄な聖なる場所で、宇宙の中心で生まれることこそがミソなのである。

 そして蓮は永遠の時間を象徴する。仏教の蓮はけっして時間を象徴することがないのである。


ラクシュミーの神話中の物語 

 神話伝説にはラクシュミーに関わるさまざまな物語が伝えられている。このなかから5つのエピソードを紹介したい。

トゥルシの木になった女神ラクシュミー 

雌馬になった女神ラクシュミー 

悪魔ジャランダルの物語における女神ラクシュミーの役割 

●女神ラクシュミーを崇拝するインドラ 

●クリシュナのアドバイスにより女神ラクシュミーを祀るユッディシュティル 

 

ラクシュミーの民間伝説 

●用心深い老女(soon) 

●コーマティのやりかた(soon) 

●女神ラクシュミーの約束(soon) 

●ヴィシュヌの睡眠を削る女神ラクシュミー(soon) 

●卑しい者にやさしい女神ラクシュミー(soon) 

 

ラクシュミーの主な寺院  

●デリーのラクシュミー・ナラヤン寺院 

●マトゥラ・ヴリンダヴァンのラクシュミー・ナライン寺院 

●ジャイプールのラクシュミー・ナライン寺院 

●エローラ洞窟のラクシュミー・ナラヤン寺院 

●ムンバイのマハーラクシュミー寺院 

 

マントラ、ヤントラ、マンダラ 

 『ラクシュミー・タントラ』を読むと、瞑想や観想において蓮がいかに活用されているかがわかり、興味深い。

 第47章には、ターリカー・マントラの実践方法が詳しく述べられている。まず修行者(ヨギン)は、「地の元素」から宇宙原理を取って、喉と胸と腿の間の(宇宙の)知性に運ばねばならない。彼は決められた回数のジャパ(マントラを唱えること)を行う。

(詳しい儀軌は省略するが)彼はそのあと蓮を観想する。蓮は顕在化されない意識の座である。蓮はプラクリティ(物質原理)の永遠の棲家なのである、

 そして彼は蓮の茎を、顕在化されない時間、個々の自身、不変の存在(アクシャラ)の混合物であると観想する。アクシャラは無限の空間(カム)である。時間はタマス(非活性)であり、茎の空洞を形成している。彼はこうした観想を行いながら、ジャパを正しく遂行する。

 彼はそれからアニルッダというシャクティ、プラデュムナシャクティ、サンカルシャナのシャクティなどを観想し、ジャパを行う。それからヴァースデーヴァを観想する。これはラクシュミーとナーラーヤナという聖なる夫婦の超越的な姿である。彼らはシャクティ、すなわち聖なるバイブレーション(スパンダマーナ)の所有者である。

 このとき彼は眠気を感じるかもしれないが、居眠りもまたヨーガの一形態である。睡眠の瞑想のあと、夜遅く起きると、彼はダーラナーの実践を開始する。12のダーラナーが彼の心臓に保持される。このヨーガはサルヴァヒタヨーガと呼ばれる。

 このあとの実践内容はあまりに詳しすぎ、感覚的に理解しがたいので省略するが(そもそもタントラなので、公開すべきではないのだろうが)この章の49−50段だけを訳出したい。

 (修行者は)9つの蓮のなかに(ターリカーが)存在すると、また低いところの蓮から高いところの蓮へとつぎつぎに現れると観想する。9つの蓮の配置はつぎのようになっている。3つはアーダーラ(パドマ)に、3つは心臓の蓮の下に、3つは額の下にあるのだ。あるいは12の蓮のなかにターリカーが存在すると観想するかもしれない。身体の6つのヴァイタルな部分にそれぞれ、とくに額に2つずつの蓮を観想するかもしれない。

 以上は瞑想修行のほんの一端を示したにすぎないが、これらはタントラの隠された部分、つまり奥義なのであり、理解しがたいのは当然のことだろう。このタントラ版ラクシュミー(を含むシャクティ)は、日本にまで伝わった仏教の吉祥天としてのラクシュミーとはまるで別の存在のようである。

 私はさらにラクシュミーのマンダラやヤントラを付け加えたい。マンダラはおもにラクシュミーを信仰し、瞑想修行を実践する者の修行の補助となるものであり、ヤントラは修行者だけでなく、一般庶民が魔除けがわりに使うものである。(左の図像参照)

 マンダラはつぎの3種。

 ●ナヴァ・パドマ・マンダラ ●チャクラーブジャ・マンダラ ●ナヴァ・ナーバ・マンダラ 

 またヤントラは以下の通り。(P・クッラナ『ヤントラによるヒーリング』より)

 ●ラクシュミー・ダーター・ヴィジャヤ・ビーサー・ヤントラ ●ラクシュミー・プラープティ・ビーザ・ヤントラ ●ラクシュミー・ダータ・チャマトカーリー・ヤントラ ●ラクシュミー・プラープティ・ヤントラ ●アドブタ・ラクシュミー・プラパティ・ヤントラ ●(ラクシュミーの一面であるカマラーの)カマラー・ヤントラ 

 

僧侶を欲情させた吉祥天女(ラクシュミー) 

 ラクシュミーはどのようにして日本に伝わったのだろうか。日本に仏教を伝えた中国にラクシュミーの痕跡がほとんどないだけに、あたかもインドから直接やってきたかのように見える。

 ラクシュミーは吉祥天、あるいは吉祥天女という名前で知られる。もちろんヒンドゥー教の神ではなく、仏教の神(菩薩)として。『日本霊異記』の多田一臣氏の解説によると、奈良時代の天平から天平宝字年間(729765)の頃、もっとも吉祥天信仰がさかんであり、平安時代になると衰退していった。当時、吉祥天を本尊とする吉祥悔過(けか)が国家規模で行われるとき、経典『最勝王経』が講じられたという。

 『最勝王経』は、中国では日の目を見なくなっているが、日本のほか、ネパールやモンゴルでは長く尊ばれてきた経典である。採録された「流水(るすい)長者治病」や「捨身飼虎」などの故事はよく知られている。この経典と吉祥天女がどう結びついたかはわからないが、セットになってインドから中国にもたらされ、日本に伝えられたのだろうか。ラクシュミーは発展と幸運と富をもたらす女神だったので、現世利益と結びつきやすく、仏教の神となっても、国家繁栄を願う規模の大きな儀式のときには必要とされたのだ。

 そもそもヒンドゥー教が女神だらけなのにたいし、仏教には慈愛あふれる女性の神が不足していた。チベット仏教においてはターラー女神が人気の高い女神の役割を担ったが、中国仏教では観音が女性化することによって補うことになった。

 ラクシュミーは、当初、七福神のひとつに数えられるなど女神の代表格だったが、そのうち同様にヒンドゥー教から仏教に取りいれられた弁財天(サラスヴァティー)に取って代わられるようになった。*インド起源の神格には、歓喜天(ガネーシャ)、帝釈天(インドラ)、梵天(ブラフマー)、大黒天(シヴァの化身マハーカーラ)、ダキニ天(ダーキニー)などがある。ブッダがヒンドゥー教に取りいれられたように、多くのヒンドゥー教の神々が仏教に取りいれられた。

 『日本霊異記』や『今昔物語』に収録された吉祥天の故事は、書くのも少々恥ずかしい内容のものである。題は「愛欲を生じて吉祥天女の像に恋い、感応してあやしきしるしを示しし縁」である。

 和泉の国の山寺に吉祥天女の美しい塑像があった。そこに信濃の国の優婆塞(在家僧)が来て住み始めた。吉祥天女像があまりにも美しかったので、優婆塞は像に恋をし、「このような美女を与えてください」と一日に6度も祈った。ある夜、優婆塞は天女とセックスする夢を見た。夜が明けて天女像を見ると、裳(も)の腰あたりに精液が飛び散っていた。「天女さまと似た人を願っていたのに、天女さまご自身と交わるとはどういうことでしょうか」と声に出して言ったのを、彼の弟子が聞いていた。その後師匠に礼を尽くさないと非難されて追い出された弟子が、逆切れして、里に下りると村人にこのことを吹聴して回った。

 これは一種の夢精だろうと思うのだが、作者は「信じる心を深く持てば、神仏にも通ずる」と驚くべきポジティブな感想を加えている。一方同様の故事を収録する『今昔物語』の作者は「きわめて無益なこと」とあきれかえっている。現代で言えば「二次元キャラに恋した」(塑像なので厳密には三次元だが)僧侶といったところである。

 中国の貴婦人風という以外、この吉祥天女像がどんな姿をしていたかはわからないが、もとが蓮の女神ラクシュミーなのだから、蓮を手に持った清楚な美女であったに違いない。ただし蓮を持っていることが当時の日本人にとくに意識されることはなかったようだ。

 

蓮と仏教 

「蓮華が泥水の中に根をはりながら、しかもその汚れなき姿を水面に現していることが、あたかも、濁悪の世間にありながら、しかもみずからの清らかさを失うことなく仏道を行ずるという菩薩の姿に喩えられる」(中村元編『仏教植物散策』三友量順氏筆)

 われわれが「仏教と蓮」についてイメージするのは、まさにこういうことだろう。しかしすでに述べたように、古代インドにおいては、泥の中で蓮が育つことばかりが注目されたわけではない。

 仏教経典においても、「極楽世界の宝蓮華には百千億の葉があり、その葉からは無量の光明を出し、その一々の光明からは無量の仏陀が現れている」(『無量寿経』)というように、美しく、光り輝いていることが強調されることもあった。

 初期の大乗仏教経典にも泥の比喩が現れるようになる。三友量順氏は『維摩詰所説経』の一節を引用する。

 高原・陸地には蓮華は生ぜず、卑湿の淤泥にすなわちこの華を生ずるが如く、かくの如く、無為法を見て正位に入る者は、ついにまたよく仏法を生ぜず、煩悩の泥中にすなわち衆生ありて、仏法を起こすのみ。 

 つまり「汚泥のような世間の中にこそ菩薩の生き方が示される」というのだ。このような比喩がヒンドゥー教の古代文献に現れることはまれで、大乗仏教らしい表現法のひとつだといえるだろう。それは菩薩に当てはまる比喩であり、前身がヒンドゥー教の蓮の女神であるラクシュミーが泥の中に生まれる必要はないのだ。

 この比喩をもっとも端的に示したのは、『法華経』の「不染世間法 如蓮華在水」という言葉だろう。それは仏教以外にも影響を与えた。たとえば、北宋の朱子学の儒学者、周敦頤(しゅうとんい 10171072)は『愛蓮説』中に「泥から出て染まらず、さざなみに洗われてもすがすがしく、まっすぐに立ち、蔓や枝もなく、香りは遠くにまで及び、亭々として浄らかに植(ふ)える」と書いている。この泥の中に生まれても穢れず、美しく清浄な花を咲かせる姿は、東アジア人の心情にうまく当てはまったようである。

 

 最後に仏教の文献に出てくる蓮の種類について付け加えておきたい。(上述の『仏教植物散策』を参考)

 紅蓮華(パドマ)、青蓮華(ウトパラ)、黄蓮華(クムダ)、白蓮華(プンダリーカ)などが仏典に登場するが、クムダは白睡蓮であり、ウトパラもムラサキスイレンのことだろう。青蓮華、すなわちブルー・ロータスといえばこの世に存在しないものの喩えであり、ドラッグを表わす隠語として使われることもあるくらいだから(漫画「タンタンの冒険」では魔都上海のナイトクラブの名前だ)睡蓮のことだろう。インド人は蓮と睡蓮を厳密に区別しなかったのである。

 蓮が出てくるエピソードとしては、デーヴァダッタの物語がある。シッダールタの従兄弟であるデーヴァダッタは釈尊(シッダールタ)に敵対心を抱き、あるとき五百人の弓使いの婆羅門を王舎城に送った。このとき放たれた矢はことごとくクムダ、プンダリーカ、パドマ、ウトパラなどに変わったという。このできごとを目にした婆羅門たちはその場に崩れ落ち、合掌し、自らを恥じて出家し、仏道に励む決心をした。放たれた無数の矢が、色とりどりの紅蓮華、青蓮華、黄蓮華、白蓮華に変わるさまを想像しただけでも溜息が出てしまいそうである。

 ウトパラといえば、ウトパラ・ヴァルナ(蓮華色)という名の比丘尼のエピソードを三友氏は紹介している。帰郷していたウトパラのもとに、出産後、夫がやってくる。こともあろうに夫はウトパラの母親と懇ろになってしまう。ショックを受けた彼女は生まれたばかりの娘を残して家を出る。波羅●(はらな)城にたどりついた頃には、埃まみれになっていた。しかし妻を亡くしたある長者がたたずむ彼女を見て、その美しさに驚き、妻として迎えたいと申し出る。ウトパラは長者の妻となる決心をする。*●は木ヘンに奈  

のち、長者はウトパラが生まれ育った国へ行き、そのときに見つけた美しい娘を連れて帰った。この娘こそウトパラが産んだ娘だった。彼女はかつて夫を母と共有し、いま夫を娘と共有することになったのである。この運命を呪ったウトパラは世尊のもとへ行って出家し、ついには阿羅漢の地位を得るまでになった。

 彼女がウトパラという名で呼ばれたのは、当然偶然ではない。現代の流行語で言えば「ビッチ」と呼びたくなるような彼女ではあるが(母親もそうである)心は純粋で美しかったので、出家して仏道に励めば、解脱することができたのである。

 三友氏は蓮華のなかでも白蓮華がもっともすぐれているとみなされていたようだと述べる。それは『スッタニパーダ』中のつぎの一節によく表れている。

 麗しい白蓮華が泥水に染まらないように、あなたは善悪の両者に汚されません。雄々しき人よ、両足をお伸ばしなさい。サビアは師を礼拝します。

 六師外道のすべての智者の言葉に納得しなかったサビアが、世尊と会ってはじめて心を動かされ、このように述べたのだという。善悪に染まらないブッダの姿を見て感銘を受け、サビアは出家する決心をしたのである。