ロヒンギャの起源 宮本神酒男
ロヒンギャという言葉はごく新しい、とよく言われる。1950年代以前にはなかった、というやや横暴な論さえある。しかし旧都アヴァに駐在していた外科医のフランシス・ブキャナン(1762−1822)は「アラカン(ラカイン)のイスラム教徒は自分たちをルーインガ(Rooinga)と呼んでいる」と記しているのだ。RooingaとRohingyaは同一とみてさしつかえないだろう。200年前すでにロヒンギャという呼称があり、それ以前からあったとしてもなんら不思議はない。それに呼称はともあれ、ロヒンギャの祖先ははるか以前からラカインに住んでいたのかもしれない。一部の歴史家は、ロヒンギャは英領時代に現在のバングラデシュから移住してきた労働者の子孫であると主張している。しかし、バングラ(ベンガル)人がやってきてうまく溶け込むことができたのは、すでにおなじベンガル語を話す人々が住んでいたからだと考えればいいのではなかろうか。
ロヒンギャの語源にはさまざまな説がある。たとえばRoham説。8世紀、難破したアラブ人がアラカン王のもとにひきずり出され、死刑を宣告されたとき、「憐み(Roham)を!」と叫んだとする。それがイスラム教徒を指すようになり、訛ってRhohangさらにロヒンギャとなった。話のネタとしては面白いかもしれないが、俗説、あるいはこじつけといったほうがいいだろう。
その他さまざまな説があるが、どれも説得力に欠くものばかりである。たとえば年代記作者がラカインのことをRoshangと呼んでいたので、それが変化してロヒンギャとなったという説がある。しかしそのRoshangの語源がそもそもわからない……。
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