ロヒンギャはラカインの先住民なのか              宮本神酒男 


 ビルマ語方言を話すラカイン人の祖先がラカインにやってきたのは、957年のことだったとされる。彼らは偉大なるアノーヤター王(
10441077)が登場する以前の初期バガン王朝から来たのだろうか。この957年、ラカイン人の祖先はウェータリーのヒンドゥー王朝(チャンドラ王朝のスラ・チャンドラ王)を滅ぼした。ウェータリーにヒンドゥー王朝の時期があったことはあまり知られていないが、数多くのヒンドゥーの神々の石碑や石像からもあきらかだろう。

*ウェータリーはブッダがよく訪れていた古代インドの都市ヴァイシャーリー(毘舎離)にちなんで付けられた地名。もしかするとそこからやってきた仏教を奉ずる人々がここに定住したのかもしれない。

 ラカインのもっとも古い遺跡は、マハムニ寺院(現在目にする建物は18、9世紀に建てられたもの)が立つダニャワディである。ブッダの時代からそれほど経ていない時期にマハムニ仏が造られた(実際は14世紀か15世紀?)と伝えられていて、かなり古くに仏教が伝播していたということになる。出土物からも、仏教やヒンドゥー教といった宗教文化が波のごとく何度も押し寄せていたことがわかる。ラカインは広い意味でのインド(ベンガル)文化圏に属していたのだ。そうすると原ラカイン人はベンガル人であり、ロヒンギャの祖先が先住民ということにならないだろうか。

 ラカイン州の北西のインド・ミゾラム州に住むミゾ族や北のミャンマー・チン州に住むチン族などミゾ・クキ・チン語支(チベット・ビルマ語族)に属する人々がかなり早くから定住していたのは間違いない。しかし仏教を伝えたのはインド人(ベンガル人)だったと思われる。インド人であるからこそある時期からヒンドゥー教が優勢になり、イスラム教に転向したのではなかろうか。仏教が栄えたカシミールやスワートでも仏教が衰退したあとヒンドゥー教が隆盛し、そのあとにイスラム教の波が押し寄せている。

 イスラム教はそれまでの宗教文化を否定する傾向があり、そのためラカインのイスラム教徒(ロヒンギャ)が現地のローカル文化と関係ないように見えるのかもしれない。しかし6章で述べるように、イスラム教の神秘主義を含む華やかなベンガル文化がラカインにまでやってきていたのも事実である。文化的には東ベンガルに属していたのである。



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