1 まだ植民地時代は終わっていない

 われわれは何者なのか。人類の歴史をどうとらえるかによって、その認識は変わってくる。世界をどう解釈するかによって、まったく違ったふうに見えるものなのだ。
 われわれの感覚に限界があるように、歴史観もまたその時代の制約を受けてきた。われわれはどの時代でも、その時代の歴史観を真実としてとらえてしまう。またどの社会でも、それぞれのもつイメージによってその文明を真実として解釈してしまいがちだ。
 現代の科学技術主義、ないしは物質主義は古代ギリシアを現代文化の基礎、文明の曙とみなしてきた。また古代の中東、シュメール、エジプトをギリシア文明の先駆者と考えた。しかしこの考え方はインドや中国、メソポタミアを無視し、軽んじる傾向を生み出した。
 現代の歴史について書かれた本を読むと、それらはヨーロッパの歴史にほかならず、ヨーロッパ以外のことといえば、原始的な文化と考えられ、申し訳程度に書き足されているにすぎない。しかしたとえ技術的に遅れていたとしても、精神的に、あるいは芸術的に高度な発展をとげてきたといえるのではないか。

 植民地時代後われわれはヨーロッパ中心主義、物質主義について再考するようになった。同時に伝統文化や先住民の文化などについても再評価するようになった。以前は、それらは価値のないものとされ、物質的な進歩を追い求めるという名のもとに、自然環境の破壊をおこなっていた。
 しかしあらたに心理学、神話学、比較宗教学などを理解することによって、人生をスピリチュアルにとらえることが可能になった。ヨーガは最たる例である。それは従来のヨーロッパや中東という枠組みから大きくはずれていた。

 数多くの人種、民族、宗教が欧米中心の歴史観に抗うようになってきた。たとえばヨーロッパ人によるアメリカ大陸の征服は、以前はヨーロッパ文明の拡張と発展ととらえられたが、現在は先住民の殺戮と古代文明の破壊というふうに再解釈されるようになってきた。
 ヨーロッパ以外の文化はもはやヨーロッパ中心の歴史観をそのまま受け入れることはないだろう。というのはそれらがヨーロッパ文化より劣っているわけではないのだから。
 こういった歴史観の見直しはわれわれの歴史に対する認識を劇的に変えていくだろう。そしてそれは「われわれ人類とは何なのか」という考えを根本的に変えていくことを意味する。

 インドはヨーロッパの植民地主義と実利主義によってその歴史が歪曲された典型的な国家である。インドは大英帝国の植民地支配の最前線であったが、実利主義の敵ともいえるスピリチュアルな風潮の発達した土地だった。
 古代インド史の歴史家はいまヨーロッパ中心の歴史観に異を唱え、伝統文化とスピリチュアルなライフスタイルを再認識しようとしている。

 以下の論文では、古代インドを再吟味し、それによってラディカルなインド史を示すことになるだろう。注意深く素材を調べ、古代インドの隠された姿を見せることができるだろう。
 とくに「アーリア人侵入説」をどう捉えるかは、ヨーロッパ人のインド観をくつがえすための試金石となる。侵入説は最新の証拠に反する考えであり、否定されるべきものである。大胆な挑戦かもしれないが、事実によって裏付けられるものであり、インドの文明そのものを再評価するきっかけとなるだろう。


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