13 ヴェーダとインドの諸宗教

 ハラッパー文化の宗教を研究したのが、たまたまウィーラーのような宗教学を専門としない、ヒンドゥー教の知識をもたない学者たちだったため、ヴェーダと違った、シヴァ崇拝と解釈されてしまった。その基になったのは、遺跡から発見されたわずかばかりの印とシンボルだった。それゆえハラッパー文化の宗教は初期のドラヴィダ人のシヴァ崇拝とされたのだ。
 しかしながらグジャラートのロータルやラジャスタンのカリバンガンなどから火の祭壇とともに、牛の骨や陶器の破片、貝の飾りなど、ヴェーダのバラモンによる宗教儀礼に使われるものがたくさん見つかった。ヴェーダの火の祭壇の遺物は後期のインダス文明よりも初期のほうが多く発見されているのだ。火の祭壇はヴェーダの典型的なものであり、ハラッパー文明は当初からヴェーダ的であったといえる。

 ハラッパー文化が発掘者には非ヴェーダ文化に見えたのは、ヒンドゥー文化の知識の欠落によるものだ。ヴェーダもシヴァ崇拝も根はおなじなのだ。遺跡の解釈はひとつである必要などない。それに正確に解釈できるように遺跡が発見されるわけでもない。
 古代インドは、古代エジプトと同様、多くの神々を擁するのであって、ひとつの神に占められているわけではない。ヤジュル・ヴェーダやアタルヴァ・ヴェーダにルドラとして登場するシヴァもまた、ハラッパー文化の時代には神のひとつとして現れていた。

 シヴァがハラッパー文化後のインド文明のなかでガンジス川地域の神となったことは特筆すべきことだ。インドラやアグニといったヴェーダの神々はハラッパー時代のサラスワティ川地域の神々でもあった。
 さらに言うなら、インドラとシヴァには神々の王として多くの共通点があった。両者とも都市の破壊者であり、その性質は恐ろしく、猛々しく、ダンサーであり、世界の王であり、力やシャクティという名の妻をもっていた。彼らのあいだに明確な区別はないのだ。

 不幸なことに一部のドラヴィダ人政治家やシヴァ派のグループは無批判にアーリア人侵入説を受け入れている。彼らは侵入説の罠にかかったといえよう。この説はさまざまな文化要素をまとめるというより、互いに反目させているのだ。



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