15 ヴェーダの五種族

 リグ・ヴェーダに描かれる戦争は、アーリア人とダシュ人の間で発生するとしても、五種族(パンチャ・マーナヴァ)内の戦争の一部である。
 この五種族とはトゥルヴァシャ(
Turvasha)、ヤドゥ(Yadu)、プル(Puru)、アヌ(Anu)、ドルヒュ(Druhyu)で、プラーナには、マヌを始祖とするナフシャの息子、月氏王朝の王ヤヤティの五人の息子に起源をもつと書かれている。リグ・ヴェーダにはアーリア人やダシュ人もまたナフシャと呼ばれているという。
 五種族のなかで中心をなし、サラスワティ川の流域にいたのはプル人だった。ヤドゥ人は、西南はグジャラート、ラジャスタン、マハラシュトラから北はマトゥラまで分布していた。アヌ人は北方、ドルヒュ人は西、トルヴァシャ人は南西が居住地だった。プラーナにはその方向が記されているのだ。

 もともとのプラーナには、デーヴァとアスラ、すなわち神と非―神、および彼らの戦いが描かれていた。双方ともバラモンのグルを戴いていた、つまりスラ人(デーヴァ)はアンギラサを、アスラ人はブリグを。これらのバラモンは古代インドにおいて教えを受け継ぐ役目をもっていた。ウパニシャドはそんな教えのひとつである。デーヴァとアスラの戦いは、彼らのグルの戦いでもあった。

 ヴェーダの五種族の父でありアンギラサを崇拝したヤヤティ王にはふたりの妻がいた。聖仙ブリグのシュクラの娘デーヴァヤニとアスラ王ヴリシャパルヴァンの娘シャルミシュタである。トルヴァシャとヤドゥはヤヤティ王とブリグのデーヴァヤニとのあいだにできた息子だった。アヌ、ドルヒュ、プルはヤヤティ王とアスラのシャルミシュタとのあいだにできた息子だった。ヤヤティ王の物語からわかることは、五種の人々はアーリア人とアスラ、アンギラサ聖仙とブリグ聖仙の結合から生まれたということである。

 ヴリシャパルヴァンとシュクラは西南インドのグジャラートから来たとされる。海神ヴァルナの末裔とされるブリグはつねにこの地域、とくにブリグカッチャ、現在の都市バローダ南のバルチと結び付けられてきた。プラーナのなかの話では、その地域はヤヤティ王の領地と接していた。王はそこで猟をしているとき、デーヴァヤニやシャルミシュタと出会った。

 このように五種族のうち三種族は母方を通してアスラ人の血が流れているのである。もっとも早く古代インドの地に定着したプル人にはアスラ人の血が流れ、一方ヴェーダやプラーナでは敵として描かれることの多いヤドゥ人にはバラモンの血が流れているのだ。これら二つの種族は、アーリア人侵入説によれば侵入したアーリア人と土着の人々という関係になるはずだが、おなじ宗教、おなじ先祖を持っていたのだ。

 これらの五種族はその行いによってアーリア人かダシュ人、あるいは善か悪、聖なる者か聖ならざる者かに分けられた。その位置は安定したものではなく、すぐに変わった。アーリア人の王でさえその行為によってダシュやラクシャサ、ダーサ、アスラと呼ばれたのだ。

 たとえばリグ・ヴェーダのよく知られた十王(ダーシャラージナ)の戦いのなかで、勝者のスダ人はプル王とみなされ、サラスヴァティー川流域にあり、敵である五種族のダシュ人グループ、すなわちアヌ、ドゥルヒュ、トゥルヴァシャ、プルに含まれた。しかしスダ人の息子たちは破れ、バラモン文学やプラーナ文学では偉大なるリシ、ヴァシシュタを殺したとしてラクシャサとか悪魔と呼ばれることになる。
 いっぽうスダ人の降伏した敵の預言者一族、カヴァシャはバラモン文学やプラーナ文学のなかでクル王朝、とくにジャナメージャヤ王のプローヒタ(
purohita 主席祭司)であるトゥラ・カヴァシェーヤの宮廷の神官として再登場する。
 ブリグはまた、前述のようにスダに滅ぼされたが、後期のヴェーダやプラーナのなかで輝かしい教師として現れる。このような変化はもしアーリアやダシュがたんに民族を表わすのなら、ありえなかっただろう。それらは人種でも言語でもなく、宗教や精神的なものであり、その行為によって分けられるのだ。

 ヴェーダの戦いは大小さまざまな国があるにせよヴェーダの人々のあいだで行なわれるのであり、それらはマハーバーラタのなかに見出される。敵対する人々も五種族のなかのクシャトリヤや高貴な人々なのである。
 プル系統の偉大なるヴェーダの王ディヴォーダサもまたリグ・ヴェーダのなかでトゥルヴァシャやヤドゥを破る。マハーバーラタでは偉大なるリグ・ヴェーダの王にしてダシュ人の征服者であるマンダタはガンダーラすなわちアフガニスタンの月の王朝のドルヒュを破る。
 ヴィシュヌ神の六番目の化身、パラシュラーマはヤドゥ(カルタヴィリヤ・アルジュナ)だけでなくすべてのクシャトリヤをひれ伏させた。太陽の王朝のサガラもまたヤドゥ人を滅ぼす。彼らが異国の勢力と手を結んだからである。

 ヴェーダやプラーナの主な戦いはプル人とその同盟軍(イクシュヴァク人など)とヤドゥ人とその同盟軍(おもにトゥルヴァシャ人だがときにドゥルヒュ人)とのあいだで繰り広げられた。これは北のサラスワティの人々と南西の人々、すなわちデーヴァとアスラの戦いとよく似ている。
 しかしこれもまた血縁のなかの戦いなのである。リグ・ヴェーダでインドラははじめトゥルヴァシャやヤドゥの味方をするが、のちプル人のほうを贔屓するようになる。

 七番目の化身であるラーマは、ラクシャサ(Rakshasa 悪魔)同様リシの後裔であるバラモンだったラヴァナ(Ravana)を破る。ラーマの兄弟シャトルグナ(Shatrughna)はヤドゥ人の拠点であるマトゥラのラヴァナ(Lavana)を破る。ラヴァナもまたラクシャサだった。
 このラヴァナとラヴァナのつながりから考えると、ラヴァナはヤドゥ、すなわちスリランカに渡ったグジャラート人移民であり、ドラヴィダ人ではない。スリランカに渡った最初のアーリア人はグジャラートから来たヤドゥ人ということだ。ラヴァナがシータを誘拐したゴーダヴァリ川(
Godavari)はつまりヤドゥ人の地域だった。一方ラーマのもうひとりの兄弟バーラタ(Bharata)はドゥルヒュ人の地ガンダーラを征服した。

 パンダヴァ兄弟は八番目の化身クリシュナとともに彼ら自身の親族であるさまざまな悪魔の化身カウラヴァ(Kaurava)を倒す。パンダヴァ兄弟の味方にはビシュマ(Bhishma)やドロナ(Drona)といったグルがいるのだが、彼らも殺すことになる。
 カウラヴァの母方の祖先はガンダーラ人、すなわちドルヒュ人だった。クリシュナはまた親戚である邪悪なヤドゥ王カンサを殺す。

 バラモンが敵であったり、聖仙同士の戦いが繰り広げられたりするのは好例だろう。ブラーフマナやプラーナ文献中、ヴェーダの神々のなかで最高位にあるインドラの敵はヴリトラである。そのヴリトラはもともとバラモンであり、バラモンを殺すという罪を犯したため、インドラは償わなければならなかった。
 ヴェーダによれば、ヴリトラはヴェーダの神であり生贄の守護神であるトヴァシュタル(
Tvashtar)の息子なのだ。プラーナの争いごとのほとんどがインドの古代文学のなかでつねに敬われている預言者のヴァシシュタ(Vasishtha)とヴィシュヴァミトラ(Vishvamitra)のあいだに発生したものだった。争いごとはスダの時代にさかのぼる。彼らはプローヒタ、すなわち主席祭司の座をめぐって争っていた。

 ブラーフマナのヴェーダ文献はダシュ人をヴェーダのヴィシュヴァミトラ王の落ちぶれた後裔とみなしている。彼らはヴェーダの王や聖仙の後裔なのである。これはヤヤティの物語を思い起こす。王国を継いだのは末子のプルであり、年上のヤドゥやトゥルヴァシャは敵となった。

 のちに異言語を話す人々や外国人を指すことばとなるムリーチャ(Mleecha)は、ブラーフマナやマハーバーラタなどスートラ文学では西インドのグジャラートからパンジャブにかけての地域(アヌ、ドルヒュ、ヤドゥの地域)の人々を指していた。その地域は不純な行為をおこなう地域とされるようになった。
 彼らはあきらかにインド・ヨーロッパ後を話していただろうし、おなじ文化圏に属していた。これらの地域にはドワールカー(
Dwarka)のクリシュナの王国や文法家パーニニを生み出したガンダーラの有名なタクシャシラ(Takshashila)も含まれていた。こうした名称はそもそも一時的なものにすぎなかったのである。

 ヴェーダの人々とは異なる言語を用いたとか、非インド・ヨーロッパ語を話したというのはアーリア人侵入説やアーリア民族・言語の想定から導かれた推論にすぎない。ヴェーダ時代のインドの文化は、ヴェーダの神々の体系がそうであるように、複雑であったにちがいない。この時代から現代まで生き抜いたのはヴェーダだけである。
 しかしだからといって他の書物や教え(他の言語のものも含めて)がないというわけではない。ヴェーダの民には、異なる、ときにはインド・ヨーロッパ語でさえない、他民族・人種の人々も含まれるのだ。ヴェーダ時代のゾロアスター教徒や仏教やジャイナ教を生み出すシュラマナの伝統も無視することはできない。
 アーリア人侵入説を捨てさえすれば、ヴェーダやアーリア人の文化がいかに多様性に満ちているかがわかるだろう。それらが多様であるとき、人種、言語、宗教をステレオタイプ的に見る必要などないのだ。

 プラーナによればドラヴィダ人はヴェーダ中もっとも古い一族であるトゥルヴァシャ人の後裔だ。古代の歴史家はヴェーダの人々を言語によって規定しようとは考えなかった。ヴェーダは今日と同様、北インドを複雑な文化地域として描いた。
 実のところ、プラーナは中国人やペルシア人、その他の非インド・ヨーロッパ語族をもヴェーダの王たちの後裔ととらえていた。ヴェーダはすべての人々を最初の人間マヌの子孫と考えた。ヴェーダの預言者たちは人間や動物だけでなく、神々や悪魔をも創造した。

 ヴェーダの戦争をヨーロッパの戦争と比較すれば、わかりやすい。カトリックとプロテスタントの戦いやドイツとフランスの戦いがどんなに激しいものであろうと、ドラマティックな戦争の期間以外は、人々や宗教のあいだに何も起こらず、平穏な時代がつづくのである。
 これらの戦いを説明するのに外部からの侵略をもってくる必要などないし、ヴェーダやプラーナもまたそれを裏付けるものでない。


⇒ NEXT
⇒ INDEX