テンパ・ナムカ 宮本神酒男
 初期のボン教聖人のなかで注目すべきはテンパ・ナムカ(Dran-pa Nam-mkha’)だろう。ボン教の伝承によればテンパ・ナムカは8世紀頃、グル・リンポチェ(パドマサンバヴァ)と同時代に生きた。そのころ吐蕃の宮廷では「インド仏教VS中国仏教」とともに「仏教VSボン教」の争いが繰り広げられていた。後者の戦いではティソンデツェン王が仏教を選んだことで仏教が勝者になり、テンパ・ナムカも髪を切って仏教徒になったという。しかしそれは表面上のことにすぎず、多くのボン教経典はテルマ(埋蔵経典)としてストゥーパの中や洞窟の中などに隠された。


西チベット・カルドンのテンパ・ナムカ像

[付記] 私はこのテンパ・ナムカのエピソードからユダヤ人の「偽救世主」シャバタイ・ゼウィを連想せずにはいられない。1665年頃、彗星のごとく現れたスミルナ生まれのシャバタイは、一躍救世主としてユダヤ人社会のあいだで熱狂的な支持を得た。しかし数年後コンスタンティノープルで囚われの身となり、トルコ皇帝に「転向か死か」の選択を迫られ、転向を選ぶ。しかし多くのユダヤ人は、イスラム教徒となったシャバタイは仮の姿であり、本体は救世主のままだと信じたのである。

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