ソマレク説話の話者を探して 宮本神酒男

 前年は苦労してロブサン氏を探し、会うことができた。なぜ苦労したかといえば、氏の本職は軍人であり、接触するのが容易でなかったからである。バルチスタンは停戦ラインでインドと接しており、緊張感はつねに漂っている。K2の麓にオサマ・ビン・ラディンが潜伏しているというぶっそうな噂もある。

 ロブサン氏はスカルドからインダス川に沿って上流(東南)に向かったハルマン谷(Kharman)の出身だった。しかし氏のインフォーマントは東部のハプル(Khaplu)からさらに東のチョルバト谷のシクサ村に住む教師だった。ここはなぜか外国人立ち入り禁止区域だった。停戦ラインに近いということではハルマン谷もチョルバト谷もかわらないのだが、どうして後者のみ禁止区域なのだろうか。思うにここがもっとも遅くイスラム化したからではないか。停戦ラインの向こうのラダックの仏教徒と情をかわすようなことがあってはならない、というわけだ。

 結局チョルバト谷へ行くのはあきらめ、他の項で述べたように、私はカンデ村で80歳の老ケサル歌手と会った。

 今回は前年の反省をふまえ、ガイドのワジド君と話をし、とりあえずハプルへ行き、そこからワジド君だけビデオ・カメラを持って入るか、チョルバト谷の教師に来てもらうか、どちらかにしようと作戦を練った。

 ただ問題はちょうどラマザン(ラマダン)が終了する時期にあたってしまったことだった。ラマザンとは、日の出から日の入りまで食べることも飲むことも許されないイスラムの断食月のことである。それが明けた日は、日本で言えば年明けの元旦のようなものだった。このイド(Eid-ul-Fitr)は親戚や友人宅を訪問したり、パーティを開いたり、歌い踊ったりと、滅法忙しいのである。イドになると取材は困難になる。

「そのイドは10月1日なの? 2日なの?」と私はワジド君に聞く。

「よくわかりません。月が見えたら、イドなのです」

「わからないって、そんなの現代天文学ならすぐわかるでしょう?」

「いえ、わからないんで、たくさんの学者が望遠鏡で月を見るんです。テレビのニュースでやってますよ。たぶん2日だと思うけど」。

 その日遅く、ギルギットのお兄さんから電話がワジド君にかかってきた。「おい、月が見えたらしいぞ。ラマザンは明けた!」と叫んだ。

 後日ロンリー・プラネットを見ると、イドは10月1日と明記されていた。はじめからわかりきっていたのだろうか。望遠鏡で見るというのは、いわば儀礼にすぎなかったのだろうか。

 しかし『アジアの暦』(岡田芳朗著 大修館書店)によると「日没の後まもなく西の地平線に隠れる新月の出現を見落とすことは稀ではない」のだという。しかもイスラム暦の一日のはじまりは夕方。二日ずれることはないが、一日ずれることは十分ありえることだった。


ハプルから北上すると、マチェルの木造モスクが見える。この
あたりは救世主教的、神秘的なヌールバフシュ派が主流。

⇒ NEXT
⇒ 目次
⇒ HOME