岩絵は語る
スピティにボン教は来たのか(下)
                                     宮本神酒男

⇒ ガンダーラからチベットへ目次
⇒ HOME

 岩絵の多くは仏教どころか、ボン教以前の太古のノマド=シャーマニズム文化の痕跡だと考えられる。古代人はこのタボ・ゴンパが建てられる場所に神聖なるものを感じ取っていたのだ。動物やさまざまな記号などは、その時代には特別な意味を持っていたのちがいない。チベット文字も散見される。「オーム・アー・フーム」というマントラ(写真左)はチベット仏教ニンマ派によって書かれた可能性が高く、すると10世紀以前という推測が成り立つ。

 私は発見できなかったが、ラクシュマン・タコール氏によれば、九層のストゥーパの岩絵があるという。氏はそれをボン教のものと考える。その是非はともかく、現代のボン教徒が象徴とする卍(ユンドゥン)がいくつも見出されるほか、ガルダらしき鳥の絵(写真左下)も発見された。ガルダのモティーフは仏教徒にも好まれるが、ボン教徒はとくにガルダ(チベット語でキュン)を重要な神としてあがめてきた。タボ・ゴンパがボン教の聖地の上に建てられた可能性はかなり高い。

 タボ・ゴンパはトリン・ゴンパ(西チベット)、アルチ・ゴンパ(ラダック)と並ぶリンチェン・サンポ(958−1055)の三大僧院(写真)のひとつである。

 これらはふだんイメージするチベットの寺院とはまったくちがう。土で固めた平屋構造で、木を使わずにすむ。中国の影響は感じられず、チベット文化の基層はカシミールに近いと実感する。

長い間建立年は謎とされてきたが、タボ・ゴンパの本尊である大日如来像(写真)の近くの壁の下のほうに記された碑文によって、火の猿の年、すなわち996年に建立されたことがわかった。碑文によれば建立者はグゲ王のイェシェ・オであり、孫のチャンチュブ・オが修復をしている。その千年後の1996年、建立千年を記念して、ダライラマ14世がここでカーラチャクラの灌頂を行った。14世はこの僧院をいたく気に入り、この生の終焉はここで迎えたいと語ったという。

 僧院建立という大プロジェクトのプロデューサーがグゲ国王なら、ディレクターはリンチェン・サンポである。リンチェン・サンポというグゲ生まれの偉大な存在がなければ、チベット仏教は存在しなかったといっても過言ではない。カシミールで学び、顕教17部、論33部、密教108部の経典を校正、翻訳した。これによってチベット仏教は生き返り、後世の興隆へとつながっていく。

 しかし花開いた仏教文化の基層には、古代宗教やボン教の伝統があったことを忘れてはならない。岩絵のひとつひとつに奥深い意味や象徴が隠されているのだ。ただ残念なことには、解読するのは難しく、解読しようとする人さえまれである。

 

ガルダ。左下には蛇(ナーガ)も見える。

オーム・アー・フームのマントラ。

スピティ川にせり出した巨岩は岩絵だらけ。

その巨岩にズーム。定番のアイベックスの岩絵だ。

ユンドゥン(卍)といくつかの記号、絵。

人とおそらく犬。

キャン(野生のロバ)だろうか。下のガルダと同時代。