ガンダーラからチベットへ
形象の旅 宮本神酒男 目次と序文

目次
(1) 破壊されたスワートの大仏
(2) スワートと玄奘、パドマサンバヴァ
(3) スワート・ブトカラ遺跡
(4) タキシラ:ガンダーラの幻影
(5) ガンダーラの釈迦物語
(6) ギルギット写本とカルガーの大仏(1) ギルギット写本の謎
(7) ギルギット写本とカルガーの大仏(2) ギルギットの懸度

(8) ギルギット写本とカルガーの大仏(3) 大仏に異常接近する
(9) 磨崖仏考(1) サトパラ湖付近、マンタルの磨崖仏の謎(バルチスタン)
(10) 磨崖仏考(2) ムルベクのマイトレーヤ
(11) 石仏考(1) ギルギットからラホールへ
(12) 石仏考(2) ラダックの素朴な仏様たち

(13) 石仏考(3) ザンスカールの微笑み
(14) 岩絵は語る(1) シャティアル、ソグド人の夢の跡
(15) 岩絵は語る(2) チラース、歴史と文明の十字路
             太陽紋の謎    
(16) 岩絵は語る(3) フンザ、北魏の使者の落書き?
(17) 岩絵は語る(4) スピティにボン教は来たのか(上) (下)
(18) 岩絵は語る(5) ラホール、チベット人はいつ来たのか
(19) 岩絵は語る(6) ザンスカール、サカ人説
(20) シャンシュンの北辺としてのホータン
(21) リンチェン・サンポの夢の軌跡:タボ寺、アルチ寺、トリン寺
(22) 西チベット・古代グゲ王国トリン寺の秘宝
(23) 西チベット・古代グゲ王国シャムヴァラ寺壁画 (2010/1/18)
(24) 八大屍林
(25) 謎の巨石(ドリン)群 クル谷から西チベットまで



「ガンダーラからチベットへ」序

 ウッディヤーナ。

 シャングリラやシャンバラ以上に、チベット人にとってウッディヤーナという名前はあこがれの対象であった。
 いうまでもなく(いやもちろんチベット好きにとって、という意味だが)、ウッディヤーナは第二のブッダと称せられるグル・リンポチェ(パドマサンバヴァ)の生まれた国だった。
 ウッディヤーナは実際に存在した。8世紀前半にはインドへ求法の旅に出た玄奘も立ち寄った。広い意味でのガンダーラに含まれ、エフテルの侵略を受けるまでは、仏教が花開いた理想的な国だった。
 いくつかのグル・リンポチェ伝を読むと、ウッディヤーナはおおよそこの世に存在するとは思えない夢想境と化している。作者のひとりジャムゴン・コントゥル(18131900)ともなるとグル・リンポチェの生きた時代からすでに千年以上経過していたが、彼にとって現在のウッディヤーナなどどうでもよかったのではないか。まさかこの仏教の聖地がとっくにイスラム化しているとは想像すらできなかっただろう。
  いわんや、住人がパフトゥン人(パシュトゥン人)で、つまりイスラム原理主義のタリバンの主体民族で、アルカイーダとも関係が深く……なんていうことは、思考の枠をはるかに超えたものだったのである。
 しかしともかく、様変わりしたとはいえ、ウッディヤーナに行くということは、チベット仏教徒にとって、立派な巡礼の旅なのである。わずかなものでも、グル・リンポチェを思い起こさせる何かを発見できないか、私はそう期待した。まさか現地の状況がきわめて厳しく、旅どころではなくなっているとは、思いも寄らなかったのである。
 スワート(ウッディヤーナ)は、「ガンダーラからチベットへ 形象の旅」の出発点にふさわしい場所だった。チベット人の感覚では、仏教文化、とくに美術はカシミールなどの西南方向からやってくるというイメージがある。それに古い仏像や壁画などは、インドのラダックやスピティ、西チベットなどに残っている。また岩絵や遺跡などもパキスタン北部やインド西北部で見ることができるのである。
 これらのあとをたどるということは、チベット史、あるいはチベット美術史をたどるということにほかならない。

全文 ガンダーラからチベットへ(1) MAP 全体地図 パキスタン北部




⇒ HOME

破壊される寸前の
ジャハナバードの大仏

飛天使は東西交流のシンボルだ。(インド・ラダック)