ニェンチェンタンラの山神とナムツォ湖の女神 

 はるかむかし、チベット北部のチャンタン高原の西方にひとりの美しいがたくましい遊牧民の女がいました。子供のツァパンダといっしょにニェンチェンタンラ山の日向の斜面と日陰の斜面で牛と羊を放牧して暮らしていました。

月の光がとてもきれいな晩、彼女は夢を見ました。高い山の白雲の間からやってきた、白い衣を着た白馬に乗った荒々しい男と交わったのです。目覚めたとき、彼女は自分が妊娠していることに気づきました。しばらくして子供が生まれました。彼女は赤ん坊をツァンゴニと名付けました。

 草原の上では、年月はあっという間に過ぎ去っていくものです。またたく間に兄弟は成長しておとなになりました。しかし兄ツァパンダは、しだいに弟ツァンゴニのことを嫌うようになりました。弟があまりにも小さく、醜かったからです。兄は家を捨て、豊かな遊牧民の娘と結婚し、自分のテントをたてました。弟ツァンゴニは依然としてすこし小さかったのですが、すばしっこくて、人一倍の力持ちでした。そして母親にたいしてはよく尽くす孝行息子でした。

 ある日ツァンゴニは、テントからそう遠くない神泉に水を汲みに行きました。伝説によればこの神泉は大海と通じていたのですが、いつも巨大な岩を用いて穴をふさいでいました。ツァンゴニはほかのことを考えていてそのことを忘れ、岩をずらしてしまいました。

 数歩離れたところで、後ろからゴオっという音が響きました。神泉からテントよりも高い水柱が立っていました。水柱は四方に飛んでいき、波はまるで白い花のように見えました。それは谷を沈め、草原を沈め、丘を沈めました。ツァンゴニは桶を捨て、テントに向かって走りました。そのあたりも膝の高さまで水位があがってきていました。

 彼は母を背負って高山の斜面をのぼっていきました。どんどん高いところにのぼっていくのですが、水も迫ってきます。ついに山頂にたどりつきました。しかし水も山頂に達しました。水の勢いは収まらず、洪水は天上にまで達しようとしたのです。

 ツァンゴニはあわてふためいてしまいましたが、母親はかえって落ち着きはらって言いました。

「わが子よ、すぐに両側の山峰を運んできなさい。それで天上が水であふれるのをふせぎなさい!」

 ツァンゴニは母のことばを聞くと、すぐに日向の斜面から19の山峰をもってきて、北側の水をふせぎました。そして日陰の斜面から18の山峰をもってくると、南側の水をふせぎました。これらの中央にできたのがナムツォ湖なのです。

 伝説によると、現在も湖の両側に山々が鎮座し、水があふれるのをふせいでいるということです。それらはタクラ・ゴパド山、キムナジャド山、マギャセモド山、チャナワンパド山、タシド山、ゴラ山などです。

 ダゴニと母はこうしてナムツォ湖の湖岸で暮らすようになりました。しかしふたりにはテントもなければ穀物もなく、牛や羊もありませんでした。ダゴニは山の上にのぼり、野馬を一頭つれてきました。彼の兄ダパンダは99頭の野馬を所有していました。ダゴニは言いました。

「お兄さん! どうか野馬を1頭ください! つがいをつくりたいのです」

「弟よ! おまえの野馬をくれ! それから100頭の馬をつくることができるだろう」

 そう言うと、彼は馬を放ちました。

 ツァンゴニはまた山をのぼり、100頭の野牛を連れてきて、母に言いました。

「お母さん! この野牛を家畜小屋に入れて、ヤクを育てましょう」

 母は野牛それぞれを縄でつないでいきました。ちょうど50頭目をつないでいるとき、母は腰に痛みを感じました。それで腰を伸ばし、あくびをしたのです。そのとき残りの牛50頭が山の上のほうへ逃げ出してしまいました。このつながれた50頭から現在の家畜化されたヤクが生まれたのです。逃げた50頭の牛からチャンタン高原の野生の牛(ドン)が生まれました。

 ある日、ツァンゴニは湖岸の草地で放牧していました。ふと顔を上げると、ニェンチェンタンラ山の上のほうから白衣を着て、白い帽子をかぶり、雪のように白い馬に乗ったたくましい人が降りてくるのが見えました。まっすぐ彼の目の前にやってくると、その勇猛そうな人は言いました。

「おまえが山を運んで洪水を止めたというツァンゴニだな? 暮らしのほうはどうだね?」

「洪水のあと、草原にはなにもありません。ぼくには財産もなければ、妻もありません。ですから子もありません。毎日暮らしは苦労しています」

「心配することはない。わしはニェンチェンタンラの山神である。おまえの願いをなんでもかなえてやろう」

 そう言うと、山神は彼をつれて高山の上のほうにある雪や氷でできたお城に飛んでいきました。そこには水晶でできた倉庫がたくさんありました。山神は言いました。

「目を閉じるのだ。そして三度好きなものをつかめ」

 ツァンゴニは言われたとおりにすると、まずつかんだのは塩でした。その塩を山の麓にまきました。チャンタン高原にはこのとき以来、豊富に塩があるのです。二度目につかんだのは、アルカリ土でした。彼はそれを山の麓にまきました。それ以来チャンタン高原にはアルカリ土が豊富にあるのです。三度目につかんだのは白いほら貝でした。彼は白いほら貝をもって山の麓に下りました。それ以来チャンタン高原は白いほら貝のような子羊で満ちているのです。

 山神は問いました。

「息子よ、ほかにどんな願いがあるか申せよ」

「ぼくにはあとつぎがいません。あとつぎのためにナムツォ湖の女神を希望します」

 ニェンチェンタンラの山神はすこし困ってしまいました。なぜならナムツォ湖の女神はたくさんいる自分の妻のひとりだったからです。しかし最後にはこう答えました。

「来年の正月十五日の月の明るい晩、ナムツォ湖の湖岸に出るとよい」

 正月十五日の晩、ダゴニは湖岸に行きました。しかし左を見ても、右を見ても、美しい女神の姿はありません。それどころか湖から出てきたのは狂暴そうな雌熊でした。彼はこわくなって自分の母親のテントに逃げ帰りました。

 あるときダゴニが放牧をしていますと、ニェンチェンタンラの山神に出くわしました。山神が彼に聞きました。

「おまえとナムツォの女神は会えたかね」

 ツァンゴニは怒って言い放ちました。

「女神になど会っていませんよ! ぼくが見たのは湖から出てきた雌熊だけです」

 それを聞いた山神は「ワッハッハ」と笑いました。

「ばか者め。それが女神じゃよ」

 つぎの年の正月十五日の晩、ダゴニはまた湖岸にやってきました。そしてまた湖から凶悪そうな雌熊が出てくるのを見ました。しかしこんどは怖さを感じませんでした。彼はそばで静かに変化が起こるのを待ちました。すると突然雌熊の皮を脱いで、なかから美しい女性が出てきたのです。それがナムツォ湖の女神でした。女神は単刀直入に彼にたずねました。

「ねえ、わたしたち、人間の方法で結合すべきかしら、それとも神の方法で結合すべきかしら?」

「人の結合の仕方はたくさん見てきましたから、なにもあたらしくありません。神の結合の仕方は新鮮ですね。神の結合の仕方のほうがいいですね」

「いいわね! 神の方法というのはただ目と目をあわせるだけなのです!」

 そうして彼女はなまめかしい目でじっと彼の目を見つめたあと、言いました。

「よかったわ。じゃあ、来年の正月十五日の晩、湖岸に子供を受け取りに来てください」

 言い終わると彼女は湖の中に姿を消し、二度と現れませんでした。

 一年後の正月十五日の晩、ツァンゴニはふたたびナムツォ湖の湖岸にやってきました。月はとても明るくて、湖面は水晶のように光っていました。彼は左を見て、右を見ましたが、子供を抱いた女神の姿はありません。湖岸の草地に母牛がいて、生まれたばかりの赤ん坊の子牛の毛をペロペロとなめているだけです。

 ツァンゴニはハンターでした。幼いころから培ってきたハンター魂が、頭をもたげてきました。野生の動物を見ると弓を引きたくなるのです。母牛に向かって弓を引くと、矢は母牛ではなく、子牛に当たってしまいました。「きゃあ」と叫ぶと、母牛は前年の正月十五日に会ったときの女神の姿になっていました。女神は涙を流しながら、怒って彼に対し、声を荒げました。

「殺し屋さん、目をあけてよく見なさい。あなたが殺したのは自分の骨肉なのですよ!」

 ツァンゴニが目をこすってよく見ると、彼女が抱いているのは子牛ではなく、かわいらしい男の子なのです。しかし手遅れでした。もう死んでいるのです。女神は死んだ赤子を抱いたままあとずさり、そのまま湖水のなかに消えてしまいました。

 ツァンゴニはひとり湖岸に残され、胸と頭をこぶしで強くたたきました。しかしいまさら後悔しても遅すぎました。チャンタン高原の人々はいまもくやしそうに言います。もしこのとき女神とのあいだの子供が育っていたら、ダムシュン(この地方の名)からチベットの王が出ていただろうと。

この故事にちなんで、この場所はプシルンと呼ばれるようになりました。子殺しの谷という意味です。


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