復元されたイエスの顔とキリスト描写文書  宮本神酒男 

イエスはどのような顔をしていたのか 

 2001年に放映されたBBCのドキュメンタリー番組「神の子」の復元されたイエスの顔をはじめて見たときの衝撃はいまも忘れない。「こんな顔のはずがない!」と私は思わず叫んでしまった。ロングの金髪に青い目、髭を生やした面長の白人というイメージとあまりにかけはなれていたからだ。

 復元の仕方はある程度論理的で筋が通っている。イスラエルの1世紀頃の墓から出土した平均的な人骨の頭部を復元し、当時の尊敬されるべき髪型にする。聖書の「コリント人への第一の手紙」第11章14節には、「男に長い髪があれば彼の恥になり、女に長い髪があれば彼女の光栄になるのである」と書かれているのだ。われわれがイメージする長い髪のイエスなら、「女のようなヤツだ」と言われたかもしれない。番組中の科学者は、3世紀頃のシナゴーグのモザイク画を参考にしてイエスの雰囲気を再現する。

 こうしてちりちりの黒い巻毛、浅黒い肌、丸顔に丸い鼻というアラブ人の顔のイエスができあがったのだという。たしかにそうだろう。いまヨーロッパ人顔になったアシュケナジー系のユダヤ人がイスラエルにたくさんもどってきて、イスラエル人の多くは欧米人のように見えるが、もとの顔つきはパレスチナ人と大差なかったはずだ。

 だが待てよ、とそのときも思ったが、今も思っている。この復元の仕方だと、二千年前の平均的なユダヤ人の顔が再現されるだけではないか。

 イエスがカリスマ性のある人物であったとすると、典型的なユダヤ人ではなかったはずだ。少なくともBBCの番組が作製したイエスの顔は、カリスマ的リーダーというよりは、その人物に仕える者の顔だ。ユダがこういう顔をしていたかもしれない。

実際のイエスの顔は、もっと知性が浮き出ていたかもしれないし、意志の強さがあらわれた屈強な顔だったかもしれないし、逆に中性的な雰囲気をもっていたかもしれない。モンティパイソンのネタみたいだが、ローマ兵の落胤説だってまったくありえないというわけでもない。もちろんこういうことを考えただけで不謹慎と批判されそうだが。(最初にこの説を紹介したケルススについては概要参照) 

 決定的な証拠が出てこないかぎりは、暫定的に金髪碧眼に長髪の白人でもいいではないか、ということでそのような白人の俳優が映画のキリスト役に起用されてきた。しかし最近の傾向でいえば映画『パッション』でイエス・キリストを演じた(続編でも演じるらしい)長身で黒っぽい栗色の髪、青灰色の目をしたジム・カヴィーゼルがもっともイメージに近いかもしれない。

*遠藤周作は『イエスの生涯』のなかで、宗教画に描かれる典型的なイエスの容貌をつぎのように描写している。「肩までかかる長い髪、ちぢれた髭、やや頬骨の出た痩せた輪郭」。また「当時のユダヤ教は神の教えを説く者は背の高い、身体強健なものと規定しており(……)当時のユダヤ人としては普通の身長を持っておられたのかもしれぬ。そして古代パレスチナのユダヤ人と同様、彼もまた黒い髪を真中からわけて肩まで伸ばし、あご鬚と口髭とをはやしていたことも考えられる」。
 「背の高い」者と述べた直後に「普通の身長」としているのは解せない(神の教えを説く者としては普通に背が高いという意味なのだろうか)が、イエスは見かけで目立ちすぎたはずはないというキリスト教徒遠藤氏の信仰心からくる信念があるのだろうか。ともかくもこのイエスの姿が下記の「キリスト描写文書」と関係しているように思われるのは、興味深い。

 

キリスト描写文書の影響 

 ローマ帝国の国教となったことでキリスト教が大きな宗教になったのだから、イエスがローマ人風に描かれたのは当然だったといえる。教会の壁画として描かれたキリスト像はほとんど白人であり、あたかもそれが事実であったかのような認識が広がっていった。そうしたイメージ作りに大きく寄与しているのが「キリスト描写文書」(The Description of Christ)と呼ばれるプブリウス・レントゥルスの書簡だった。レントゥルスといえば、ルキウス・コルネリウス・レントゥルス・クルス(?−BC48)というカエサルの政敵だった軍人が有名だが、こちらのプブリウス・レントゥルスはイエスと同時代人で、その書簡ははじめてイエスの容貌について書かれたことで知られている。

 その書簡の問題の箇所について、聖書学者のモンタギュー・R・ジェームスはつぎのように述べた。(『新約聖書外典』(1924)) 

 ローマ人のレントゥルスという男は、ティベリウス帝治世下のユダヤ州において、ローマ帝国の官吏を務めていた。彼はキリストを見たが、仕事ぶりも、説教も、終わりのない奇蹟も、格別驚くべきものではなかったので、そのことについてローマ帝国の貴族院に報告した。

 しかし当時、弟子たちが神の子と呼び、異邦人たちが真実の預言者と呼んだイエス・キリストなる偉大なる力をもった男がいたのはたしかである。彼は死者を起こし、病人を癒すことができた。その男は中背で、見目麗しく、尊い表情をしていた。男を見た者は、愛することもあれば、恐れもした。その髪は熟す前のヘーゼルナッツのような色合いをしていて、なめらかに耳まで垂れ、耳元でカールしてより黒く輝き、肩の上で波打っていた。頭の上はナザレ人風に二つに分けていた。

 眉はおだやかでくっきりとし、顔には皺もシミもなかった。顔の色はほどよくて美しかった。鼻や口も形がよくて、何一つ欠点がなかった。髭も髪の毛とおなじ色をしていて、長すぎず、あごのところで少し分かれていた。表情は簡素で、身ぶりは落ち着いていた。目は灰色で、まなざしは透き通っていた。批判するときは厳しく、訓戒を与えるときはやさしく、慈愛にあふれていた。快活でありながら、重厚さも兼ね備えていた。ときおり泣くことはあったが、笑うことはなかった。背筋はしっかり伸びていて、手と腕は白くて美しかった。話し方は落ち着きがあり、抑制されていた。だからこそ正しく預言者と呼ばれていた。人の子らよりもっと美しかった。

 この文書は、じつは近代になってアメリカに流布した偽書である。多くのアメリカ人はこれが1世紀に書かれた手紙だと信じて疑わなかった。上のイエス画を見ればわかるとおり、聖画の画家は好き勝手に描いてもいいわけではなく、ある一定の決まりを守らなければならなかった。そのもとになっていたのは、いわゆる「キリスト描写文書」(レントゥルス書簡)だった。しかしこの文書はあきらかな偽書であり、作られたのは13世紀のイタリアと推定されている。

 1421年、ジャコモ・コロナという人がこのコンスタンチノープルからローマに送られたとされる書簡を発見したとき、この文書は世に出ることになった。そしてその半世紀後にカルトゥージアのルドルフが『イエスの生涯』という本を出版し、手紙の内容を載せたことから、ヨーロッパ中に知れ渡ることとなった。本物であるかどうかより、イエスが美しく描かれていることが重要だった。こうして西洋人のようなイエス像が定着することになるのである。ただし目の色はブルーではなく灰色で、髪もブロンドではなくヘーゼルナッツ色だった。

 
⇒ 「イエスに関する古代の3人の記述」 

⇒ 「ノトヴィッチとイッサ文書の謎」 

⇒ 目次 










イエスはこんな顔をしていた 


スキンヘッドのイエス。テロリストっぽく見えるのはなぜ 


壁画のイエスっぽい青年 


やはりイエスはこうでなくっちゃ