世界のシャーマン便り 宮本神酒男
<聖なる痛み4> 
この世の見納めにタイプーサムを

 タイプーサム祭には80万人もの人々が集まってくるので、参加者のことを一律にどうこうと言えるものではない。しかし祭りの中核となるのは19世紀頃にマレーシアにやってきたタミル人であり、彼らの信仰である。

 1月20日の夜明け前、チャイナタウンのはずれで「バトゥ・ケーブ、バトゥ・ケーブ!」と呼び込みをしている女性に促されて市内バスに乗り、バトゥ洞窟へ向った。バスのなかはインド人でいっぱいだった。そのほとんどはタミル人だろう。この日は全タミル人が結集する日なのだ。


タイプーサム祭の出発点スリ・マハ・マーリヤンマン寺院。早朝、儀礼を終えたあと、牛車がゆっくりとバトゥ洞窟へ向う。

 バトゥ洞窟の門前はあまりに人が多く、写真を撮るどころではなかったので、私はすこし離れた高架の道路の上に「張って」苦行者や参加者の姿を捉えることにした。カメラを持った人の半分は、私を含めてモンゴロイドだった。おそらく大半は中国系マレーシア人だろう。彼らは当然祭りに参加することはできないので、純粋に見る側・撮る側に回っているのだ。日本人のTVクルーも見かけたが、一ヵ月後に放映された土曜日の夜のクイズ形式の番組では、ほんのわずかしか時間をさいていなかった。


門前でココナツを割って捧げる人々。

 苦行者からの加持、祝福をもらおうとするタミル人もたくさんいた。私はインドで、マハー・クンブメーラ祭の現場に一ヶ月以上も滞在したことがあるので、庶民が聖者を礼拝するさまはよく見かけた。その際、たとえば女性が聖者の足元に頭をつけ、足をかかえこむように拝むのがふつうだった。ところがここでは、一般者が苦行者の股間に頭をこすりつけるのを何度か目撃したのだった。これがありふれたことなのか、たまたまのことだったのか、よくわからない。


生まれたばかりの者も苦行者から力をもらう。

 もっとも印象深かったのは、余命あとわずかという女性が路上に運び込まれたことだった。加持をせがまれた苦行者はマントラのようなものを唱えながら、女性の額にティラク(しるし)をつけた。苦行者が近づくと、まるで死神が近寄ってくるかのように彼女の顔は恐怖にひきつった。しかし苦行者の加持をもらうと、一転して安堵の表情に変わったのだった。


小さな苦行者が身体を傷つけることはない。

 苦行者には何かの神様が乗り移っていた。それはマーリヤンマン(Mariyamman)といった女神よりも、女神を守護する男の神、ムニスヴァラン(Munisvaran)、ムニヤンティ(Muniyanti)、ムナディヤン(Munadiyan)、カルッパン(Karuppan)、マドゥライ・ヴィラン(Madurai Viran)であることが多かった。彼らは血の生贄も受け取った。彼らはまたシヴァ神と同等とみなされることもあった。

 このように苦行者は「神」でもあるので、タミル人にとっては一生のうち一度はその祝福を受けたいと思うのは当然だろう。とくに死期が近づいていると自覚したとき、神に謁見するにはタイプーサムはよい機会なのだった。


バトゥ洞窟の前を流れる川には沐浴する群集が見られる。

 2001年にはじめて見たインドのマハー・クンブメーラも一生の見納めにしたくなるような祭りだった。イスラム教徒のメッカではないが、ヒンドゥー教徒であればクンブメーラは、一生に一度は参拝し、ガンジス河とヤムナー河が交わる地点で沐浴したいと願う大祭である。マレーシアのタミル人にとってはそれがタイプーサムなのだった。マレーシアのタミル人社会には、ほかにもパンクーニ・ウッティラム(3−4月)やヴァイカシ・ヴィサカム(5−6月)といった祭りがあるが、タイプーサムは規模的にも、意義的にも特別な存在だった。タイプーサムに行けば病気が治ったり、長生きできたりするというのではない。むしろ、よき死を迎える準備のために行かねばならぬと考えられるのだ。


→ 聖なる痛み1 痛みの祭典タイプーサム
→ 聖なる痛み2 舌刺し
→ 聖なる痛み3 人はなぜ頬に針を刺すのか

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余命あとわずかのこの女性も苦行者から祝福を受けるため、家族に運ばれてやってきた。病人や悩みを抱えた参加者が思いのほか多い。

「おいおい、そんなとこに頭をこすりつけるなよ」とでも言ってそうだ。一般者に摸拝されとまどう背中に多くの鉤(フック)をつけた苦行者。

これもまた股間を礼拝されてとまどう苦行者。インドでは聖者の足元を一般者が崇めるのを見かけるが、このような拝み方もあるのだろうか。

泣く子は最強。苦行者のおじいちゃんに肩車された女の子にとっては恐怖体験だったかもしれないが、タイプーサム参加が家族・親戚に福をもたらしているのがよくわかる。

プジャリ(儀礼をする人)がなにやらプジャ(儀礼)を始めた。マレーシアのタミル人社会にはそもそもバラモン階級が不足していたが、この人はバラモン(brahmin)だろうか。写真左上に数本のミルクが見えることから考えて、クルッカル(kurukkal)と呼ばれるプジャリかもしれない。

しばしばこうして苦行者は激しいトランス状態に陥ってしまう。彼が身体中を痛めつけるのはこれからだ。