クアラルンプール郊外バトゥ洞窟の前で行われたタイプーサム祭の苦行者の群れを見て、私はひどく考えさせられた。ひとはどうしてこんな痛い目にすすんで遭おうとするのだろうかと。とくに印象深かったのは、舌刺しである。世間では、舌のピアスは一種の流行現象だし、変わった場所のピアスなら、性器ピアスにかなわないだろう。しかし舌のど真ん中にぶすりと針を刺すとなると、私は恐怖におののかずにはいられない。舌を刺してもひとは死なずにすむのか? 感染症にはかからないのか?
カヴァティを背負う苦行者。上の写真はカヴァティ(身体を囲むような「痛み」の装置)を背負った苦行者である。カヴァティの起源は、悪魔イタムパンの神話に求めることができる。イタムパンはタミル人(マレーシアは400万人ものインド・タミル系の人口を擁する)の守護神であるムルガンによって調伏され、弟子となるのだが、その過程で二つの丘をシヴァ神の住するポーティカイへ運ぶよう命じられる。丘は地面にくっついてなかなか動かなかった。カヴァティはその様子を表わしているのだという。苦行者は悪魔イタムパンの立場に身を置き、ムルガン神の弟子となるべくわが身を捧げているのだろう。写真の苦行者は、すこし動くだけで貫いた舌に激痛が走るスペシャルな装置を編み出したのだ。
下の写真の舌を刺した女性を見た瞬間、私は女神だと思った。なぜそう思ったのだろうか。舌を出したインドの女神といえばカーリーだから、生首ネックレスを首にかけ、悪魔を踏み殺している(アスラ王を踏むのはドゥルガーであり、カーリーの下敷きになっているように見えるのはシヴァ。訂正します)憤怒神の女神カーリーが彼女に憑依していたのかもしれない。舌に刺さった針も、よく見ればシヴァの三叉鉾だ。舌に針を刺す理由はわからないが、彼女から聖なるオーラが発散されていたのはまちがいない。
→ 聖なる痛み1 痛みの祭典タイプーサム
→ 聖なる痛み3 人はなぜ頬に針を刺すのか
→ 聖なる痛み4 この世の見納めにタイプーサムを
カヴァティを背負った苦行者。顔面に銀飾を縫いつけ、頬や舌に針を貫いている。また胸や背中も鎖で結ばれている。
舌に三叉鉾型の針を貫いているので、女性は舌を引っ込めることができない。垂らした舌の先から血を滴らせている女神カーリーを表しているのだろうか。
この女性苦行者の場合、頬を刺しているだけで舌は貫いていないのかもしれないが、舌を固定し、制限しているのは間違いない。余計なことをしゃべることはないのだ。