ゲパン神オデッセイ
荒ぶる神を担いで800キロ、ヒマラヤ越え徒歩の旅
(インド・ヒマチャルプラデシュ州)
ロタン峠を越え、シシュ村に近づいた地点で休むご神体。ここでも羊を犠牲にして儀礼を行なった。
海抜3100mの道。ご神体が突然走り出す。
ご神体が駆け上がるので、人々も駆け上がる。
シェシン村の上はゲパン山の麓。ご神体が落ち着く場所だ。
山の上の村のから道路沿いの村に下りていく。遠くに聖なるパルデン・ラモの滝が見える。
このように家の前にご神体を置き、巡礼隊はなかでバター茶や酒を飲み、ごちそうを食べる。
家の前で羊を犠牲として殺し(頭部が右上の男性の足元に転がる)血をご神体に捧げる。
山の斜面の村を進んでいくご神体。
隣村の女神ボティの寺院を訪ねるご神体。
われらがゲパン神の依り代であるラパの素顔。低カーストであるためマラナでは村はずれに滞在していた。
シシュ村のゲパン神の寺院に戻り、神憑かったラパ。
第3部 ラホール・シシュ村への帰還
マラナのあと巡礼団は来た道を戻り、チャンダルカニ峠を越え、カクナルやジャガナットスークを通り、マナーリからロタン峠へと向かう。海抜4000mに近いロタン峠を越えれば、ラホールのシシュ村まであとわずかだ。来たときと戻るときの違いは、小さかったご神体が巨大化したことだ。
私は彼らと袂を分かち、夜行バスでデリーへ向かった。肌身離さず持っているパソコンが壊れてしまい、修理する必要があったのだ。およそ一週間、巡礼団に参加していたときの宗教的な雰囲気とは別世界のデリーの喧騒のなかに身をおいた。都会のスモッグによってせっかくきれいになった肺が煤けてしまったような気がした。
8月3日、夜行バスでマナーリにもどり、4日、極度に道の悪いロタン越えを何時間も立ちっぱなしで耐えながら、ローカル・バスでラホールのシシュ村にたどりついた。この村のホテルでは学術セミナーが開催されていた。主催者のツェリン・ドルジェ氏に会い、巡礼団の現在地を確かめる必要があった。巡礼団はすでにロタン峠を越え、ラホール側を歩いているとのことだった。
8月6日、コクサル付近まで巡礼団が下りてきたという情報を得て、車を拾い、東へ向かった。道路から少し入った山の斜面に簡易テントが建てられ、人でにぎわっていた。見覚えのある人々がバター茶や酒を飲んでいた。軽く抱いて挨拶をするか、笑みをかわした。大半の人はこの日本人がまたやってくるとは考えていなかったのか、一瞬驚きの表情を浮かべ、それから相好を崩す。しかし半数以上ははじめて会う人々だった。この地域でもまた何十人もの知り合いを作ることになった。
コクサル村のテントを出て、今度は巨大な色とりどりの神木をかかえて、巡礼団は歩き始めた。神木の重量にもかかわらず、ときどき小走りの速さで進むことがあった。
私はあいかわらずビデオを回し、デジカメで写真を撮っていたが、ふとデジカメの電池入れの蓋がなくなっていることに気づいた。半時間近く、未舗装の砂利道でコンタクトレンズでもなくしたかのように身をかがめて探し回った。ようやく発見したものの、遅れを取り戻すため、私は走らなければならなかった。標高3100メートル、マラソンの高橋尚子選手が現役時代、ボルドーで高地トレーニングしていたときとほぼおなじ高度である。ラダックまで走ろうとしている変わり者のランナーにでも見えたのか、向かいからやってきた車の西欧人たちが手を振って歓声を上げた。
5キロ走ったところで巡礼団に追いつく。彼らは川辺の空き地(聖なる場所なのかもしれないが)にご神体を置き、羊を殺して捧げ、儀礼を開いていたのだ。
巡礼団はシシュ村に入り、さらに丘の上へと上がっていった。ここでもマナーリとマラナの間とおなじように何軒もの家に招かれ、家の中で食べたり飲んだりした。夜は個人的にだれかのやはり大きな家に招かれ、深夜までアラック(焼酎の地酒)を飲んだ。
翌8月7日、巡礼団はご神体の神木をかかえて、シェシンのゲパン寺院の上の聖なる場所にたどりついた。ここはゲパン山の麓であり、山頂は見えないが、チベットのラツェのような石積みがあり、そこに旗が立てられている。ご神体をかかえて巡礼団は旗のまわりを3回めぐった。
夕方、ゲパン寺院近くの広場でワルナ(羊の犠牲)をともなう儀礼が開かれた。地元の若者の協力ではじめてワルナの場面を撮影することができた。大きな鎌で羊の首を切り落とすので、残酷な場面といえばいえなくもない。しかしこういった血の儀礼があってこそより神聖な意味合いが生じるのだ。ゲパン神は古代ボン教との関連はあるかもしれないが、基本的に民間神である。ヒンドゥー教でも女神カーリーに捧げるのであれば、羊を屠ることになるだろう。ラホールではチベット仏教、とくにカギュ・ドゥク派が広く信仰されているが、その観点からいえば、仏法に反する許しがたい行為ということになってしまう。
8月8日、巡礼団は西へ1キロ歩き、ゴンパダンという村に到着し、いくつかの家に寄る。それから数キロさらに西へ進み、ロブサン村の女神ボティの寺院を訪ねた。ボティというのはチベットないしはチベット系という意味だろうが、もっと具体的な名前があってもいいと思った。巨大蛇のようなご神体をかつぎ、巡礼団の人々は寺院の2階の本堂に神木の先を突っ込むようにして女神に挨拶をするのだった。巨大蛇は意志を持って勝手に動き回っているように見えた。
ロブサン村でタラナグの傘のようなご神体が分離し、山の上のほうの村へ帰っていった。巡礼団もふたつに分かれたが、私はもちろんゲパン神のご神体と行動をともにしなければならなかった。そこから数キロ東のシェシン村にご神体の神木とともにもどった。ゲパン神の寺院の前に着くと、ご神体はあきらかに喜び、安堵を感じているように思われた。ゲパン神が憑依し、ラパは辮髪のように長い髪を振り乱し、長い旅をねぎらうような託宣を述べた。神が去ると、ラパは乱れた長髪を結って頭のうしろにまとめようとした。