テルドゥン(テルトンのケサルの語り手)
テルマ(埋蔵宝典)を発見するテルトン(埋蔵宝典発掘師)は、チベット仏教のなかでも(基本的にはニンマ派とボン教の伝統なのですが)もっともミステリアスな部分といえます。それでは、テルトンがケサル王物語を発掘することがあるのでしょうか。
答えはイエスです。ケサルを発掘する人々はテルドゥンと呼ばれているのです。ほとんどの場合テルマとしてのケサル王物語は心の中に見出されます。これはゴンテル(dgongs gter)と呼ばれます。物質として発見されたものはゼテル(rdzas gter)と呼ばれます。ゴロク州が収集した「コンテウラン山羊(ラ)ゾン」は、マチェンの石の中からグンサン・ニマというテルトンによって発見されたといわれています。
格日堅参(おそらくガラプ・ギェルツェン)という(執筆当時若かった)テルトンを楊恩洪氏が紹介しています。1987年の段階で、もっともすぐれたテルトン・タイプのケサルの語り手と認定されました。
彼は青海省甘徳県のニンマ派ルンゴン寺(lung sngon)に属する在家の僧侶になりました。しかし16歳の冬、彼は寺院に滞在し、ツァ・ルン・ティクレ(rtsa rlung thig le)の修練を積みました。字義通り訳すと、脈風精液ということになります。脈は住宅のごとく、精は財宝のごとく、風心は主人のごとく、という説明がなされています。「微細な身体」という何となくかっこいい説明もされます。
おじさんは活仏でありながら有名なケサルの語り手であり、父親もケサルの語り手でありながら呪術師(ンガクパ)でした。彼はいい血筋を持っていたのです。この活仏のおじさんと寺主が「もし成就を遂げたいなら、神仏が派遣した女性と会わなければならない。片方は方便で、片方は智慧である。両者が結合すれば天空を舞う大鵬のようになるであろう」と予言していました。
彼はダルギャという女性と出会い、彼女がその運命の女性だと確信します。彼女の目はとても変わっていました。普通は、まぶたは上から閉じます。彼女の場合、まぶたが下から閉じるというのです。いったいこれはどういうことなのでしょうか。
ともかくこのとき以来、彼は心の中から大量に物語を発見するようになるのです。まるで筆に何かが乗り移ったかのように、勝手に動き、物語を記し始めたのです。「自動書記」に似ています。私は台湾やミャンマーで「自動書記」をするシャーマンと会ったことがあります。彼の物語リストは、あっという間に120巻に達しました。そのなかには「ミミン銀ゾン」のような彼だけが知っている物語が多数含まれています。
楊恩洪氏はテルトンにインタビューをしています。
楊:ケサルは神と考えていますか、それとも人だと思っていますか。
テルトン:ケサルはパドマサンバヴァの化身です。生まれ変わりではありません。私たちの信仰ではもっとも重要なことなのです。彼は神ですから、永遠に存在するのです。ケサル王物語は人が作ったものであることはたしかです。でもそれは宇宙や霊魂世界のどこかに隠されているのです。ありうるのは、パドマサンバヴァかその弟子がどこかに隠していえるのでしょう。いま、われわれによってそれらは取り出すことができます。私は北伝のテルトンに属しています。
楊:あなたが書いたケサルが本物であると、どうやったらわかるのですか。
テルトン:なぜなら私はケサル王物語中の将軍ガデ(ガデ・チューキョン・ベルナク)の息子ジクジェ・ナムカ・ドルジェの化身だからです。彼はタジクとの戦いのなかで、ツェンラ・ドルジェに殺されました。たしかにタジクによって殺されましたが、だからといって彼らが強大とはいえません。主な原因は武器である矛の長さの違いです。
テルトン・タイプのケサルの語り手は、語り手全体のなかではごくわずかにすぎず、主流とはとうてい言えません。しかしこのタイプの語り手を生み出したニンマ派およびリメ(超宗派運動)のケサルから、欧米人が好むケサル王物語が生まれ出ました。それはたとえば、ダグラス・ペニックの『ケサル王 勇者の歌』に寄せられたトンドゥプ・リンポチェの序文によく表れています。伝統芸能の面でみると物足りませんが、そのぶん宗教哲学が文学的に表現されていて、それはそれで充分面白いのです。
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